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「寺田寅彦の『科学者とあたま』から生成AI時代に学ぶこと」

科学者とあたま」という随筆が書かれてから、もう90年が経ちます。寺田寅彦がこの文章を発表したのは昭和八年(1933年)のことです。科学の進歩や社会の変化にもかかわらず、この随筆が持つ洞察は今なお新鮮で、私にとっては座右の銘ならぬ「座右の文」として心に深く刻まれています。

この随筆を初めて読んだとき、科学者にとっての「あたま」の良さと悪さという一見矛盾する命題に驚かされました。寺田寅彦の洞察は、科学的探求の本質を鋭く突いています。論理的思考や直感の重要性を認めながらも、普通の人が見過ごすような疑問に執着する愚直さの重要性を説いている点に、深く感銘を受けました。

この文章は、私が迷いや壁にぶつかったときに何度も読み返しています。時折、自分が理論や計画に捉われすぎていないか、自然や現象に対する謙虚さを忘れていないかを確認するためです。寺田寅彦の言葉は、科学者としての私の姿勢を見直す良い機会を提供してくれます。

また、後輩にこの文章を渡すこともあります。後輩たちには、ただ論理や知識を追求するだけでなく、自然と対話し、時には愚直に挑戦する姿勢の大切さを知ってもらいたいからです。「科学者とあたま」は、彼らが自分自身の考え方やアプローチを見直すきっかけになればと願っています。

さらに、この文章にはもう一つの重要な洞察が含まれています。科学は「格物」の学であり、「致知」の一部に過ぎないということです。寺田寅彦は、科学が人間の知恵の全てではなく、ウパニシャッドや老子、ソクラテスの世界、さらには芭蕉や広重の世界との通路を持たない現状を指摘しています。この視点は、私にとって非常に重要です。ソニー創業者の井深 大氏も「21世紀はこころの時代です」と洞察を示されていました。

科学の探求は、自然の現象を理解するだけでなく、人間の精神や哲学、芸術との対話を通じて、より深い知恵に至るべきだという考え方を再認識させてくれます。

現在、AIの発展を願う科学者たちの努力の集大成が、短期的には人の仕事を奪うという理不尽な現実に直面しています。この「科学者とあたま」は、そんな時にこそ私たちに大切な視点を提供してくれます。

寺田寅彦の「科学者とあたま」は、これからも私の「座右の文」として、そして後輩たちへの贈り物として、大切にしていきたいと思います。


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