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【ネタばれありです】『シン・エヴァンゲリオン劇場版』への恨み言

※『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレ全開です。
※大人になりきれてない気持ち悪い奴のただの恨み言です。
※なお、映画としては充分楽しみました。映像はカッコいいし、エヴァらしさもちゃんとあり、謎部分の考察も楽しめそうで、かつスッキリわかりやすく終わらせるラストでした。








学校時代に趣味が合ってよくつるんでて、
なんとなく年賀状のやりとりは続いてた同級生と、
「俺らまだまだガキだよな」と笑いあえると思って行った同窓会で、
「いやー、去年子ども生まれてさ」と他の同級生と心底幸せそうに盛りあがってる、
そんな姿を見た時の疎外感。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見終わったときの正直な感想が、これでした。


エヴァ放送当時がちょうど中二。
暴走する初号機のカッコよさにシビれました。
といっても、そこまで熱心にハマったわけではなかったんです。
TV版の最終回は意味不明。
旧劇場版は、「こんな時どういう顔をすればいいのかわからないの」状態。
誰かがネットに書き込んだ考察を読んだりして、「はー、なるほど?」なんて思ってるくらいのライトなオタクでした。

青春時代のほんの1ページで、自分にとってそこまで大切な作品というわけではなかったはずなんです。今回も、友人に誘われなければネット配信が始まるまで見なかったんじゃないかな。そのくらいの距離感でした。


結果として、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に思った以上のショックを受けたみたいです。

正直、エヴァでこんなどストレートに「虚構と現実の区別をつけて、大人になれよ」と言われるとは思ってなかったんですよ。

「恋愛っていいぞ」
「結婚して子どもをつくるのが幸せ」
そんな“普通”の価値観でエヴァが〆られるとは思ってなかったんですよ。
そんなよくあるキレイゴト、今までの作品とは逆じゃないんですか?


ヤマアラシのジレンマで傷つけあって、ATフィールドで他人を拒絶しあって、人と人とは分かり合えないのが当たり前。

そんな世界に傷ついて悩む、およそ主人公らしからぬ“普通の少年”のシンジくんに共感してたんですね、私。「そんな仕組みの世界の方がまちがってる」と言い訳できることが、ある意味救いになってたんですね。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは、自分も知りませんでした。


なのに、シンジくんは大人になっちゃったんですよ。
ていうか成長したらちょっとチャラい陽キャじゃん。
とても主人公らしく、強い決意をもった存在でした。

レイですら、働くことや人と触れ合うことに喜びを見出してるし。
「碇くんを好きで幸せ」なんてことまで言いだすし。
アスカはムチムチセクシー美女になっちゃったし。ケンケンめ。
カヲルくんは、まああんまり変わってなかったかな…。
とにかく、チルドレンはみんな遠い存在になってしまいました。


成長した彼らには、もう共感できません。
私が共感するべきなのは、虚構の世界にひたっていたかったのにシンジくんから「大人になれよ」と言われてしまったゲンドウの方でした。「自分が家族や子どもをもつなんて、怖くてたまらない」というゲンドウの方でした。居もしないユイに焦がれるのはやめて、電車を降りないといけない存在でした。
ちっとも普通じゃありませんでした。
なんなら世界の敵でした。

虚構と現実の区別はついてるつもりだったのに、今は自信がありません。
上でも書いた通り、私にとってエヴァという作品はそんなに重要な存在ではなかったはずなんです。でも今、こんな記事で恨み言を吐き出さずにいられない程度にその存在がのしかかってきています。


深読みすれば別のメッセージがあるのかもしれません。
でも、エヴァでこんなにわかりやすくテーマをぶつけられたことって今までなかったじゃないですか。深読みして考察するのは、ちょっと私にはムリみたいです。
『Q』から焦らされて、期待を高めていた初号機のアクションシーンですら、「虚構の茶番だよ」と強調されてしまいましたし。

私には、大してしゃべったこともないのに最強進化したエヴァンゲリオンで助けに来てくれる、“胸の大きいイイ女”なんていないんです。
「父さんはなにもわかっていないんだ」とネルフ本部の上で地団駄踏みたいところですが、エヴァはもういません。
ゲンドウは「世界は都合よくできてないんだから大人になれよ」とシンジさんから言われてしまいましたが、世界はシンジさんに都合よくできてるみたいなんです。


「大人になれよ」のメッセージ、10年か20年は遅かったです。


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