見出し画像

旅日記「初キャンプのち赤城神社、祭祀遺跡と昔日を憶う」

(2022.3.26付)

今日という良き日に!新たなスタート! 

テントや焚き火台はまだ未調達だし、初めてでいきなりソロで一泊キャンプはハードルが高いので、デイキャンしてきました。

その後は赤城神社へ行き、神代文字に驚きつつも、夕方の静謐な空間を堪能。

案内看板に記された遺跡名を調べたら、なんと胸熱な遺跡があったという発見。
そして神社に奉納された出征奉納額を調べたり。

好奇心があっちもこっちも半端ない旅でした(笑)

初(デイ)キャンプぅ!!


今日は一粒万倍日と寅の日と天赦日という、縁起のいいものが3つも重なる日。
普段そういったものは別に気にしてない人ですが、
その3つが重なる日はめ〜〜〜ったに無いという事で…

…気になるじゃん(笑)

キャッシュレスに移行し始めたから、新しくカードケースを買い、
更に、「何か新しい事をスタートするのに最高な日!」とのことで、
じゃ〜気になってたキャンプするしかないじゃない!

初めてキャンプサイトを予約し、初キャンしてきました。

日帰りだけど!
雨だから屋根ある所で料理するだけだけど!(笑)

正式なキャンプ場で何かするんだから、キャンプって事でいいですよね(笑)

前のオーナーが1から手作りしたキャンプ場。
オートサイトではないが、ちょうどいい広さで道具運びもそんなに大変じゃない
白い建物が受付・情報交換の場・物品販売してるところ
焚き火台や一輪車などいろんな道具貸し出しもある。整頓されててみやすい。

チェックインし、注意事項を聞きながら場内を案内して貰ったあと、いざ私の陣地へ…

ここをキャンプ地とする!

そもそもなぜ群馬のこのキャンプサイトに来たかというと。

雨予報&テント持ってない私は、屋根あり施設をデイキャンで使える所を探してました。割と近場で。
(今日は特別な日なんだから、"やらない"という選択肢はないw)

あれもダメ、これもダメ…と連敗続きの中、ようやくベストな所を発見!

電話で聞いたらソロで使っても平気とのことで、ありがたやー!!!と即予約。
これこれ!まさにこうゆう所探してた!ってところがここ。

屋根から焚き火場所から…前のオーナーの手作りですよ…すごい…

冬〜春にかけて、連日おみまいされる、
やばい時で風速10mはザラな群馬名物「赤城おろし避けの壁も作られてて、さすがだな〜と。
他普通のテントサイトにも、この壁が設置されたサイトがいくつかあります。
(特にここ県庁所在地 前橋周辺では、その辺の強風とはワケが違う(笑)
口コミ見たら、やはり風防としてとても助かるって声がいくつもありました)

一人でこれ食べきるの?欲張りご飯


家出た時間からして遅かった!
連日リアルが忙しく、何作ろうかメニュー決めずにスーパーに入ったもんだから、店内ぐるぐるして時間もかかり…

キャンプ場来る前に、後述の神社寄ろうとしたけど諦め…

利用時間内(〜16時半)に、作り→食べ→ゆっくりコーヒー→ちょいとPCで仕事っていう計画だったので…

13時近くだったかしら。
秒速で作りました(笑)


お湯沸かしてフォー茹でながら、あらかた切って、整えた図

エスニックサラダ(ナンプラーとスイートチリソース味付)と、
鶏肉フォー(サラダチキンを使用)と、
焼き肉(ナムルやアスパラベーコンも)です!!!

お腹減ってる時&ノープランでスーパー行ったらダメね!笑
食べきれるのか?

さぁ食べるぞー!

熱い内に食べたい欲VS猫舌

焼肉とナムルをセットで食べるの美味しい
パクチー好き。食べながらパクチーもナンプラーもマシマシ
家から持って来た、イワタニのやきまるくん


予約サイト「空き:◯」だし、ツイッター検索しても、このキャンプ場についてここ一年呟き見かけないし、他にお客いるのかな?と思ってたけども。

(最初は私だけでしたが)平日でも午後から3組(2組ソロの1組ファミキャン)来て、やはりキャンプ自体が人気なのかぁと実感。

しっかし静かでいいわぁ。
雨音も心地よいし、野鳥のさえずりが種々聴こえてきて…
ペグ打ちの音も聞こえてくる。父よ頑張れ。

寝転び目的でシートかテントが欲しいな。
誰もいなけりゃシート敷いてそのままゴロンしたい(笑)

