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自分の翻訳を直される事へのマインドセット

先日、翻訳部署のない会社の社内翻訳あるあるとして、自分の訳をチェックされない、ということを書いた。でも時には、直されることもある。

今日はそんな時の自分なりのマインドセットについて書こうと思う。

どんな時に直されるか

仕事の翻訳のほとんどは英訳なので、直されるのは自分のつけた英語訳。

個人的なメールや資料を直される事はあまりない。

でも、見る人が不特定多数となる文書や、プロジェクト上重要な役割を占める文書には、しっかりとしたチェックが入る。

どんな人が直すか

案件や部署の責任者やコアなメンバーが多い。

その文書を実際に使用する人、外向けの作成者・発信者となる人。

海外留学や海外駐在の経験者もいれば、英語に苦手意識のある人でも上からの指示でチェックすることもある。

直される時の観点

主に専門用語で、微妙なニュアンスの違いまで私が調べられなかった場合に、ここでは◯◯とした方がいいと、時には解説付きで直してくださったこともあった。

また、直す人の経験上、見慣れない英語表現は、よりその人に分かりやすい表現に直されることもある。それが例え受験英語のような直訳調の英語でも、業界や会社のルールであれば、それが正しい。それが個人的な意見かどうかは、こちらからは判断は難しい。

英語らしい表現を直訳調にされた後に、気をつけて一語一句漏らさず訳出したら、今度は直訳すぎると省略される事もある。そのさじ加減が難しい。

直す人の英語力は関係ない

例えばTOEICや英検は関係ない。その業界(理系)の知識、経験、定型表現のボキャブラリーは断然上な人ばかり。

さらに、過去10年20年の会社経験から、その会社特有の用語、書き振りにも馴染みがある。

文書の種類や特性、会社の方針や戦略に詳しいからこそ出来るチェックがある。

指摘はありがたい

年齢問わず、指摘を素直に受け入れられる人と、カチンと来て不機嫌になる人、落ち込み過ぎてしまう人がいる。

でも、人から意見をもらえる事はありがたいこと。

そうでないと、裸の王様になってしまう。

普段会えない人からメールなどで指摘された場合は、必ず「ご指摘ありがとうございます」という感謝から始める。

「申し訳ありません」という謝罪から始めるより、ずっと前向きになれる。(でもうっかりミスにはきちんと反省する)

ケンカはせずに話し合う

表現の文法的間違いや定型表現であれば、すぐに訳は決まる。

でも、そうでない場合の訳語の相違は、こういう背景と文脈だからこの単語にした、こういう意図があってこの単語にした、という話し合いをする。

冷静にお互いの意図を理解すると、「確かに」「なるほど」と自分では思いもよらない解釈に気づく。

自分の視点とは違う角度、位置からの視点を得られる事は成長につながるので貴重だ。

間違っても、私が正しいのだ!と主張したり、相手の英語力を見下してはいけない。

最終判断は任せる

双方の意見が出て、相手の解釈や意図を理解した上で、じゃあここはこうしよう、とお互い納得して決まることもある。

時には、お互い譲れないということもある。でも、そんな時は職場や案件の責任者に任せることにしている。

それは決して投げているのではなく、責任を負う人の納得した形にしたいから。

その表現でいいかどうかは、やってみないと分からない。

明らかな間違いはダメだけど、たいていは、しっくりくるかの微妙なライン。

そういうのが一定量積み重なって、会社の言い回しとなるのだろう。

もちろん、その責任者が、「あなたが決めて」と最終判断を委ねられる事もある。

そんな時は、慎重に決める。

決めたら、腹をくくる。

より良い翻訳の為に

良い翻訳とは何か。文法、用語、言い回し。。。

答えは一つではない。

会社や案件ごとに答えは違う。

翻訳者とチェック側の人、関係者全員で模索して、一緒に作り上げるために、伝えることは伝え、相手の意見には耳を傾け、指摘は謙虚に受け止める。

このスタンスができるまでは、いろいろと落ち込んだり、心ない言葉に傷ついたり、自信喪失したり、時にダークになったり慢心してしまったり、と不安定なマインドだった。(今でも時々あるのだけれども…)

ぶつかることを恐れてはいけない。ぶつかって合わさるから新しいものができる。

ぶつかって絶望してもいけない。

反省点を受け入れて、後はプラスに変えていく。

そんな気持ちで明日も頑張ろう。


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