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美しくも脆い、頽廃の世界。「山猫」を観たよの巻。

 2012/2/6にアップしたやつ。

本サイト的スコア…77点/100点

壮大にネタバレしております。

あらすじ
1860年、イタリア。佳境に入ったイタリア統一戦争は、いよいよ戦火をシチリア半島まで広げつつあった。当地を長きにわたって治めてきた、名門サリーナ公爵家にも、変化の波は容赦なく押し寄せている。当主のサリーナ公爵は、貴族の世が終焉を迎えつつあることを感じていた。
サリーナ公爵が息子より可愛がっている甥のタンクレディは、貴族の身分にありながら、統一戦争に身を投じ、時代の変化にいち早く順応しつつあった。サリーナ公爵一家が例年通り避暑の為に訪れたドンナフガータ村の別荘に、タンクレディも身を寄せる。そこで、タンクレディは、公爵の別荘に招かれた新興ブルジョワジーの娘、アンジェリカと出会い、恋に落ちる。
身分の差を憚らず、アンジェリカとの結婚を望むタンクレディを、サリーナ公爵は後押しする。時を同じくして、国民投票が行われ、サリーナ公爵の領地であったシチリア島も統一イタリア王国の一部となった。公爵は新時代が眼前に迫っていることを知り、貴族とブルジョワジーの婚姻を許したのだ。
公爵の知己である、ポンテレオーネ公爵の屋敷で行われた舞踏会で、アンジェリカは社交界デビューを果たす。華やかな宴の中、不意に疲労と孤独に襲われたサリーナ公爵は、体を休めるために逃れた書斎の壁にかかっていた「死にゆく老人」の絵に己の姿を重ね合わせる。

1963年の、カンヌ映画祭パルムドール受賞作品でございます。
監督は“ヴェニスに死す”で絶世の美少年、ビョルン・アンドレセンを世に送り出した、ルキノ・ビスコンティです。
主演は、サリーナ公爵役にバート・ランカスター、タンクレディ役にアラン・ドロンです。
映画を観る前にざっとあらすじに目を通すんですが、そこに「貴族の栄光と没落を描く」なんて書いてあったので、もっと悲惨な物語かと思っていました。“小公女”も顔負けの、貧乏まっしぐらなお話なんじゃないかと。映画の冒頭で、しょっぱなから観客を圧倒するお屋敷(って言うか城)も、取り上げられたりしちゃうんだろうか……なんてハラハラしながら見守っていたのです。
ですが、そんなことにはなりませんでした。お屋敷も、別荘も、最後までサリーナ公爵のものですし、雇い人を誰一人罷免することもありません。財産を奪われた描写もありません。シチリアの人々も、公爵を敬いこそすれ、抗おうともしていません。
没落して行くのは、財産や、地位では無いのです。
サリーナ公爵は、イタリア統一戦争後、新興のブルジョワの台頭を予期し、また、自らの財産が長持ちしそうにないことにも薄薄気づいています。それゆえに、野心と覇気を持ち合わせた甥のタンクレディを、自分の娘と娶せることを良しとせず(娘がタンクレディに恋していることを知っているにも関わらず)、新しい時代を担って行くであろう、ブルジョワの娘と結婚させます。
更に、統一イタリア王国の議員になってほしいと言う要請に対しても、「自分は旧時代と新時代に跨って生きていく身である」と言うことを理由に断りを入れます。
全編にわたってビスコンティが描写するのは、サリーナ公爵の諦念です。新時代に覇権を握るであろう低い身分の者たちに対するかすかな蔑みを抱きつつも、彼らに抵抗するを良しとしない。サリーナ公爵は諦めているのです。ゆるゆると新時代を受け入れ、そこに自らの居場所を確保しようとしていないのです。これを没落と言わずして何と言えば良いのでしょう。180分にわたって描かれるのは、ひとりの老貴族の、「精神の死」なのです。
物語の終盤、映画の3分の1を費やして描かれる舞踏会のシーンにおいて、彼の心情は、より一層深く描かれています。
甥の婚約者であるアンジェリカに乞われてワルツを踊り、彼女の社交界デビューに華を添える公爵。彼はこの瞬間に、新時代に全てを明け渡したかのように、精気を失ってしまいます。浮かれる貴族たちの輪からそっと外れ、会場をさまよう公爵は、もう現世に居場所を無くしてしまったかのように見えます。たまたま入った書斎に掲げられていた絵画の中の、死んで行く老人に我が身を重ねる姿はそれの最たるものであり、公爵は、滅ぶことに憧憬さえ覚えているようです。豪奢で華やかな、貴族たちのお遊びを、突き放した目で見る公爵には、ただただ深い孤独が付きまとっています。
そんな、枯れて行く大樹のような佇まいを持つサリーナ公爵を、バート・ランカスターが優美に演じています。
物語終盤の舞踏会のシーンは、実際にシチリアの貴族階級にルーツを持つ人々をエキストラとして採用したそうです。衣装やセットにも並々ならぬこだわりが感じられます。絢爛豪華と言う言葉が逆にチープに感じられてしまうほどです。勿論、美しいのはそのシーンだけではないです。格調高い屋敷の調度や、女たちのドレスなど、日常のシーンでさえも監督の美意識に貫かれた画面作りがなされているように思います。
3時間超と長い話を、あくまでもひとりの老貴族にフォーカスを当てて、中だるみしないように物語を展開させていく、その手腕も素晴らしいと思います。
コッポラやマーティン・スコセッシの作品にも影響を与えているように思います。コッポラ好きな方は是非観るべきかと!
はー、イタリア、ええなー。
行きたいなー。
あー、ピザ食べたい。

※2021年註 ビスコンティについては、少年の頃のビョルン・アンドレセンに対するハラスメント等を知ってからは全く評価する気が起きなくなりました。私個人この10年間で人権に対する考え方が大きく変わっており、ハラスメントは犯罪であると認識しています。ビスコンティのような人物が一人でもいなくなることを心から祈るものであります。

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