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古今東西刑事映画レビューその44:交渉人

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

1998年/アメリカ
監督:F・ゲイリー・グレイ
出演:サミュエル・L・ジャクソン(ダニー・ローマン)
ケビン・スペイシー(クリス・セイビアン)

 交渉人、と言うタイトルを冠した作品は意外に多い。この作品に先行すること1年、エディ・マーフィー主演の“ネゴシエイター”と言うものがあるし、また邦画でも、人気ドラマのスピンオフ作品として制作された“交渉人 真下正義(’05)”と言う作品が大ヒットしたこともある。
 そんなわけで、交渉人と言うの職業の任務については、一般の人でもある程度知識があるのではないだろうか。交渉人の活動が盛んなアメリカでは、人質・立て篭もり事件の実に8割は交渉で解決し、犯人を投降させるそうだ。残り2割のうち、1割が突入による強行解決で、最後の1割が犯人の自殺だと言う。彼ら交渉人の貢献がいかに多大なものか、この数字だけでも理解が出来る。
 FBIのような連邦の警察組織だけではなく、州警察や市警察にも交渉人はいる。彼らの最大の強みは、刑事としての経験を積み、犯罪者の扱いにも長けていることだ。ひとたび立て篭もり事件が発生すれば、交渉人は心理分析官と共に、事前に入手した犯人の人柄や、その場で分析官が気づいた犯人の心理状態などを参考に、彼ら立て篭もり犯との交渉に当たっていくのだ。人質解放のチーム(HTB班と呼ばれるチームである)は、そう言った彼ら交渉人と、心理分析官、そして実力行使を担当するSWATで構成されており、組織の中でもエリート部隊なのだと言う。
 本作の主人公、ダニーは、シカゴ市警東分署に勤務する交渉人だ。その日もひとつ、中年男の立て篭もり事件を見事に解決へと導いたばかりだった。トラヴィス署長(ジョン・スペンサー)の誕生日と事件の解決を祝うパーティーのさなか、ダニーは同僚のネイサン(ポール・ギルフォイル)から深刻な相談を受ける。ネイサンの友人が行っている内偵で、何者かが警察年金を着服していることが判明したと言うのだ。告発したいが首謀者が分からない、年金委員のお前なら何か知ってないかと思ったんだ、と言うネイサンだったが、ダニーには皆目見当もつかない。
翌日の夜、ネイサンから呼び出しを受けたダニーが待ち合わせ場所の公園に向かうと、そこには銃で側頭部を撃ち抜かれたネイサンの姿があった。犯人の姿はすでになく、呆然とするダニーのもとへ申し合わせたかのようにパトカーが到着し、ダニーはネイサン殺しと年金横領の罪を着せられてしまう。
 司法取引で1日の猶予を得たダニーは、何かを知っていると睨んだ内務捜査局の局長・ニーバウム(J・T・ウォルシュ)のオフィスで真相の究明を求めるが、ニーバウムはそれに応じようとしない。思い余ったダニーは、その場にいたニーバウムの助手や情報屋を人質にとり、立て篭もる。仲間の中に裏切者がいると疑ったダニーは、西分署の交渉人、クリス・セイビアンを交渉役に立てることを要求する。
 ダニーと同じく、クリスもまた凄腕の交渉人として名を馳せる男だ。かくして、一流の交渉人同士の対決が始まるのだったが……。
 この物語の第一の醍醐味は、最後まで誰が味方か分からないと言うこと。東分署の中に、年金を押領し、ネイサンを殺した者がいるのか。だとしたら、それは誰なのか。それとも、内務査察部の中の人間の仕業か。それとも、実はダニーが手を汚していたのか。それとも──。疑いだせばきりがない。また、登場人物皆がちょくちょくあやしい挙動を見せ、観客の猜疑心を上手に煽るのである。誰も信じられない状況の中、いきなり現場に放り込まれたクリスの孤軍奮闘ぶりが光る。
 また、もう一つの見所は、徹底したリアリズムの追及にある。たとえば、弾道が逸れないようにまず窓ガラスを爆破してから狙撃するため、爆薬をガラスに設置するSWATや、手鏡やマイクロスコープを駆使して室内の様子を窺うHTB班の様子。そして、ダニーとクリスが駆使する交渉術。これらのディテールの積み重ねが、この作品を良作たらしめているのは間違いない。本作の肝である「交渉」については、元交渉人をアドバイザーに迎え、またシカゴ市警の協力を得ているだけのことはあり、ただ犯人を悪人として扱うのではなく、彼らの追い詰められた心情を刺激しないように気持ちを和らげさせ、人質を解放する方向に持っていくと言う高度な心理的手腕を余すところなく描ききっている。
 更に更に、2人の主演俳優の演技もこの作品の大きな魅力のひとつである。サミュエル・L・ジャクソンは、本作の前年にはクエンティン・タランティーノ監督作品の“ジャッキー・ブラウン”でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞し、この翌年にはスターウォーズの新トリロジーの1作目、“ファントム・メナス”に、ジェダイ・マスターのメイス・ウィンドウとして出演と、批評家からも映画ファンからも愛される作品に続けて出演している。クリスを演じるケビン・スペイシーもまた、本作の翌年に“アメリカン・ビューティー”でアカデミー主演男優賞を受賞し、その他にも数々の名作で鮮烈な印象を残している。2人の演技派が乗りに乗っている時期の芝居を堪能出来る贅沢な作品なのだ。
 ストーリー、俳優、演出、すべてが水準以上と言う良作、楽しんでご覧いただけること間違いなしである。

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