食後はバタバタ(笑)

もうお腹いっぱい!
余り食材は持ち帰りの支度をして、お湯がでる流し場でバーっと洗い、全部片付けた所で…

少し仕事しよー

プリンだけ

食後のコーヒーとプリン! ってことで、お湯沸かそうと思いきや、あと30分!
片付けしてたら時間が全然足りませんでした(笑)

出だしから遅かったもんな…昨日の疲れがもろに朝に出た(笑)
またリベンジしたい!

現状復帰して…またね〜!

さてこれから神社いこ

あまり夕方行くのはよろしくないけども…!

三夜沢赤城神社へ

群馬の赤城神社といえばこちら↓
(祭神は赤城山です)

赤城神社(あかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市富士見町赤城山にある神社。式内社(名神大社)論社、上野国二宮論社。旧社格は郷社。
正式名称は赤城神社であるが、他の赤城神社との区別のため「大洞赤城神社(だいどう-)」とも呼ばれる。関東地方を中心として全国に約300社ある赤城神社の、本宮である。

Wikipediaより

私が行ったのは、「三夜沢赤城神社」(みよさわ と読みます)

門を入り、目に飛び込んできたこの光景を前に、息をのむ。
すごかった。思わず立ち止まる存在感。

静謐な空間すぎて飲み込まれそうだった…

深い深い緑と、平安から続く歴史の圧倒的存在感

平安時代の延喜式にももう記載されてた神社…

まさかこんなとこで見られるとは

神代文字があるんですか!
ここには!(驚&ワクワク)

なにをどうやってすれば読めるのか…不思議。
(神代文字は調べ出すと沼に沈んでいくので、比喩的な意味で引き返しましたw)

(現代人には)読めない神代文字と、(苔が凄すぎて)読めない碑文

夕方に来てしまって大変失礼しました…
閉まった本殿に拝礼し、手を合わせる。

本殿
廊下と神楽殿

イカリマーク?

ほぼ薄くなってて…うーん読みたい。

と思ったら…出征紀念…!(注 他意は全くありません。ただ純粋に歴史を知りたいだけです)(記念だけど、あえて紀念表記してます)

なんて書いてあるんだ…
裸眼1.5の視力をもってしても、さすがに頭上高すぎて見づらい…

イカリと星が合わさったの初めて見た…
気になる…帰宅したら画像拡大して調べよう。(記事終わりに記載)

更に奥地を見ると、ポツポツと小さい祠が点在してました。それも気になる。
この感じ…いいわぁ〜〜(語彙力)
神楽奉納もあるのかぁ。古文書についても知りたかったけど、ここにはこの紹介しかなく

そういえば櫃石(ひついし)、たわら杉がみどころとあったな…
看板読んだら、本殿奥の中門前にあると。
そこへ行く入り口は閉まってるので、脇から進んでみる

看板読む前は、たわら杉=この辺一帯の杉のことかと思ってましたw
結構な急坂。す、すべる…
写真じゃ伝わらない!大きい!

中に入れないから正面から撮れないけど!

すっごい迫力でした。
ちゃんと正面から見上げたら…触りたくなるだろうなぁ。

ところで櫃石は…境内奥へ、看板の矢印通り進めど進めど…それらしい岩が見当たらず。
山登りルートの看板が出始めたので、引き返しました(笑)
(どうやらかなり進んだ先だったようです)

この屋根と雰囲気…天岩戸神社を思い出す
ちゃんと四方の雨樋の下にはこの四角があります

最初この地面の石枠、なんだろう?と思ったら。
雨どいから雨水が落ちる先(地面)、排水の枠なのね!
(普通は鉄格子的なやつよね)

こうゆうサポート的役割の部分も、景観を壊さずに丁寧に作られてるの良いよねぇ。

もういよいよ暗くなって来たので、そろそろ帰らねば。

キィ〜〜〜好き。

とにかく古代〜中世の歴史詰まる、厳かな空間でした。

雨降ったあとの夕方なので、しっとりしててより厳かさが際立つ…
好きだなぁ。ほんと好き。こうゆう雰囲気。

三夜沢って地名がまずワクワクする響きなんだけど、運転してて所々立派な家屋や蔵があったり、道祖神あったり、でっかいお寺があったり。

なかなか調べ甲斐があるぞ。

あとあの静謐な空間、どう撮っても携帯じゃ表せなかった。
二次元になるもん、奥行きが伝わらない! 色味もあれじゃない!(笑)

奥へ向かう奥行きが…! 平安時代からここに鎮座してるって歴史の重みが!
写真じゃ伝わらない!

