働く意味は・・・生きる意味は・・・
40歳代の頃は仕事に熱中していました。
毎晩終電という日々がありました。
それでも差ほど苦にはなりませんでした。
休みの日は午前中は寝ていて、午後も仕事をしていました。
仕事の成果を上げるためには、自宅に持ち帰って仕事をしていました。
出世をしたいということよりも、仕事の成果を出さなければ会社が継続できない義務感でした。
部下も一緒になって一生懸命働いていました。
同じ価値観を持つ部下と働いているときには、私の部下からの評価も高かったです。
何度か転職して、違う会社で働いていると、さまざまな働く価値観がいろいろあることを感じます。
産休・育休をめいっぱい使って働く時短勤務のお母さん。
退勤時間にぴったり帰ります。
子どもが熱を出したから突発的に休みます。
どんなに重要な仕事があっても休みます。
仕事よりも子どものほうが大事です。
旦那さんが休むという選択肢は無いようです。
私は第一線で働いていないので影響は無いのですが、現場の社員はたまったものではありません。
戦力として数えられないからです。
仕事自体には何の意味もありません。
成果を上げるためにやるべき仕事は決まっています。
その仕事をどう捉えるか。
会社の存続のために仕事に必死に向き合うか?
自分の生活の糧のために、言われたことだけを淡々とこなすか?
生きることも同じだと思いました。
目の前の現実には何も意味はありません。
ひょっとすると生きる意味など無いのだと思います。
生きることに「意味付け」をするのは自分です。
私も61歳になり、人生の第四コーナーを回りつつあります。
これまで通りの意味付けで良いのか?
私はこれまで目の前のことに全力投球してきました。
それとも第四コーナーからは違う意味付けにするのか?
未だに迷っています。
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