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古今東西刑事映画レビューその2: クロッシング

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

クロッシング
2009年/アメリカ(2010年/日本)
監督:アントワン・フークワ
主演:サル…イーサン・ホーク
   エディ…リチャード・ギア
   タンゴ…ドン・チードル

 筆者の私事で恐縮だが、先日、遺失物届を出しに、実に十数年ぶりに交番の扉を叩いた。ほんの数十分の滞在だったのにも関わらず、その間にもやれ財布を落とした、やれお爺さんが近くの交差点で転んで怪我をしたと、訪ねてくる人が後を絶たない。若くて親切なお巡りさんの奮闘を横から拝見していて、随分多忙なことに驚かされた。静かな住宅街の交番でこれなのだから、繁華街の交番はもっと忙しいのだろうなあと思う。今回ご紹介する映画は、そんな世界有数の都市で働く3人の“お巡りさん”の物語である。
 原題の“Brooklyn’s Finest”が示す通り、物語の舞台はニューヨーク市ブルックリン区だ。ブルックリンはニューヨークの中でも犯罪が多い地域と言われている。事実、2010年にニューヨークで起こった凶悪事件のうち、31%はブルックリン地区で発生しており、殺人事件だけに限って言えば、実に39%が同地区に集中している(※1)。
 そんな土地柄もあってか、警察の仕事は多岐にわたり、尽きることが無い。主人公たちにも、三者三様に職務がある。
 退職を1週間後に控えたパトロール担当のエディ。ベテランだが、「無難に日々をやり過ごす」ことをモットーとしており、そんな消極的な姿勢は、上司はおろか後輩からも冷笑を買っている。妻とは別居中で、寂しさを紛らわすために娼婦の元に通う日々だ。
 麻薬捜査官として激務をこなすサルは、シックハウス症候群に悩まされる妻と幼い子供たちのために、新たな家を購入しようしていた。手ごろな物件を見つけたものの、今の月給では金策も容易ではなく、売主に支払いをせっつかれている。
 最後は、潜入捜査官のタンゴ。家庭を犠牲にしてまで任務を遂行してきたものの、最早それに限界を感じていた。担当を外してくれるように上司に頼んでもはかばかしい返事はなく、それどころか潜入先のギャングのボス・キャズとの友情と任務との板挟みで、彼の悩みは深まって行くばかりだ。
 彼らの共通点、それは日々の生活が倦んでしまっていると言うこと。彼らにとって仕事とは情熱を傾けるものではなく、自分と家族を食わせるための手段でしかない。どこか摩耗して、くたびれてしまっている彼らの日常が、市警の不祥事をきっかけに大きく均衡を崩されていく。彼らは任務にあたる先々で、自己の「正義感」や「倫理観」を改めて問い直される。ある者は忘れていたそれを思い出し、ある者は生活に取りまぎれて見失ってしまう。やがて、3人の運命は導かれるように、ブルックリンの街並みの中で交錯する。邦題の“クロッシング”は、それを暗示したものだ。
 監督のアントワン・フークアが、警察官を主人公にした映画を製作したのはこれが初めてではない。2001年に、ロスアンゼルス市警の麻薬捜査官の一日を追った“トレーニング・デイ”を公開している。デンゼル・ワシントンがアカデミー主演男優賞を獲得したこの作品でも、フークア監督はやはり「正義」とは、「善悪」とは何であるのかを、デンゼル・ワシントン演じる有能な捜査官と、イーサン・ホーク扮する新任捜査官を通じて観客に問いかけている。
 ただ、“トレーニング・デイ”が善悪の対立をそのまま登場人物の相関図に持ち込んでいたのに対して、本作でのアプローチはより奥が深く、苦悩に満ちている。3人の男が立ち向かうのは他者ではなく、自らの心である。彼らは善悪と正義、欲望と倫理の狭間で大いに揺れ動き、彷徨する。カメラは淡々と、しかし丁寧に、彼らの心を追い、描写している。
 人物たちの心理面以外にも見所はある。配給会社は当初、本作をデトロイトで撮影する予定でいたのだが、フークア監督はそれに猛反対し、タイトル通りブルックリンで撮影することになったそうだ。N.Y.の中でも特に危険なイーストブルックリンでのロケを敢行。実際にそこに住んでいる人々をエキストラに採用している。作中のギャング役には、元ギャングの俳優、クレ・スローアンを起用。そこかしこに「ホンモノ」を引っ張ってくることで、フィルムによりリアルな質感を持たせることに成功している。
 本作に登場する「警察官」たちは、決して正義のヒーローではない。観終わっても大きなしこりが胸の中に残るような、重たい作品である。ただ、フークア監督はアンチ・ヒーローとして警察官を描きたかった訳ではない。彼にとって、「警察官」と言うのは、人間そのものなのだ。彼らが道を見失う姿は、人が「善なる者」であり続けることが、どれだけ困難であるかと言う比喩なのではないだろうか。彼らの職業が尊いからこそ、彼らの苦悩はより際立つ。魂をすり減らし、葛藤に苛まれる彼らの姿そのものが、フークワ監督が込めた人間の善性への賛歌なのだろう。そのメッセージを是非、ご堪能いただきたい。

※1…在ニューヨーク日本総領事館のサイト(http://www.ny.us.emb-japan.go.jp/)より


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