全ては愛(嘘)

愛こそ全てとビートルズが歌ってから、55年の歳月が流れても世界は一向に平和になっていない時点で愛は万能薬でもエリクサーでもないことな証明されているような気がします。

そもそも、愛は概念であり、感情の形容だから、全ての文化に対して共通するものではないように私は思うのです。非キリスト教圏では神の偉大なる愛みたいな感覚はリアリティが薄いだろうし。

愛といっても、別に個人間の恋愛感情を指しているのではなく、より大きな人類愛みたいなものを指して愛こそすべては歌われたのだろうけれど、私見ではより小規模で個人的な感情としての愛情。

マザーテレサは愛の反対は憎しみでなく無関心と言ったようだが、愛憎という言葉があるように反対や反語でなく同じものであるとするなら、確かに憎しみはふさわしくないのか。

相手への興味関心、あるいは執着は愛ではなく恋であり、愛はそれらを超越する素晴らしいものであるみたいな考え方をする人もあるいはおられるかもしれないが、そんなものだったら、もういいってと思う。

相手がこの世界にいればそれでいいってのは、無関心派生の亜種なんじゃないかと思ってしまうし、もしくはよりエゴイズム寄りの自己愛なのかもしれない。

まあ文明が発達して、文字が発明されて、後に残る形で何百年か、あるいはそれ以上の期間を過ぎても、ああでもないこうでもないと、さんざ語られてすら解明されないのだから愛も恋も大した存在ではあるのでしょうよ。


日本に関しては、愛しいと書いて(かなしい)と読む文化もあるようだし、そもそも愛という感情は舶来品であって、日本的にはお慕い申し上げると言う方がリアルだったものがLOVEに染め上げられた感じなのかもしれませんね。だから、愛文じゃなくて恋文なのだろうし。ラヴってのも様々な意味を飲み込んだ蛇みたいだ。

古今東西の文学は愛と憎しみとセックスとカネにまつわる話ばかりだけれど、逆に言えば生きている限りはそこからなかなか逃れることができないと言う証明でもあるような気がします。

けれど、それがないからといって人生を楽しく送れないなんてことはないし、さとり世代→Z世代という世代の移り変わりによって、そこに対する執着が薄くなっている人の割合は増えていっているようなデータもある模様。

30代でも恋愛をしたり、彼氏彼女がいたことも、性交渉をしたことがないとアンケートに回答する人も多い感覚があるが、利き方とか何を求めているかみたいな空気で誘導しているパターンもあるからな。

とは言え、機械で行う仕事が増えたり、インターネット上での関わりが増え、音楽に関してもフィジカルより配信がメインになるなど【肉体的】なものよりヴァーチャルが幅を利かせている現実とそれはリンクしているのかもしれない。

ではその分、精神的なものを追い求めている人が増えているかといえば、あまりそうは思えないんだよな。愛という言葉で麻酔をかけて、見たくないものを見ないようにしたり、あるいは明日を生きる希望の代替え品にしていたものが、魔法そのものを否定して、最初からどこも見たくない人が増えたような、、、。

とか頭で考える自分もまた、似たような愛を知らない迷子ちゃんなのかもしれませんが、全てを愛に捧げるのも委ねるのもおっかないんだよな。

そう思える人に会いたいような、わからないから全てじゃなく割合増やしたいねと通じ合える人に会いたいのか。後者なら嬉しいよな。全てを信じられなくとも、全てを諦められはなかなかできないのだから。

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