Over the Does in Rainbows

薬局で風邪薬を買うたびに、説明良いですか?とレジの人に問われるようになりしばらく経つ。レジの店員さんならまだしも、中には店内放送で担当者まで呼び出されて、晒し者になりながら説明を受けることまである。

市販の風邪薬を用いた、市販薬ODの流行に対して国が対策を打ち説明を義務付けたらしいが、不便で仕方がない上に、1店舗で1点しか販売しないとしても複数店舗回れば手にできるなら意味はあまりないので、やることはやりましたよというアリバイ作りのように感じる。

やらないよりはマシだろうが、本気でODをしたい人なら、手間なんて惜しまないだろうし、メンタルクリニックを梯子して向精神薬を集めるなりなんなり、より負荷の高い薬剤に手を出してしまうようになると思うのだけれど、、、、。

この国はタバコを悪者にする癖に、より事件や犯罪に繋がりやすいアルコールには甘く、むしろ規制や値上げをするなら逆であろうと思ってしまうし、世界的に合法化、非犯罪化が進む緑の麻に対する厳罰がそのままになっていたりと、ずいぶんチグハグなことをやっているように感じるが、市販薬でどうなろうと、それ含め本人の選択なんだけどな。

若年層の間で、手軽にODやトリップ目的の市販薬の濫用が起きているというが、それを広く伝えてしまうのではあまり意味がない。陰惨な事件や自死の詳細を伝えながら、いのちの電話の番号をアナウンスするメディアが顕著だが、ひどい自作自演。

かねてからそれは幾度も繰り返されており、援助交際(いまはパパ活やら私娼化しとるが)にしても、リストカットにしても、限定的であった行為を広めたのは常にメディアである。社会的な意義があったと抗弁するだろうが、広めたことは間違いないだろうに。


オズの魔法使いで歌われるOVER THE RAINBOWは、虹の彼方の夢の国へ向かう歌であり、radioheadのIn Rainbowsは直訳するなら虹の中である。理想の場所に向かうには、七色の渡り難い橋を渡らなければならない。

現実とトリップの間にある苦難の種類を数えることに意味はなく、誰がどのように規制をしても、痛みに対しての逃避を妨げることはどのような形であれするべきではないのだ。それを解消する気もなければ、その覚悟もない大人の論理で手を出すべきではない。

おりしも、君たちはどう生きるかというタイトルの大作映画が公開されているが、眠りが仮死であり休息であるように、生きるためにどのように休息や微睡を得るかを誰かが規定すべきではない。

本気で市販薬ODを減らしたいなら、やるべきは規制でなく、その行為による副作用や弊害のアナウンスと、望むものへのカウンセリングと治療。それをせずに、アリバイ的に販売者にも購入者にも負担が掛かるやり方を選んでいるのは欺瞞だと思う。

ただでさえ、鬱屈や不安を過剰摂取させられる世界で、唯一の逃げ場にさえ規制を設けられる人たちを増やすなら、夢の国でないとしても虹の残像くらいは用意してやるべきだと思う。

OD推奨なんてしないし、自分の選択による結果は自分しか受け止められないにしても、それを中途半端に止めながら何もしない奴が正義面してるのは気持ち悪い。

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