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一般高校時代

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それまで過ごした聾学校から、一般高校(聾学校ではない)に進学したあとの高校時代のNoteをまとめています。 ※マガジン分類は今後変わることがあります
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2020年7月の記事一覧

世界は「聴こえる」「聴こえない」では二分できないのだと、私は高校生になって気づいた。私は「みにくいアヒルの子」だった。

聾学校中学部卒業後、私は一般高校に進学した。 自分の住む市では、自分のように一般高校に通う聞こえない高校生の知り合いはいなかった。幼稚部、あるいは小学校低学年までを聾学校で過ごしその後地域の学校に通った子もいたが、それきり会うことはなかった。 他の聞こえない高校生がどのようにして学校生活を送っているのか、私にはまったく情報がなかった。高校に入る前までも、高校に入った後も。 高校1年生の年度を終える頃、一般学校に通う高校生・大学生の団体があることを知り、その集会に参加した。

私は、勉強に疲れていた。一人きりの勉強は、孤独で、何のために学ぶのかもわからなかった。

聾学校中学部3年生のときに、技術の授業で木製看板を作る授業があった。 将来自分が自営店を構えるとして、どういう看板を掲げるかというものである。「〇〇鉄工所」「〇〇クリーニング店」などである。 同級生は、今後進学を希望している聾学校高等部の職業科の内容で、するすると看板に書く文字を決めた。私ははたと考え込んでしまった。 自分が何か木工なりクリーニングなりで働くことをイメージできなかった。 私は、聾学校高等部ではなく、一般高校進学希望だった。自分の将来は、海のものとも山のものと