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謙虚で多層的な判断力を身につけたい

 会議でのこと。

 各部署の代表者と管理職が集まり、週に一度定例会議がある。その中で、各代表から事業報告がされる。昨年度はこの会議で見解の違いで揉めたことがあった。その時の記憶を思い出すと動悸がするほどストレスフルな下期だった。

 今年度はメンバーが大きく刷新されたこともあり、そういった苛立ちを感じることはあまりなかったのだけど、今日は聞いていて眉を顰める事案が報告された。


 初期対応にまず問題があり、部署内で協議しながら進めるべきだったことを、1年目の職員が確認を怠って進めてしまった為に、今後懸念される課題を残して終結した案件の報告だった。

 それを聞いた瞬間、その部署が昨年度起こした問題を思い出し、不味い対応をする土壌があるのだと決めつけて認識してしまい、動悸がし始めて落ち着かなくなった。またこちらに飛び火が来るのではないかと不安と苛立ちを感じていたのだ。

 会議の後、自分のモヤモヤに落とし所を見つけたくて、会議に参加していた別の人にさっきの報告をどう思うかを尋ねてみた。すると、私が着目していた点ではない別の視点で感想を言われ、ハッとした。

 私は、昨年度の問題を引きずってその部署を見ていた。しかし、今回の問題と昨年の問題は別のことである。これは分けて考えるべきであった。

 そもそも、実際に切迫した問題が残っていると言うわけではなく、今後懸念されることはあるが、その時に対応を考える以外方法はないわけで、今誰かを非難したところで何も生産的なことは起きない。

それに、その部署の仲間意識の強さを考えれば、その職員を責めるよりも、今後同じような問題が起きないように考えようと励ますのは自然なことだと思った。職員の未熟さを1年目だから仕方のないこととして処理したとしても、結果は報告するしかないので、おそらく吊し上げられることを覚悟して代表者は報告したのだと思う。

 そこに考えが至って初めて、自分の視野の狭さを痛感した。

 全体が見えていないことが多い。人の言葉の裏側の景色に思いを馳せることを意識しないといけない。あまりにも言葉のまま受け取りすぎだし、過去の印象を引きずりすぎる。私の課題であった。

 自分の視野の狭さから、思い込みで人を非難する気持ちになるというのは、傲慢以外のなにものでもないと思う。さらに、今日は、不用意な発言で後悔する出来事もあったし、まさに傲慢な人間であった。

 このままではいけない。物事や人の発言や行動を多層的に考えなければならない。その人の役割や所属するコミュニティ内の関係性、その人自身のキャラクターをもって総合的に判断しなければならない。

 私は未熟な人間である。周囲もまた未完成な人間である。誰かに対して批判的な気持ちが起きることはこれからもあるかもしれない。でも、そんな時に私は今日学んだことを思い出さなければならない。多層的な理解で建設的な思考を目指したい。そうすれば、私の心臓も健康でいられるはず。


 今日の気づきをこれからに生かすこと以外自分を慰める方法はない。


 気づかないふりをせず、学びを得ることができた今日にありがとう。
まだまだ学ぶことがいっぱいです。
明日も健やかに過ごせますように。

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