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古今東西刑事映画レビューその32:フィルス

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

2013年/イギリス
監督:ジョン・S・ベアード
出演:ジェームズ・マカヴォイ(ブルース・ロバートソン)
   ジェイミー・ベル(レイ・レノックス)
   エディ・マーサン(クリフォード)

 コメディ、だと言う。
 映画の公式サイトのあおり文句はこうだ。「英国発★愛と絶望を笑いにする 最高にイカしたクライム・コメディ!!」。レンタルビデオショップの手書きPOPにも、「最低最悪の悪徳刑事が主人公のブラック・コメディ」とコメントされていた。
そんなわけで筆者は、コメディと言う認識でこの作品を観始めたのである。原作も監督も脚本もイギリス人の手によるもので、ということは、(レンタル屋のPOPにあったように)相当ブラックなコメディなのだろうなあ……くらいの、軽い気持ちで。
 だがこの映画を観終わったあと、筆者に残ったものは、コメディを観て大笑いした後の爽快感ではなく、品のないギャグを観させられた後の、「これで笑わせようとしているつもりか?」と言う腹立ちでもなかった。筆者を包んだのは、全く想定外の感情だったのだ。
 主人公のブルース・ロバートソンは、スコットランドのとある警察署の刑事。がっしりとした上背のある体つきに、整えた髪、蓄えたひげ。スーツにトレンチコートと言ういでたち。眼光鋭く、見るからに優秀そうな刑事と言った風情の男だ。
 そう、ブルースは確かに、自他ともに認める切れ者。次に警部に昇進するのは彼だと目されており、自分でもそれを強く望んでいる。だが、優秀なのと同じくらい、滅茶苦茶にいやな奴だ。妻子ある身でありながら同僚の細君と密会を重ね、友人の妻を寝取ろうとさえする。コカインを常用していて、そのせいか常に躁状態。救いがたい差別主義者であり、隠れて仕事仲間の足を引っ張り、辛辣な言葉を平気で浴びせかけ、数少ない友人を陥れようと画策する。こんな奴とは絶対に一緒に仕事をしたくない、と10人中10人が思うような男だ。そもそも“FILTH(フィルス)”と言うタイトルからして、「くず」「汚物」そして「警察」を表すスラング俗語だと言うのだから、まさにタイトル通りの男が主人公として登場するわけなのである。
 スコットランドの、そんなに大きくなさそうな街が本作の舞台だ。ブルースが勤務する警察署の管内で、ある晩、日本人留学生が、凄惨なリンチの末に殺害された。この事件を解決すれば出世間違いなし、と確信したブルースは、コカイン仲間の新人刑事、レイとともに捜査を開始する。
 コメディと信じ込んで映画を観ている観客の身としては、恐らくこの捜査の方法も実にひどい強引な、でも笑えるものなのだろう、そして、そのドタバタを描いたりするのだろうなあ、などと想像を巡らせる訳なのだが、そう簡単に話が終わっていたら、きっと小欄でこの作品を取り上げることはなかったはずだ。
 ブルースは、お得意の強引な捜査方法で街のチンピラを締め上げ、さっさと事件を解決しようとするのだが、なぜかそれがうまく行かず、証拠集めや目撃者捜しは遅々として進まない。
 日々募る焦燥と空回りする功名心、上司や同僚たちのプレッシャーから、ブルースは益々コカインと酒に耽溺し、その行動は「変わった奴」と形容できる限界をあっさりと突破して、ほとんど病的な様相を呈し始める。妄想が現実を侵食し、その彼我は加速度的に曖昧さを増していく。序盤の傲慢な切れ者刑事の姿は消え失せ、ブルースは次第に、不可解なほどの敵愾心を周囲の人間に容赦なくぶつける妄想狂の男としての顔を浮かび上がらせていくのである。
 この物語はコメディだと、そう形容されている。確かに、随所に笑えるシーンはある。それは毒々しく露悪的ではあるが、コメディの体裁をギリギリのところで保っている。けれども、その看板をあっさり放棄して、ラスト20分、物語は急発進し、疾走する。次々と明らかになるブルースと言う男の本当の姿。いやな奴だけれども頭の切れる、優秀な男だったはずのブルースは、なぜたやすく「壊れて」行くのか。そもそも、なぜ彼はこんなにも周囲の人間に悪意をまき散らさなくてはならなかったのか──。
その理由が明らかになるにつれ、観客はこのブルースと言う男を、どうしても嫌えなくなるだろう。映画を観終わった後に筆者が感じたもの、それは普通のコメディから受け取るものとは程遠いところにある感情だ。それは、「喜」でも「楽」でも「怒」でもなかった。ただ、哀しく、遣る瀬無かった。
画面の隅々に散りばめられた伏線が一気に収斂していく脚本は実に見事で、役者の演技もまた素晴らしいのだが、そう言ったテクニカルな魅力もさることながら、ブルースと言う一人の男を通じて、人間の持つどうしようもない弱さ、脆さ、それでも最後まで人が失ってはいけないものを描いているこの映画は、本当に素敵だ。「人格破綻者で、薬物中毒の悪徳刑事」と言う、本誌に掲載するにはちょっと躊躇ってしまうような主人公が出て来るにも関わらず、あえて本作をご紹介したのはまさにそういう理由からなのだ。
あくどい刑事が出て来る映画はいくらでもある。けれども、こんなに最低な下衆野郎で、それなのにこんなに哀しい男が出て来る映画はそうはない。彼が求めているものは、金でも女でも、警部の地位でも名誉でもなく……これ以上は、ぜひご自身の目でご覧いただきたい。

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