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スケボーと僕を結びつけるもの

【はじめに】

POPEYEの特集が「スケートが教えてくれること」ってタイトルだったからwebで少し内容を見た。それをきっかけに自分とスケートボードの関係を改めて考えてみた。
どうしてスケボー始めたのか、僕が好んでいる音楽との関係性、そしてこの先のこと。
POPEYE

【始めたきっかけ】

をずっと思い出せずにいたんだけど急に記憶がフラッシュバックしてきて、バンドスケボーが同時に僕のところへやってきたというのがほぼ正解だと思った。多分1988年頃。栃木県宇都宮市に住んでいた。
中学に入学してすぐに知り合ったマコリン(男子)に半ば騙されて(笑)ドラムを叩き始めた。そのバンドのことは鮮明に覚えている。近しい先輩が以前、「マコリン、スケボー上手だったよね」って思い出話をしていてその時は「あいつ、スケボーしてたかな?」くらいに思っていたけど、マコリンがスケボーしてたから僕も始めたんだって思い出した。

【バンド】

は夢中になってやっていたけど中学を出る頃には多分スケボーはしてなかった。その頃好きだったスケーターはスティーブ・キャバレロトニーホークだった。映像は手に入らないから本の上だけで彼らのプレイを想像していた。というよりデッキのグラフィックか好きで記憶していたのかもしれない。

時系列が行ったり来たりするけど、僕はいわゆる塾に通ってスポーツよりも勉強をしてきた真面目なタイプでマコリンは髪をDep(当時流行っていた海外のジェルタイプの整髪料)でツンツンに立てて学ランの中には赤いTシャツを着てるようなタイプ。とにかく僕には彼がカッコよく映って、そしてどういう訳か真面目タイプの僕を同等な友人として受け入れてくれていた。共通点と言えばうちもマコリンのとこも母子家庭だったことくらいか。当時、僕は自分から何かを発信するようなタイプではなかったから彼の影響でスケボーに乗ったことは確かだ。

【時は過ぎて】

僕は東京都世田谷区にいた。僕に最初にスケートボードとバンドを教えてくれたマコリンは、不慮の出来事でこの世を去っていた。しばらく会っていなかったことをとても後悔した。このことを思い出すのが嫌でスケートボードとの出会いを忘れていたように思う。

【下北沢】

ちょうど2005年頃、それまでやっていたバンドが解散してフラフラしていた時、アパート近くのライブハウスのマネージャーに「こういうの好きそうだよね」って言われてトミーゲレロを初めて聴いた。それまで好んでいたギターポップとはまったく違ってシンプルなビートの上でシンプルなギターのフレーズがひたすらループしてフェイドアウトしていくような曲が何曲も続く。不思議と退屈ではなくクールさの中にどこか寂しげな憂いのようなものが見えてすごくハマった。しばらくして彼が凄腕のスケーターだということも知り、そこで僕の中で音楽とスケートボードが再び同時に訪れた。その後もG.loveジャックジョンソンCaravanなどを好んで聴いていたけれどスケートボードは再開しなかった。

【高円寺】

同じ頃に高円寺の20000ボルトというライブハウスの音響に8年ほど携わっていて、そこでハードコアパンクスラッシュメタルノイズコアグラインドコアなど様々なエクストリームミュージックと出会った。色んなタイプのバンドマンが出入りしていたが、「売れて食えるようになりたい」っていうバンドマンじゃなくて、生き方がバンドでのスタイルに直結している人ばかりだった。ミレニアムを過ぎた東京でこんな人達がたくさんいることに衝撃を受けた。アキラみたいな世界観が日常的にそこにあった。そして一部の80'sスラッシュやスカパンクなどを好むバンドマンは楽器を担ぎながらスケートボードでライブハウスに来て、自分たちのリハが終わるとフロアでフラットトリックをして楽しんでいた。今、考えるとこの頃スケートボードを再開していたらもっとたくさんのことを知れていたと思う。

【pennyでスケボーを再開】

東京で好きな音楽カルチャーに触れてそして色々なことがあってボロボロになって「もう都会はいいや」ってなって今は長崎に住んでいる。僕と同世代の人は10代にスケートボードに触れた経験がある人が多くて、今から2年前、47歳の時に人の勧めでpennyに乗り始めた。33年経っていた。
それからは今近しい皆さんは大体ご存知だと思うけど、乗り始めて二週間で捲られて右腕手首側の橈骨を折った。そしてそれがきっかけで重心や体の軸、本当に基本的なデッキの上での姿勢を体に叩き込んだ。生憎そのpennyは僕が少し目を離した隙に盗難にあい、誰かの元へ旅立った。そしてコロナ禍にオンラインで知り合った方達が共同出資して同じpennyを僕にプレゼントしてくれた。それが現在も乗っているpennyです。

真面目タイプだった僕はマコリンのおかげでスケートボードとバンドに出会った。そしてカウンターカルチャーや、社会をいい方向に変えていくために現状を変えたいという考え方、が好きだ。迷惑ものに思われているスケートボードの表現にはその力があると思う。好き勝手に滑ってもいい、とは思わない。しかし、スケートボードはただのスポーツやコンテストの対象というだけではなく、様々な環境の様々な人間の思いが詰まった紛れもないカルチャーだと感じている。

こうして、今は僕のライフスタイルを表現する上でスケートボードが欠かせないものになった。書き出してみると、スケートボードに乗ること自体は33年ブランクがあったけれど、常に音楽と共に僕のそばにはスケートボードカルチャーがあったのだと気付いた。僕は乗るべくして乗っているのだと思っている。

そして、ささやかながある。

自分がボードに乗っていられる年齢のうちに、息子と2人で夕暮れのベニスビーチでクルージングしたい。これを目標にpennyやスケートボードの魅力を自分のスタイルで発信していこうと思う。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

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