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他人の窓が見たい (往復書簡11)

このnoteは雨宮真由、斎藤見咲子、坂中真魚による公開書簡シリーズの11通目です。今回から「窓」がテーマです。

坂中真魚から、雨宮さんへ

小学生のとき「プロフィール帳(プロフ帳)」って流行りませんでしたか?
ひとり1枚ずつ書いてクラスメイトと交換する、自己紹介カードのようなものです。
調べたら今でもあるらしいです。すみっコぐらし柄とかで。

「いちばん好きなテレビ番組は?」という項目に「世界の車窓から」と答えたのを覚えています。渡したら相手に微妙な顔をされたので覚えている。

テレビとしては地味だけど、知らない国の、知らない場所の景色をみるのはとても面白いですよね。一生訪れないかもしれないし、ひょっとしたら行くことだってあるかもしれないし。

最近は「Window Swap」というサイトをみつけて、ぼーっとしたいときによく眺めています。知らない人の部屋の窓からの風景と、風の音、雨の音がきもちいい。おすすめです。(この記事のトップ画にスクショを貼りました)

ホテルに泊まるのも好きです。自分のものではない部屋の窓から見下ろす街は、知っている街でも、ぜんぜん違う場所に見えて比喩ではなく瞳が明るくなる気がします。

短歌の窓

なぜ短歌が好きになったのかなと考えたとき、短歌は窓に似ていると思いました。知らない人の目や耳や皮膚をとおした感覚が認知と言語で変換されて差し出されている。誰かの家に遊びにいくときみたいに空間が新しく構築される。

わたしは日常生活で「共感」があまりできません。感覚を信じていないというか…自分の感覚が自分以外にも面白いものだとはあまり思っていないんだと思います。わたしとあなたは別のもの、という気持ちが強くあります。

会話の中で固有の一つのエピソードを「わかる〜!」と思うことはあるけど。自分が誰かを(または、何かのコミュニティを)レペゼンできるぜ、と感じたことは一度もないです。だから他者をわかりたくて他者の窓を見たがっている気がします。他者はいつも私にとって面白いものなので。

物理的な「窓」の話だけをするつもりだったのに、窓は目とか心とか、いろんなものの比喩になっているので混線した手紙になってしまいました。
雨宮さんにとって窓とはなんですか?

列車より見ゆる民家の窓、他者の食卓はいたく澄みとおりたり
/内山晶太『窓、その他』


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