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途中からの超展開に思わず「お、おう」と真顔になってしまった映画。

 2013/8/1にアップしたやつ。

 えらくネタバレしております。

 知人の誼で月1回、映画のレビューを某所に掲載するようになってから2年弱が経とうとしています。一応決められたルールがあって、それに則っているワケですが、そんな中で観た映画がコレ。

保安官補のアダム、ネイサン、デヴィッド、シェーンは、同僚であり友人でもある四人組。危険と隣り合わせの仕事に充実感を覚えながらも、私生活ではそれぞれ悩みを抱えていた。

 あらすじはこんな感じ。
 映画は、4人組のひとり・ネイサンが、ガソリンスタンドでギャングに自動車を盗まれるところから始まります。生まれたばかりの息子が後部座席に取り残されていたため、捨て身で自動車を奪い返そうとするネイサンと、ギャングの攻防。それを取り締まるべく駆けつけたのが、アダム、デヴィット、シェーンと言うわけで、初っ端のツカミから登場人物の紹介までをスマートにやってのけます。
 あらすじにも有る通り、4人はそれぞれ家庭にまつわる問題を抱えているのですが、それに面と向かうこと無く日々を過ごしています。自分の心の保留フォルダにずっと置きっぱなしの問題。たとえばそれは、アダムならば息子との不和、シェーンならば離婚した妻と息子との仲、ネイサンなら年頃の娘にちょっかいをかけてくる素行不良の少年……といったような具合。
 この4人組に、ひょんなことから知り合ったハビエルが加わります。ハビエルは信仰の厚い人のようです。彼もまた家族を持つ父親であり、また、日々を懸命に生きる男です。彼がコメディ・リリーフの役割を果たし、物語の前半では5人の男性の日々がテンポよく描かれて行きます。また、彼らの住む街が抱える若者たちの問題なんかも巧みに絡めてあります。更に、アダムの娘とアダムの交流も、非常に美しい映像で表現されており、後々の伏線を感じさせます。

 この時点では、結構面白いんじゃないの、と思いながら観ています。

 そして、物語は急転直下。アダムの娘が不慮の事故で幼い命を失ってしまうのです。
 家族は勿論悲嘆に暮れます。悲しみを分かち合いたいけれども、今までぎこちなかった父と息子の間には、溝が生まれかけます。
 このままではいけない、と焦るアダム。しかし、どうしたらいいのか──彼の葛藤は続きます。

 この時点では、結構貰い泣きしながら、良い映画かもしれない、と思いながら観ています。

 で、アダムは牧師さんに相談するわけです。
 牧師さんはアダムを優しく諭し、立ち直り、家族がひとつになるために、祈りなさいと仰います。
 アダムはひとつの誓いを立てます。「善き父親になるための誓い」。そしてその誓いの保証人に、友人たちを選ぶのです。
 ネイサンが人生の師と仰ぐ牧師さんの(さっきの牧師さんとは別の人)立会いのもと、アダムだけでなく、4人の仲間も「良い父となる誓い」を立てるのです。
 新緑薫る木立の中、家族に見守られながら、アダムは誓いを読み上げます。
 ちょっとうろ覚えですが、基本は
「神に祈る」
 です。
 神に祈り、家族にもそれを教え、神の教えの元に善き父として生き、神の教えを体現する生活をする。
 みたいな感じ。
 この辺りから、セリフにもやたら「神の教えを心に刻むんだ」的ニュアンスのものが増えて参ります。

 この時点では、「あ、あれ…?」と言う疑問符が頭の中に浮かんでいます。

 ま、そんな感じで、聖書に書いてある神の教えを守る生活を実践したならば、あら不思議、ぎこちなかった息子との仲は修復され、娘についた悪い虫は追っ払うことが出来、過去に遊びで付き合って妊娠させてしまったガールフレンドとヨリを戻すことが出来、会社で出世することが出来、もうえらいことです。1人悪の道に走った奴がいますが、ソイツにはあっさり罰が下されました。神の教えに背いたからしょうがないです。
 そうこうして神に祈りながら充実した日々を過ごすアダムの父の誓いは有名になり、ある日アダムは教会での演説を任されました。
 アダムは語ります。自分が何故、こう言う誓いを立てようとしたのかを。愛娘との別れ、立ち直るまでの苦悶、今アメリカ人が顧みるべき正しい家族の形、家庭が不幸であるがゆえに悪への道を走る少年たちへ我々はどう手を差し伸べるべきか……アダムの語りはとどまるところを知らず、ついに彼は声高らかに、拳を作って、「神の導きを、子供に示すのは誰か? 私だ!」「過ちを犯す家族を導くのは誰か? 私だ!」……と大演説をぶちかますのです。
 聴衆はアダムの言葉に心を打たれます。万雷の拍手が会場を包むのでした──
 それで、原題の「COURAGEOUS」がどどーんと全画面に広がって、終わりです。

 この時点で私は、その「COURAGEOUS」に向かって、「お、おう」と真顔で答えています。

 なんかすごいキリスト教万歳な映画だったなあ、途中までは良い映画だったのに、途中からはちょっとついていけなかったなあ、なんて思いながらTVのスイッチを切りました。
 私はキリスト教徒ではないので、途中からの「神の教えを信じれば人生巧くいきまくってえらいことです」的展開にはちょっとついていけませんでした。娘の死という、耐えがたい悲劇から立ち直るために、この試練を乗り越えるために、神に祈りなさい!だと、やはり個人的には釈然としないものを感じるわけです。このへんの祈りと救済の感覚は、多分私の中にはあまり存在しないであろうものなので、これはもうしょうがないですね。
 映画としては笑いあり涙ありで、アクションも結構堂に入っていて、割と面白く観てたのですが。
 一体この映画は何なんだろう。
 気になって調べてみました。

 監督のアレックス・ケンドリックは、本職の牧師さんなのだそうです。ジョージア州オルバニィにあるわりと大きな教会で副牧師をつとめる彼が、「若い人に聖書の内容を届けるにはどうしたらいいだろう?」と考え、「そうだ映画を作って、映画の中で伝えればいいんだ!」ってことで試しに1本作ってみた映画が大当たり、あれよあれよと言う間に4本も映画撮っちゃいました、と言う、そう言うノリの映画なんだそうです。
 ちなみに、過去4作、出演する俳優はほぼ全て素人、スタッフもボランティアの信徒がつとめ、アレックス・ケンドリック自身は脚本・監督・主演等をこなすという手作りっぷり。
 映画が一大産業になっていて、生活にキリスト教が根付いている国ならではの作品と言う訳だったのです。
 素人が(さすがに4本も撮ってれば素人って訳ではないかもしれませんが)このクォリティの作品を製作出来ると言うところにアメリカの凄さを感じてしまったわけであります。
 それと同時に、こう言う映画がヒットするというところにも、また日本との違いを感じました。

 世の中、まだ知らないことがたくさんあるなあ……。

 色んな意味で強烈に印象に残った映画です。
 ソフト化されてないので、観る機会のある方は少ないと思いますけど。
 

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