小枝がいくつも立てかけてある。気になる。

そして印象に残ることが。

最初、雨に濡れた森の匂いがしたんだけど、ずっといるとね、カビ臭さと苔?杉?のスモーキーな匂いがしてきたの…

更に、建物近くに来るとじゃっっかんのお香臭…
(神社だから線香ではないと思うけど、建物に染み付いた何かの良い香りを感じたり)

とりあえず今まで嗅いだ事ない匂いが、この敷地からなんとなーくふわっと香ってきて。

普通嗅覚が慣れて徐々に感じなくなると思いきや、突如として私の嗅覚にアクセスしてきたのよ。

今までいろんな森へお邪魔してきたけど、森林のフィトンチッド以外の香りを感じたのは初めてかも。

ありゃ苔がなんとかなった匂いだよ(語彙力)

そして帰宅しました。
(ショッピングモールにも行きたかったけど時間考えて直帰)

初キャンと、初めて知る歴史のアレコレ…気になることも…
なかなか濃厚な1日でした。

以下、あれこれ自分なりに調べてワクワクした覚え書きです↓


結局、櫃石ってなんぞ

当社から約1.3km登った地には「櫃石」と呼ばれる磐座を中心とした祭祀跡が残っており、古代祭祀の様子がうかがわれる。

ウィキペディア「三夜沢赤城神社」より

見れなかった櫃石を調べたらこんな文が。
磐座?!古代祭祀?!
ただのでっかい岩じゃないのか!
(てっきり天狗が持ってきた〜とか、村の力自慢が持ってきた〜とか伝説的なアレかと思ってた)

祭祀で使われた遺物(勾玉や臼玉や刀子や須恵器のアレコレなど)は掘り出した事はあるが、祭祀跡って見た事ないー!

どうやら。
櫃石の周辺からは5〜6世紀(古墳時代)の大量の遺物も出ており、
玉・剣・鏡の祭祀三点セットが出て来たほか、赤城山の一峰「荒山」の尾根にある立地からして、古墳時代の磐座遺跡らしい。

この岩石は、崇神天皇の第一皇子である豊城入彦命が東国平定に来た際、ここで天神地祇を奉祭したという伝承をもつ。

https://www.megalithmury.com/2019/03/akagiyama.html より

赤城山の山腹で…神を迎える場…磐座…
なに、櫃石ってロマンしかないじゃん…

周辺の遺跡が、この櫃石の存在を裏付けしてくれる

西大室丸山遺跡
赤城山南麓に、岩石がゴロゴロしてる大きい「丸山」という山があったそうな。
その斜面を利用して田畑にすべく、発掘調査したら…とある岩盤の下から10000点越す遺物が大量に出て来たそうで。
特に赤城山方角に多くの出土があった事と、出て来た遺物からしてここも祭祀遺跡らしい。

荒砥荒子遺跡
西大室丸山遺跡から西へ500mに、荒砥荒子遺跡がある。

方形の濠の内部に柵列及び建物遺構を有した、いわゆる豪族居館遺跡である。
5世紀代の遺跡と推測され、規模としては中~小規模のものとして分類されている。

上記同様 https://www.megalithmury.com/2019/03/akagiyama.html より

この二つの遺跡の距離は近く、
岩石祭祀遺構(西大室丸山遺跡)と豪族居館(荒砥荒子遺跡)の関係性によく似た…思い当たる節といえば、
三ッ寺Ⅰ遺跡(群馬県高崎市)」だそうで。

こちらの遺構を見ると、榛名山を信仰対象として祭祀が行われてた遺跡らしい。
なのでこの二つの遺跡の関係も、赤城山を信仰し祭祀が行われてたんではないかと。

赤城山や榛名山を信仰、遥拝し、古代から祭祀が行われた遺跡…
この三夜沢赤城神社にある櫃石もその一つ…

なんだ祭祀遺跡ばっかだな!!実にたまらんな!!

