著者経歴

こんにちは。PMPの旅渡です。
今回は私の経歴を紹介したいと思います。

大阪生まれ大阪育ち。氷河期世代
親が装蹄師だった事に影響を受け、高卒後は装蹄師の道を目指す。
装蹄師とは馬の蹄を削り、蹄鉄を付ける職業です。
競馬関係が多いですが、私は乗馬クラブを回るフリーの装蹄師でした。
このあたりの話は長くなるので装蹄師時代にまとめています。

大学時代

装蹄師を辞め、年齢的には3浪状態の21才で大学へ入学。
改めて大学に入った動機は以下の3点です。
・体を使う仕事に体力の限界を感じて辞めた。
 腰を痛めたのも理由のひとつです。
・漠然とコンピュータには興味があった。
 中学校時代からMS-DOSやバッチファイルは作れていました。
・就職するには新卒カードが欲しかった。
 高卒では得られる職は限られている。

高校時代の同級生と比べてしまい、
人生遠回りで出遅れているような焦りを感じていました。
遅れを取り戻すべく浪人はせず、ストレートに入れる大学を選択。
3年の社会人経験で社会人枠入試のある大学を受験しました。
当時は自分自身にも能力にも自信がなく、
高校時代の受験可能校より大幅にレベルを下げての受検でした。
当時はITバブルで起業ブームでした。
起業すれば学歴なんて関係ないと信じて、情報工学を本気で学びました。
在学中にIPAの基本情報技術者試験に合格しました。

新卒時代

時は就職氷河期真っ只中。
多くの企業を受けましたが、E,Fランクの大学で内定は出ませんでした。
リ○ナビ学歴フィルターでまともな求人すら出てこない状態でした。
唯一決まったのがコピー機の商社を営む中小企業でした。
技術職採用でソフト開発部門に配属され、
毎日終電まで残ってソフト開発に携わりました。
長時間労働で体を壊してしまい退職しました。

派遣社員時代

2ヶ月の無職+アルバイター生活を経て
大企業内に社員を派遣する会社に登録しました。
派遣先はゴールデンタイムにTVCMを長年続けているIT系の大企業です。
派遣先の厳しい社員からのパワハラを受けながら仕事を覚えました。
正当な厳しさ3割、不合理な厳しさ7割でした。
ここを去ることになっても、
他で通用するスキルと知識を得ようと食らいつきました。
声は出せないけれど、そんな扱いをされるのを見ている社員や派遣仲間が、そっと助けて下さることも何度かありました。本当に感謝です。
僕の成果を横取りする派遣社員も居ました。
自分の要領の悪さを呪いました。

次第に大きな案件も任せていただけるようになり、
これらの経験、実績が認められ、派遣元の正社員になれました。
業務経歴で要件を満たし、
プロジェクトマネジメントのデファクトスタンダードと言われるPMPという資格を受験・取得しました。

左遷、大学院入学

PMPを取得するも大きな案件もない状態が続きました。
モチベーションの違いから周辺になじめなくなっていった事もあり、
別部署への異動となりました。
異動先の部署は閑職で大きな仕事もなくルーチンワークばかり。
定時に出社し定時に帰宅する日々を過ごしていました。
ここで腐っては駄目だと一念発起し放送大学大学院を受験しました。
情報学プログラムでプロジェクトマネジメント、チームビルディングについて研究し、修士(学術)の学位を取得しました。

社外の広がりを求めて

また、社内で認められなくとも、ネットの時代ですので社外の人脈を広げることで活路を見いだそうと活動を始めました。
着物で京都祇園のお茶屋さんで遊ぶ会に参加。
和文化について学ぶとともに大企業を退職された元役員の方や、茶道、華道、尺八など、日本の和文化の師範代の方々、士業の方々とお知り合いになれました。
一見さんお断りの世界は入り口は狭いですが、
一度入ると広い世界が広がっています。
人の紹介でどんどん世界が広がっていきます。

中でも京都祇園の着物クラブで元東大教員で隠遁生活を送っている恩師と知り合い、人生観が変わりました。最高峰を目指すからこそ応援してくれる人が現れるし、方法も出回っている。正しく努力すれば誰でも結果を出せるとの言葉を信じて努力を再開しました。

師匠の言葉を信じ、工学系日本最高峰の資格「技術士」取得を目指すべく勉強し、技術士第一次試験(情報工学部門)に合格しました。受験に当たって、多くの技術士の方や母校の技術士の方と知り合うことができました。

私に祇園のお茶屋さんを紹介して下さった方の友人が、呉服店を経営されており、その方のご紹介で女医と結婚しました。
デートでは着物で祇園のお茶屋さんにお連れし、
舞妓さんとお座敷遊びができたことも特別感が演出できて良かったんだと感じています。

人との出会いは人生を大きく変えます。
考え方、生き方全てを一変させます。
一つ一つ精一杯、小さな点を残し、
それらの点をつなぐことで人生が開けてくることを身をもって体現しています。
これからも自分自身で限界を決めずにやれることを継続していきます。

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