【コラム】虚業は本当に不要か
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「虚業」は本当に存在するべきでないのか?
ここでの虚業とは、マスコミ、パパラッチなどの文化的なものをイメージしてもらいたい。
飲食だとか、工業だとかそういった我々の生活の根幹を支えるものではない。
まず私は、マスコミに対して良い印象を持っていない。
新聞なんかは、活字を読む習慣としては良いと思うが編集者の思想が滲み出ているきらいがある。
しかも、ネット社会の普及でファクトチェックも(読み手に知識とモラルがあれば)容易になったことや、
「新聞、昨日のニュースに金払うとか草」
みたいなSNSの意見もある。
この意見を否定するには古き良き文化がーとかの反論しかできない。
もはや新聞は趣味のような領域だと思う。
ピアノや水泳なんかの習い事に似ている。
音楽性を養う能力、上手に泳ぐ能力、そんなものと並行して文字を読む能力を養うにすぎない。
だが、「じゃー滅びちゃえ!」となるだろうか?「滅びるのもしゃーなし」なのだろうか。
私は学生時代にある習い事のアルバイトをしていたことがあった。
まあまあ楽しかった思い出もあって、それとは別に一つ思ったことがあった。
「いつ無くなってもいい仕事って楽だなあ」
私が破滅主義者だとかそういう観念とはさておき、そう思った。
遊ぶためにバイトを休む旨を、社員に伝えたときのことだ。
「はーい」
社員はあっけなく休みを承諾した。
もっと自覚を持てとか叱られるのを覚悟していたので、いささか拍子抜けだった。
人がいてもいなくても回る仕事なのだと思った。
これは失望というより感心だった。
その帰り道思ったのは、「人の代わりがきくこと」「責任が軽いこと」が虚業のメリットであり、働く人間にとっては得なのだということ。
巷でユニコーンのように崇められるホワイト企業ってやつもそのへんちゃんとしているのだろうか。
話が逸れたが、つまり、虚業は側から見れば滑稽だが、
従事者にとってはぬるま湯みたいなものだということだ。
そう考えれば、滅びるのも自業自得かもしれない。だがあまり責める気にはなれないなというのが正直なところである。
だってみんな食っていくためにやってるんだろうから。。
せめても、職を憎んで人を憎まずというべきか。
※嫌いな上司を除く
おしまい
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