聾学校で私たちは「目」をそばだてて先生の話を聞いた。だが、一般高校ではいくら目をそばだてても、聴こえなかった。

聾学校では、手話はタブーだった。
先生方も子どもたちも、保護者たちも、手話をしなかった。時折、休み時間に、子どもたちが何か手話で話しているのを見かけたぐらいだ。

そんなわけだから、当然運動会も卒業式も、口だけで進行された。そこに手話はまったくない。
聾学校では、みんな「わき見」をしなかった。始業式終業式、運動会や卒業式練習では、「目」をそばだてて聞いた。わき見よそ見をして、何かを見過ごした(聞き流してしまった)とすれば、それは本人の「不始末」であった。
先生は、話す前に、誰も、手をふるなどして児童生徒たちの注意をひいてくれなかった。ずっと見続けなければ、いつどのタイミングで先生たちが話し出すのか分からなかった。

背が低かった私は、ずっと整列で一番前だった。「目」をそばだてて聞くには、一番いい、特等席であった。しかし、卒業式などでは、自分は一番最後になった。生年月日が一番遅かったからだ。一番背が低いのに、一番後ろになってしまい、前を見るのに苦労した。一番前の「特等席」に戻りたいと思った。

一般高校では、出席番号順は、氏名の五十音順で決まっていた。私は、3番目かそのくらいだったかもしれない。しかし、人同士の距離が聾学校より詰まっていた。視界がきかない。前の人の背中しか見えない。
それでも、なんとか視界を確保し、私はそれまでの習慣から、先生方や周囲にいる人々の口を見つめ、目を凝らした。今何が起きているのか自分はどうすべきか、その場の法則を見つけることに必死になった。
自分は、周囲の状況に絶え間なく注意を払って自分がどう動くべきか判断し、動いたつもりだったが、ときには、タイミングを間違えてしまうこともあっただろう。まったく分からなかった。

しまいには、私の目はひどく疲れてしまった。まぶたがピクピクしてしばらく止まらなかったほどだ。

そのうち、私は、目をそばだてて聞くことを放棄した。
目だけは前にむいていても、何も見ていない、ことが増えた。何か学校行事で整列中のときであっても、時々ボーッとするようになった。

整列の真ん中にいると、前方はよく見えないままだが、安心感はあった。
列の真ん中にいることで、自分の進むべき方向へ、周りが押し流してくれる。何も考えなくてもよかった。

そんなふうに一般高校では、空疎な肉体を引きずりつつ、過ごした。

そして高校卒業後、整列をする機会はなくなった。
そんな私が手話と出逢ったのは、整列をする機会がなくなってからである。
手をふるなどして、相手の注意を自分に向けてから会話を始めるルールとも。

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