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今年も大雨の季節が

今年ももう6月。
今年の関東甲信地方は今年は6日に梅雨入り。
場所にもよるが長野は元々、全国的にも雨の少ない地域らしい。
高校生くらいまで外出するのに傘を持たなきゃ、と考えたことはほとんどなかったような気がする。

「弁当忘れても傘忘れるな」という諺が伝わるくらい雨のよく降る地方の大学を卒業し、帰ってきて10年以上たつが、最近は平成頭ごろの昔と比べても気候が変わってきたように感じることがある。
四季の感じが昔と違ってきている。なんというか、好天の日は猛暑酷暑、降れば熱帯のような土砂降りと、だんだん極端な天気の日が多くなったような印象。

今から3年前の秋、台風19号で降った大雨で10月13日未明の時間に千曲川の堤防が決壊した。
前の晩、たまたま防災対応で職場に詰めていて、帰ってみたら住んでいる地区一帯が浸水していた、という経験をしている。

12日。あの日は三連休の初日だったと思う。夕方に招集がかかり、まあいつもの雨だろう、一晩いれば普通に帰ってこれるとたかを括り、玄関を出てから道中の雨はいつもより激しく、少し不安を感じた。
雨は長野県東部の佐久地域を中心に激しい降りだったけれども、夜がふける頃には小康状態に。
まあ大丈夫か、と思っていたら、千曲川上流の方から次々に橋が落ちた、水が溢れたなどの情報が入り始め、下流の中野市立ヶ花(千曲川の川幅が急に狭まるボトルネックの場所)と、その上流の水位がどんどんと上昇していった。

時間ははっきりしないが、千曲川の左岸、長野市長沼の長沼城があった位置の堤防が決壊したという知らせが入った。
まだこの時点では外は暗闇、様子がはっきりしない。
決壊した地点には観測のカメラも設置されているが、何も映らないらしい。
夜中の3時頃、自宅にいた家族に電話をしてみたが、誰もまだそんなに深刻な状況とは捉えていなかった。

夜が明け、朝の5時頃、NHKのヘリが飛んで現地の状況がテレビに映し出された。
いつも通る国道の、見慣れた店の看板。
切れた千曲川の茶色い水の中に飲まれかかっていた。

自宅はこの場所からわずか数キロのところにある。
家族は知っているのか。
思わずテレビの画面を撮り、LINEで送り、電話をかけた。
家の方は停電で、テレビがつかないらしい。
いいから早く逃げろ!と伝えた。

住んでいる地区の、千曲川から遠ざかる方向に小高い丘があり、そこで合流しようと約束。
こちらも一晩の仕事を終え、交代して戻ってみた。

一つ目の画像の真ん中左側あたりに見える、白くて細長い施設は、ニュースでも北陸新幹線の車両が水没している映像がよく映された新幹線の車両基地。

この辺りは千曲川やその支流があふれ、昔からよく浸水した地域だったと聞く。
しなの鉄道の豊野という駅があって、その北側には江戸時代の大水害「戌の満水」で上流から流れ着いた人を供養した碑が残り、地区のあちこちの電柱には、水害発生時の最大水位を示した看板が設置されている。

千曲川の堤防が強化されてきた頃、もともとりんご畑が広がっていた一帯も、土地を分譲して人が住み、人口がかなり増えた。
その間も、昭和、平成で支流の氾濫が度々あったらしい。

昭和の終わり頃に数回あった水害では、我が家は大丈夫だったと祖父から聞いたことがある。
3年前の水害は、その想定を上回った。
長野市が出しているハザードマップで、最悪の事態を想定した浸水域とほぼ近い範囲が水が来た。
「まさか」は起こる、と思った出来事だった。

災害から3年目の夏が来る。
あれから天気予報で警報が発令されると少し心配になり、家の1階のものを2階に運んでみたりしている。
おかげさまで我が家は無事元通りとなって、地域も復興は進んだ。
しかし、特に浸水が深かった地域の一帯では、家を取り壊して以降そのまま空き地になった場所も多くある。

最近では毎年のように起こる風水害を受けて、6月に入ってテレビでも注意喚起や対策に関する情報が発信されている。いいことだと思う。
最近少し忘れかけているような気がするので、書いてみた。

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