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ほんで何やっけ?

休職中をいい事に、本を読み耽り飽きれば映画を観漁る最高の生活を続けている。
本に関しては積み本が読了してしまったので、社会復帰とともに本屋へ走るとしよう、本はやはり本屋でぐずぐずと屯して選ぶのに限る。

たまに、無理矢理にでも感情を昂らせたくなって映画を選んだりする。日常生活であんまり感情が昂ることがないから、映画や漫画や小説を使って手っ取り早く昂りたい。
映画は常に感情で選ぶ派。

大人になって思う事は、時間が平坦になってしまった事。
昔はもっと普通に生きてて、泣いたり憤ったりときめいたのになぁ、と散歩のついでに野に咲くタンポポに話しかけたりしている。
昔は見つけた端から綿毛を摘んでは、ふ〜っと息を吹きかけて飛ばしたりしたが、大人になってしまった私はもうそんなお転婆な事が出来ない。
犬の散歩コース上にあるタンポポの綿毛のファンキーな部分を知ってしまったからだ。
ユスリカも頭の上に集まって来たし、そろそろ行くか。と、視線を上げたら、目の前にキジがいました。
春ですね。

立派なキジの雄でした

戌年の私を犬と見立てて、ここに猿もおったら後は桃太郎待つのみやな。でも猿の生息地じゃないんよなぁ、この辺。
百歩譲ってこの辺りが実は猿の生息地でもあり、無事に猿とも合流出来たとしよう。
しかし桃太郎の生息地がわからない。
岡山?岡山県が有力?新幹線で行く?そうこうしてたら休職終わる可能性あるな。
そっからの鬼ヶ島はハードやな。行く、戦う、帰る・・・吉備団子の賞味期限も気になる、最近あったかいし。その後の身の振り方とか・・・

うっかり出会う前に家帰ろう。


雨が暫く続いたせいか虚脱感が酷く、空しい気分だった。
そんな日はメランコリーに任せて物悲しい雰囲気の映画を観ようと思い、選んだのがアニメーションの
「天使のたまご」
監督は押井守さん。
雰囲気で選んだところもあるけど、1番興味を惹かれたのが

根津甚八

の一言でした。
え?根津甚八って、俳優の根津甚八さんよな?声優として参加ってこと?
私の中の根津甚八さんって映画「梟の城」しかあらへんねんけど。
なにこれ、ごっつこと気になる。
空々しさどこ行った?な即決定ぶりでした。「根津甚八」というパワーワード恐るべし。

時間は夜の9時。まだまだ宵の口と、再生して早10分で夢を見てました。
いかんいかん、とお茶を一口飲んでまた10分で
考え事をしてiPadを開く。
さらに10分、やっと主人公の少女と、根津甚八が会話をする。
その後も暫く見続けるが、放送事故かな?って思うくらい同じシーンが少しずつ変化したり、自然が騒めいてたり。
見終わった後に、ほんでなんやっけ?と独り言がでる。

これは。
観る手に委ねるフリして、ただ作り手がやりたかった事を詰め込んだ映画かな。

作品を観て面白い!と思えるのは、映画や小説、漫画等はある程度「観る側」のことも考慮されているからだ。
だがこれはそれを全く無視している。

よく人は「あの人は私を全く理解しない」とぼやくけど、まぁそうだろうなぁって思う。
だって、人が考えている事なんてわからないし、どれだけ簡潔に全てを語ってもらったところで全部を理解出来ない。
更に聞いた人の主観が入るから、結局のところ理解したとて「聞いた側の理解」になるので、違う所に収まって当然に思うのだ。

たまに「観る側」を全く意識していないであろう作品に出会うと、私はそれを思い出してしまう。
丁寧に映像化された脳内を覗いても、やはり理解は追いつかず、結局「?」なのだ。
ある程度、的を得ていたら許してほしい。


深く考えずに映像美と、根津甚八と、人の脳内を覗いている感覚を堪能してそのまま気持ちよく寝ました。

キャラクターデザインは天野喜孝さん

後で少し気になって検索してみたら、生命の神秘とか、聖書を引き合いに出したりと、皆さん熱心に考察されてた。
それだけしっかり理解を深めようとする心遣い素敵ですな。

ほんで何やっけ?あ、根津甚八さん。
梟の城、もっかい観たくなりました、ニンニン🥷

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