イスラム移民はネトウヨの上位互換


シリア紛争を機にヨーロッパで急増したイスラム移民。
ロシアによるウクライナ侵攻でポーランドになだれ込んだウクライナ避難民。

イスラム移民によるテロが発生したり、何かと問題が表面化するヨーロッパでは反イスラム移民感情が高まりつつあります。

対してポーランドではウクライナ避難民に対し同情的な意見が多く、支援はこれからも継続されるようです。

この両者には、シリア紛争を機にヨーロッパに押し寄せたのはイスラム移民であり、ポーランドに来たのはその大半がウクライナ人でイスラム移民ではなかったという違いがあります。

ではなぜイスラム移民はヨーロッパで問題を起こすのか?

ここからはいつものように中卒の妄想タイムが発動します。

イスラム教の教え

イスラム教において棄教は許されていません。
「棄教」とは「棄てる」レ「教義を」という意味です。
つまりイスラム教徒であることを止めることは許されないという事です。
どう許されないかと言うと、シンプルに死刑です。

更にイスラム教において多神教は敵であり、イスラム教以外の一神教は奴隷です。
イスラム教徒の男性は非イスラム教徒の女性、言い換えれば奴隷と結婚することは出来ます。
イスラム教徒の女性は非イスラム教徒の男性と結婚することは出来ません。
両者の間で性交渉があった場合、イスラム教徒の女性を相手にした非イスラム教徒の男性は死刑。
非イスラム教徒の男性が死刑になる以上、イスラム教徒の女性は婚前交渉をしたとみなされるため死刑です。

しかし、これらをどこまで厳格に適用するかは国や地域によって違います。
これらのイスラム教の戒律を破ると公的に罰せられる国もありますが、トルコのように政教分離を宣言している国ではこれらの戒律を破っても公的に処罰されることはありません。(もちろん、民間レベルでどう扱われるかはわかりません)

イスラム教徒は生まれながらにしてこういった厳しい戒律に縛られています。
イスラム教徒自身がそうは思わなくとも、戒律に命を握られていると言っても良いでしょう。

ここでヨーロッパのイスラム移民に戻ります。
ここで「イスラム移民」と書いているのは、彼らは必ずしもシリアからの避難民ではなかったからです。
シリアからの避難民はイスラム移民全体の三割ほどで、他はシリア以外の北アフリカや中東からの移民だったからです。

こういった国々は開発発展途上国や新興国で豊かな国とは言えません。
そしてヨーロッパに流入してきた移民はそう言った豊かともいえない国の中でも更に社会的底辺に属する人が多かったでしょう。
言い方は悪いですが、私の様な中卒底辺が多いでしょう。

裕福なイスラム教徒や社会的に高い地位にいるイスラム教徒はそこから自己肯定感を得ることが出来ますが、中卒イスラム教徒はどこから自己肯定感を得るでしょうか?

それは、イスラム教です。

彼らにとってイスラム教は最強です。
なぜならば、彼らにとってイスラム教は「棄教は死刑」という自身の命を左右する戒律だからです。
自身の命を握っているイスラム教は最強でなくてはいけません。
イスラム教が弱いと、それに命を握られている自分も弱いという事になるからです。
それにイスラム教が多神教を敵として、一神教を奴隷としているのです。
「イスラム教は最強」であり「自分はイスラム教徒」であり「自分は最強」なのです。
そう「日本スゴイ」→「オレ日本人」→「オレすごい!」というネトウヨ思考にそっくりなのです。

引きこもりで海外に出ることなどあり得ないサイバー世界に住み、失うものを持たないネトウヨと違い、命を握られている中卒イスラム教徒は住む世界を海外に移してもその本領を発揮します。

しかしこれだけではいかに中卒イスラム教徒と言えど多勢に無勢、ヨーロッパ市民に押しつぶされてしまうでしょう。

そこで彼らを助けた、という言うより冗長させたのが「多文化共生」というお題目です。
多文化共生とは言いかえれば「郷に入りては郷に従え」であるべきです。

例えば、イスラム教と言えば豚肉を食べないことを広く知られています。
イスラム教徒が日本に来て「トンカツは食べない!」という主張するのならそれは尊重されるべきです。
しかしイスラム教徒が日本に来て「日本人はトンカツを食べるな!」と主張するのは間違っています。

しかし多文化共生というお題目は彼らイスラム移民に「トンカツ食うな!」と叫ばせる自由を与えてしまっているように思えます。
当然そこには軋轢が生まれ、更にはイスラム移民を増長させる結果を産んでいるように思えます。

