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古今東西刑事映画レビューその12:刑事マルティン・ベック

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

1976年/スウェーデン
監督:ポー・ウィデルベルイ
出演:カルル・グスタフ・リンドステット(マルティン・ベック)
   ホーカン・セルネル(エイナル・ルン)
   トーマス・ヘルベイ(グンヴァルド・ラーソン)

 原作はスウェーデンを代表する警察小説シリーズ“マルティン・ベック”シリーズの一編、“唾棄すべき男”。著者はマイ・シューヴァルとペルー・ヴァールーと言う夫婦作家である。10年に渡って全10作が刊行された本シリーズは、日本でも1970年代から80年代にかけて角川書店から邦訳が出版されており、現在でも入手が可能だ。
 また、このシリーズからは、“笑う警官”と言う作品も “マシンガン・パニック(’73)”と言うタイトルで映画化されており、その後93~94年、97~00年にも映像化がなされている。息長く愛されているシリーズなので、御存じの方も多かろうと思う。
 そして、本作である。日本では長らく観ることのかなわなかった作品だが、2007年に紀伊国屋書店からプレミアム・エディション版DVDが、そして昨年TSUTAYAから廉価版DVDが相次いで発売され、今では容易に観ることが出来る。TSUTAYA版のジャケットデザインは、タイトルのフォントも含めて、いかにも往年の警察映画と言った趣だ。
 ストックホルムの病院で、深夜、1人の患者が殺される。凶器の銃剣でメッタ刺しにされた男の名前はスティーグ・ニーマン。ストックホルム警察の主任警部を務める人物であった。現場は、若手の警官が嘔吐を催すほどに惨たらしい状況。殺人課の刑事、マルティン・ベックは、部下のエイナル・ルンや、同僚のグンヴァルド・ラーソンらと共に捜査を開始する。
 年の頃は50代、突き出た太鼓腹、いつも眉間に寄った皺、と言うマルティン・ベックのルックスは、前回の当欄でご紹介した“ザ・ガード ~西部の相棒~”のジェリー・ボイル巡査部長とよく似ている。だが、警官としての仕事ぶりは大いに異なる。地道な聞き込みと徹底した証拠固めから犯人を捜し出すその姿はまさに「勤勉」のひとこと。マルティン・ベックだけでなく、他の刑事たちも実に忍耐強く捜査を重ねて行く。シンプルと言えば聞こえは良いが、観る人によっては「地味」とさえ感じられるのではないか。
 無論、「地味」と「退屈」は同義ではない。最初は混沌の中にあって形状も定かでなかった事件の真相が、ベックたちの丹念な仕事によって姿を現すその過程──犯人が被害者に仕掛けた罠や、犯人の過去、被害者の人間性、徐々に明らかになるそれらを、観客は刑事たちと同一の目線で楽しむことが出来る。
 そんな捜査の末、ベックと部下のルンが、ストックホルム郊外に住まう容疑者の父母と面会し、彼こそが犯人だ、と言う確信を得たまさにその時、ストックホルムの中心部に、銃声が響きわたる。
 これまでの渋い捜査劇とは一転、白昼のストックホルムの街を舞台にした、警察対1人の男の銃撃戦が始まるのである。
この、静から動への大胆な転換。色にたとえるなら青から赤へ、季節にたとえるなら冬から夏へ、と言うくらいの極端な飛躍。
 人々が穏やかな日常を送っていたストックホルムの街並みは、一発の銃声を合図に、悲鳴が飛び交い硝煙の立ち込る戦場の様相を呈し、犯人を追いつめて行く側だった刑事たちは、今までとは逆にライフルの達人でもある犯人に命を狙われ、追い詰められていくのである。
この作品の脚本がうまいなあと感じられるところ。それはこれまでのシーンで刑事たちの私生活も描いている点だ。仕事の場だけではなく、限りなく素顔に近い彼らを観ることで、観客はベックをはじめとする刑事たちに、或る種の親近感を抱いているだろう。その彼らが、これまで一度も姿を見せていない犯人に銃口を向けられ、狙撃されようとしている。結果、観客は彼らの生還を心から願いながら、映画を見守ることになる。前半の地味な場面の積み重ねが、じわじわと観客の心理に影響を及ぼし、緊迫感を更に盛り上げているのだ。
ここからラストまでのアクション・シーンは、アクションものが好きな方には是非ご覧いただきたい。一見の価値あり、である。ポー・ウィデルベルイ監督のリアリズムに貫かれた画面作りには、現在のCGの視覚効果ではまず得られない重たさがある。
これを、70年代の、アメリカでもイギリスでも香港でもない、スウェーデンの映画人が作った、と言うところがまた、面白い。良い映画は世界のどこでも生まれうる、そのことを実感させてくれる良作である。

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