死なない音楽

ミュージシャンの訃報が多い年だ。毎日が誰かの誕生日で、毎日が誰かの命日だとしても、今年は偉大なミュージシャンが旅立たれるニュースが多すぎる気がする。

27CLUBが顕著だが、若くして亡くなったアーティストは神格化されやすく、その作品そのものの評価に一つ余計なものが追加されてしまいがち。

ある意味で仕方がないことなのだけれど、シンプルに胸躍らせ、魂の沸点を下げるような素敵な音楽がそれ単体で評価されないのが勿体無いと思ってしまう。


よく、アーティストが亡くなっても作品は死なないという言い回しがあるし、私も使うことがあるのだけれど、人間が本当に死ぬのは自分のことを知っている、覚えている人が1人もいなくなった時だ理論で考えるなら、アーティストは一般人よりも魂の寿命が長いのかもしれない。

俗に知る人ぞ知るアーティストだなんだと、ヒットしきらなかった奇才、あるいは鬼才に対して掲揚することがあるけれど、サブスクや電子的なアーカイブス、SNSなどによる情報の拡散や飛散を考えると、かつてのアーティストたちはネクロマンサーに召喚されたアンデッドか、データを組み込まれてサイボーグ化されたアンドロイドのようではないか。

現代ではAI技術で、亡くなってしまった方の声データをサンプリングして新しい曲も作れてしまうけれど、それは素材を利用した誰かのリミックスというギミックでしかなくて、その人の新曲と呼ぶのを躊躇してしまうけれど、先日書いた盆に亡くなられた方が短期間だけ戻ってくることと繋げると、簡単に否定することも寂しいような気もする。難しい。

SNSやサブスク、あるいは素材をデジタルリマスタリングで蘇らせた古いライブのドキュメンタリーと、過去のバンドやミュージシャンに触れる機会は昔に比べて非常に増えていて、それはそれだけバンドの忘れ去られる時間を先延ばしている。

もしかしたら、クラシックの作曲家のようにビートルズも地球が滅びる日まで誰かに記憶されるのかな。その歴史の影で埋もれていた、あまり知られていなかったバンドの曲がある日、陽の目を見るなんてことがあったらいいな。伊坂幸太郎さんのフィッシュストーリーみたいに。

人は生まれたら必ず死ぬし、生きている間に出会える音楽には限りがある。自分が見知らぬけれど、誰かに愛され続けているそんな素敵な音楽と出会うために、音楽を殺さないように自分の人生を送っていけたらいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?