(その後西大室丸山遺跡には古墳が作られました)
さすが、古墳県というだけある。
古墳以外にも、こういった遺跡もあるんだなぁ。

宇通遺跡というのもワクワクする遺跡でね、

昭和中頃に山火事が起きて、その鎮火にあたってたら、浅間の大噴火で山中に埋もれていた平安期の大きい山岳寺院の跡があらわになったのよ…

ロマンがすぎる…
八角形や長方形に並ぶ礎石がしっかり残ってたそうよ。
今やとても侵入できない雑木林らしいが。

(昔、職場で三ツ寺Ⅰ遺跡の報告書を見た覚えが。
み、見返したい…どこいったんだろ…
磐座遺跡についても聞いてみよ)

遺跡発掘報告書は、ネット上にpdfで公開してるので、気になる人は「全国遺跡総覧」で検索してみてください。
(宇通遺跡もあるよ)


奉納額について調べました。

イカリ(海軍)に星(陸軍)が合わさったマーク。
どうやら。帝国在郷軍人会の微章らしい。

元は陸軍の組織だったけど、大正4年に海軍も加わったからイカリも一緒なのか。
なるほど。
(全国各地に在郷軍人会があり、デザインも様々)

ここでもう一度奉納額画像をば。

この奉納額の「出征」とは。
大正3年〜9年…単純に第一次大戦のこと?
それかシベリア出兵?

人名を見てみよう。
冒頭に書かれてる中尉従七位勲六等の記述と、名前のツクリと男って字からして、

この方?と思ったけども(苗字が読めない〜!)
大正3-9年にかけての出征の奉納ということと、この大佐自身(額には東宮鐡男表記だと思われ)が大正4年に士官学校を卒業→少尉、大正8年に中尉に昇進&シベリア出兵参加したことを顧みると…やっぱこの方?

宮城村の出身だし、在郷軍人会には所属してたらしいんだよなぁ。
ん〜苗字がなぁ、読めれば確証だけども。

んで最後に維時大正11年ってあることから、出征したあとになって奉納したのか…後になって出征紀念を奉納って…よくあるパターンなの?

(余談ですが、地元の各神社にも日露戦争関連の絵馬が色々ありまして。
内容は勝利の凱旋だったり、愛馬にのる兵だったり。
確かに日露戦後に奉納された絵馬だった覚えがあるけど、これは出征紀念。
出征"した"紀念の奉納額なのか?"する"ではないのか…)

大正14年に大尉に昇進するから、奉納された時点の位を書いて中尉。
どうやら有名な方らしい。

(大正8年にシベリア出兵した時に色々と感化され、のちに「満州移民の父」と呼ばれたそう)
(日中戦争にて戦死。被弾受けた直後の辞世の句「うれしさや秋晴れの野に部下と共」…なんか泣けてくる)

そんな有名な方の名前が…この神社の奉納額にひっそりと書かれてたなんて…

(この方の名前は初見でしたが)ネットや本で見るだけの名前を…まざまざと肌で感じたというか…
この額は大正時代に書かれ、その時には生きてらしたんだっていう…

ん〜〜うまく言い表せない。

あと右から三番目、北爪秋壽って曹長。
勢多郡宮城村を検索かけてると出てくる、その辺納めてた戦国時代の豪族、北爪将監。
前橋には北爪家文書としていくつも古文書残ってるみたいだし、代々続いてるぽいし、この曹長はその一族か?
(位を持ってるからそれなりの身分の人だよね)

そして今調べてたら、230ページにもおよぶ、旧宮城村の村誌pdfが出てきたので、これから読んできます(突然終わる)


読んでたら、宮城村出身戦没者芳名録が。
そこに、額の右から四番目に記載されてる、谷川初男氏の名がありました。
彼は西比利亜事変にて、大正9年4月16日、ハバロフスクで戦死したと。25。歩兵伍長まで一致。

…この奉納額はあの、シベリア出兵のものだったんですね…

調べれば調べるほど、色々わかってくる。
大正の出征した証を、しかと観測しました。
ここにも一つの歴史があった。その歴史の上で私は生きている。

この奉納額は確かに"記念"だけども、
(大正3-9年に出征していった若者の志と想いと信念の意味を込めて)"祈念"とも思いたいなぁ。

(ど素人が書いてます。なまあたたか〜〜〜い目で流し読みして貰えてたら、これ幸い。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?