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私は、勉強に疲れていた。一人きりの勉強は、孤独で、何のために学ぶのかもわからなかった。

聾学校中学部3年生のときに、技術の授業で木製看板を作る授業があった。
将来自分が自営店を構えるとして、どういう看板を掲げるかというものである。「〇〇鉄工所」「〇〇クリーニング店」などである。
同級生は、今後進学を希望している聾学校高等部の職業科の内容で、するすると看板に書く文字を決めた。私ははたと考え込んでしまった。
自分が何か木工なりクリーニングなりで働くことをイメージできなかった。

私は、聾学校高等部ではなく、一般高校進学希望だった。自分の将来は、海のものとも山のものともつかなかったが、とりあえず高校に入ってから考えようと思っていた。担当の先生が、自分のことじゃなくて、親の仕事でもいいよと助け船を出してくれた。かくして、私は母が当時していた仕事について看板を制作した。

しかし、聾学校卒業後、入った高校では、早々に挫折を味わった。
なんとかいけるのではと思った自分の読話もきかず、自分の発音も本当に通じず、当然ながら授業は分からず、いくら勉強しても、上がらない成績。むしろ成績は、坂を転げ落ちるように、下がっていった。毎日学校には通っていたが、結局は、独学だった。先生の声はまったく私には入ってきていなかったからだ。
自分は、もう、長時間労働や賃金未払いが常態化している企業で働くサラリーマンのような気持ちでいた。高校生活に倦んでいた。自身の将来を考えるどころではなく、その日その日を乗り切ることで精いっぱいだった。この生活を大学に入ってまでも続けるのは、もう無理だと思った。かといって、就職しようという気持ちにはならなかった。
働くための心の準備も覚悟も何もできていなかった。

かつての聾学校同級生は、聾学校高等部の職業科で手に職をつけて、高校卒業後就職する。それに引き換え、私は?何がある?耳が聴こえず、発音もできず、あまつさえ、何も技術や資格もなにもない。ただ机に座って3年間を無為に過ごしただけだ。多少は、聾学校同級生より、知っている化学記号や英単語が多いかもしれないが、それが何になる?
会社は、当然、私よりかつての同級生を欲しがるだろう。自分には本当に何もないと思った。それは、寂寥感であり、敗北感でもあった。

就職しないなら、どこかに行くしかないと思い、「大学案内障害者版」という書籍を取り寄せた。それは、全国の4年制大学・短大について、障害者学生の受験を認めているか、現時点まで障害者学生が在籍しているか、入学後の授業保障はあるか、などを載せた書籍である。
それを開き、まず受験可能か、多少の情報保障はあるか、というところから大学を選び始めた。そして自分の学力で入れるところ、という順に絞っていった。自分がどの分野に興味関心を持っているか、何を学びたいのか、ということは、最後にくる条件だった。そういう作業をあてどなく繰り返した。それでも大学は決められないままだった。

ある日、担任の先生から、1つの大学を紹介された。
それは、聴覚障害者に特化した教育を行っている短大だった。
中学卒業までいた聾学校の授業に私はフラストレーションを抱いていた。私はもっと勉強したかった。そういう思いで、あえて一般高校に進学したのに、高校では勉強が分からず、聾学校とは別の意味で、勉強できなかった。
その短大に進むことで、結局、私は、聾学校に逆戻りしてしまうのかとも思った。かつての聾学校同級生も、その短大に行くと聞いていた。同じ聾学校の先輩も行ったと聞いたことがあった。私がその短大に行くとしたら、私が一般高校にわざわざ進学した意味はどうなるのだろうか。そんなみみっちいプライドが邪魔をして、ぎりぎりまで短大を受けることを決められなかった。しかし、もう、授業に出席している意味がない授業は受けたくない気持ちが勝った。
勧められた短大なら、授業が分かるだろうか。楽しく勉強ができるだろうか。

「逃げる」ような気持ちで、都落ちではなかったが(むしろ都に近づいていたが)、その短大に入学した。その短大を皮切りに、いくつかの大学で学んだ。パソコン文字通訳、手書きでの要約筆記、あるときは、手話で、学んだ。そのいずれも、高校生活にはなかったものだ。

その多くはきれいに忘れてしまったが、不思議と、誰かと議論しながらの授業は覚えている。それはきっと自分だけで完結する形の勉強ではなく、誰か他者がいたからだろう。
自分の思考を誰かと確認し合えた。
自身では気づかなかった視点を与えてくれた。

そもそもの発端として、私が大学に行ったのは、遊ぶためではなかった。就職のためでもなかった。履歴書にはくをつけたかったからでもない。分かる勉強がしたかったからだ。

誰かが隣にいる世界で、他者とつながっている自分を確認しながら、学ぶことはとても楽しかった。それは、くそったれな自分を少しずつ脱ぎ捨てていくことでもあった。

「学ぶ」ことで、自分は、より自由になれた気がしている。
もろもろのくびきから。

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