信教の自由が基本的人権の重要な一つとなっている国に、信教の自由は死刑とする人たちをそのまま受け入れて問題が発生しないわけがないのです。

もちろんイスラム移民が一方的に悪いわけではありません。
シリア紛争以前のヨーロッパは「反移民」「反イスラム」が主流で左翼大国フランスで「ヒジャブ禁止」などと言う明らかに信教の自由に反している排他的な法律さえ制定されるほどでしたし、ヨーロッパが「安い労働力」としてイスラム移民を受け入れていたのも事実です。

イスラム移民を安い労働力と捉えるヨーロッパ市民と、ヨーロッパ市民を奴隷と見るイスラム移民。
そりゃあ上手くいかわけがないよ。

私が思うに現在ヨーロッパで起きているイスラム移民による問題の原因は間違った「多文化共生」というお題目による中卒イスラム移民の増長によるものだと思います。

シリア紛争

シリア紛争とは2011年に発生しました。
当初はデモに過ぎなかったのですがいつの間にかに内戦へと発展し、ロシア(シリア政府軍)とアメリカ(反政府軍)の代理戦争の様相を呈し、イスラエルやトルコ、フランスやイランといった国々、反イスラエル勢力やクルド人武装勢力にISILなども加わり、それぞれの利害関係もあり、まさに泥沼と言った状況です。
これは現在、パレスチナの味方をするつもりはなくともイスラエルが勝手に世界の敵となりつつあるガザの惨劇、報道も激減し半ば忘れ去られつつあるロシアによるウクライナ侵攻と同じく、シリア内戦もバリバリ継続中です。

シリア紛争とロシア侵攻に対する日本の対応

日本にはシリア紛争から100人未満、ウクライナからの1000人以上の避難民が来ています。
日本での彼らの扱いはあくまでも「避難民」であり「難民」ではありません。
彼らが「難民」と認定されれば日本で「健康保険」や「年金」と言った社会的な保障を受けることが出来るようになり「永住権」をゲットすることも容易になりますが、おそらくそれは簡単ではないでしょう。

ウクライナ避難民に対するポーランドの対応

シリア紛争が起こるとイスラム移民に寛容になったヨーロッパですがポーランドは「反移民」を貫いていました。
しかしロシアによるウクライナ侵攻により避難民が大量に発生するとポーランドはその玄関口としての役目を果たすようになりその費用だけでも膨大なものとなりました。
当初は直ぐに収まると思われていたロシアによるウクライナ侵攻ですが未だ継続中でポーランドには1000万を超える避難民が逃れてきてポーランド国内には200万とも言われる避難民がとどまっています。
人口4000万に満たないポーランドがそれらに支出する費用は国家予算の10%に及ぶとも言われており当然、ポーランド国民の生活にも影響を及ぼしているでしょう。
しかし、ポーランドの国民感情はウクライナ避難民に同情的で支援は継続されています。

中卒のオマケ

私はよくタイに行くのですが10年以上前にタイで見たアラブ人と言うのは比較的裕福そうな人が多く、彼らは物静かでマナーが良かったです。
しかし最近では庶民と言った感じのアラブ人が増え彼らのマナーは良くないです。
ホテルで寝ようとすると叫び声をあげながら廊下を走る騒音が聞こえ、ドアを開けるとアラブ人の子供が廊下を走り回っています。
更には開け放たれたドア越しにアラブ人同士が大声でしゃべっています。
ホテルの外の喫煙所でベンチに座ってタバコを吸っていると激しい貧乏ゆすりでベンチを揺らすアラブ人がいました。
目の前の、灰皿ではないゴミ箱に吸殻を投げ捨て煙幕を発生させるアラブ人を見ました。
少し手を伸ばせば届くであろう灰皿ではなく、足元に吸殻を捨てるアラブ人さえいます。
彼らには「ゴミ箱」と言う概念がないのかもしれないと思いましたし
(ああ、少し前によく見たな・・)と私は思いました。
それは中国人です。
中国人も似たような思考を持ちます。
中華と言う言葉は「世界の中心で咲くオンリーワンの華」という意味です。
「中華スゴイ」→「オレ中華」→「オレすごい」という考えなのでしょう。

世界には今「グローバル化」と言う波が押し寄せています。
これにあがらうことは難しいでしょう。
しかし「多文化共生」という考え方は「郷に入りては郷に従え」でないと世界はドンドン乱れていくでしょう。

多文化共生とは「トンカツを食わない!」自由であり
「トンカツを食うな!」と叫ぶ自由であってはならず
「トンカツを食え!」と強制することであってはいけないのです。


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