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必ずしも凄い写真を撮ろう、上手くなろうと思わない方が写真を楽しめる

Instagramが流行ってインスタ映えと言う言葉がマスコミで持て囃され、レンズ交換式カメラだけでなくスマホでの撮影でも、凄い写真を撮ろう、写真を上手くならなきゃと思ったり、目指す人が増えたと思う。

写真に限らず、何かを上達しようとすると努力が必要になり、それは人間的な成長や人生を充実させるものになると思います。

しかしスポーツが必ずしもどんどん上手くなって、それこそプロを目指すことだけが目的ではなく、健康維持・増進や、レクリエーション、友人関係作りなど、多様に目的があるように、写真も多様な楽しみ方があると思う。

スポーツでも音楽でもあらゆることに才能の違いや環境の違い、経済力の違い、時間の余裕などで、客観的な上手さや楽しみ方が変わってくる。

犬の散歩にカメラを持っていくことで、いつもの近所の風景に様々な魅力を発見していく。変化に気がついていく。そこに必ずしも感動的であるとか、心を震わす瞬間である必要があるだろうか?感動的な写真や心を震わす瞬間ばかり狙ってカメラを持って散歩していたら心が疲れないだろうか。
感動的な写真、心震わす写真、即ちそう言う光景が日常でそうそうあるものじゃないしテクニックだけで撮れるものではないと思う。その結果
嗚呼今日も感動的な写真が撮れなかった。心震わす写真が撮れなかった。
となってしまうと思う。

スポーツが健康維持・増進や仲間作り、スポーツすることがレクリエーションとしてそのまま楽しいことと同じように、気軽に写真を撮ることが楽しみでいいと思う。
それがフィルム写真と違って気軽に沢山撮れて直ぐに写真が見れる、SNSやブログに投稿できるデジタル写真のいいところだと思う。

雨上がりの散歩途中で

凄い写真を撮ることで自慢したいという自慢したい気持ちは人間の根源的な欲求であり自然だと思う。だからそれを追求するのは当然の気持ちであり個人の自由だと思う。
ただ、それを追求しないのも個人の自由であり、凄い写真でマウント取ってくる人物には嫌だなぁ思うのも自然な気持ちだと思う。

自分の子供写真がどれも大切なように上手い下手ではなく写真を撮ることそのものを楽しむことをずっと続けられることが良いかなと思ってます。

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