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古今東西刑事映画レビューその13:あるいは裏切りという名の犬

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

2004年/フランス
監督:オリヴィエ・マルシャル
出演:ダニエル・オートゥイユ(レオ・ブリンクス)
   ジェラール・ドパルデュー(ドニ・クラン)
   ヴァレリア・ゴルノ(カミーユ・ブリンクス)

 物語の冒頭、深夜のパリ。何やら怪しい2人組が、交差点に掲げられた地番表示を取り外そうとしている。「36 Quai des Orfèvres」と記されたそれを、彼らは警官の制止を振り切り、持ち去ることに成功する。
「36 Quai des Orfèvres」、日本語に訳せば「オルフェーブル河岸36」と言う。この映画の原題でもある言葉。実は、パリ警視庁の所在地であり、また、警視庁の組織そのものの通称でもある。
もし、本作を日本の映画人が作っていたならば、そのタイトルは“霞が関2丁目1番地”もしくは“桜田門”になっていたのだろう。不穏な印象の邦題に比べると、随分シンプルだ。こんなタイトルが付けられた映画の舞台は、勿論、パリ警視庁である。
 映画をご紹介する前に、欧州の大国・フランスの首都警察、パリ警視庁とはどのような組織なのかをざっと見ておきたい。17世紀半ば、時の国王ルイ14世によって「パリ警察総司令官」と言う名の職が創設され、時代の要請に応じて名称や指揮系統を変えつつも、パリの治安維持に一定の効力を発揮してきた。そして1800年、皇帝ナポレオン・ボナパルトの名のもとにパリ警視総監の権限が明示され、以来彼らは、今日に至るまでその権限の元に任務を遂行し続けている。
 そんな由緒ある組織だけあって、有名なフィクションにも時折顔を出す。怪盗アルセーヌ・ルパンを追うガニマール警部も、名探偵として名を知られるメグレ警視も、この「オフェーブル河岸36」に所属している。
 現実のパリ警視庁の職員数はおよそ3万4千人。そのうちの1万9千人弱が警察官であり、残る1万5千人は消防隊員や技術官・科学官などで構成されているそうだ。
主人公のレオは、パリ警視庁BRI(探索出動班)を率いる主任警視である。彼が1年半にわたり追っているのは、現金輸送車を重火器で襲撃しては現金を強奪するグループ。総額200万ユーロ、死者9人にも及ぶ被害を出している凶悪事件を解決すべく、レオの上司、マンシーニ長官は檄を飛ばす。長官は近々昇進を控えており、パリ警視庁を去る前に何としてでもこの未解決事件に決着をつけたいと考えていたのだ。長官はこの事件を解決したものに後任を委ねること、そして彼自身が後継者となって欲しいのはレオであることを告げ、レオに捜査の指揮権を委ねる。
 レオには、かつて1人の女性を巡って対立した友人がいた。女性はレオの妻となり、友人とは袂を分かつことになった。その元友人は、現在パリ警視庁BRB(強盗鎮圧班)の主任警視として、レオのBRIと激しく対立し、また次期警視庁長官のポストを競い合う、ドニ・クランであった。「BRBはBRIの援護にまわれ」と言うマンシーニ長官の命令に、昇進を渇望するドニは、渋々従うのであった。
 レオはある危険な行為と引き換えに、かつて使っていた情報屋から現金強奪犯のアジトを聞き出すことに成功する。武装してアジトに向かうBRIとBRBの捜査員たち。だがそこで、思わぬ事態が発生する。功を焦ったドニが、レオの命令を無視して暴走。犯人たちと銃撃戦になる。主犯の一人を取り逃がし、レオの友人であり信頼する部下でもあったエディが凶弾に斃れた。
 過失を問われ、内部調査委員会の尋問を受けるドニ。絶体絶命の男は、取り調べ中にある裏情報を明かす。それは、レオが捜査の途上で犯した「危険な行為」にまつわる情報であった。
 その後のレオとドニの身に起こる出来事は、邦題の「あるいは裏切りという名の犬」が、原題とはまた違う側面から体現している。彼らに何が起こるのかは、この邦題を頭に入れつつ、是非ご自身で目の当たりにしていただきたい。
 若かりし頃の三角関係に端を発する、元は友人であった男たちの感情の揺れ動き、選択の行く末、そして決着が、太い縦糸となってこのドラマを作り上げている。縦糸に絡みつく横糸となるのは、レオと妻、そして娘の絆であったり、レオを慕うBRIの捜査官たちの一本気な男らしさであったり、また、ドニの部下として忠実に職務に就きながらも、彼の他者を強引に退ける人柄に疑問を抱く女性捜査官の生き方であったりと、実に多様で細やかな人間性の描写である。上質のサスペンスでありながら、人々の葛藤や悲嘆、そして愛情を濃密に描いている。さりげないシーンや聞き流してしまいそうなセリフや小物が、その後になって思わぬ展開を呼ぶ仕掛けも巧みだ。
 監督兼脚本として、この作品を作りだしたオリヴィエ・マルシャル。実は現役の警官としてパリ警視庁に勤務していたと言う。彼は、自分が実際に遭遇したふたつの事件をベースに、この物語の脚本を書いた。自身の経験が本作に更なる重厚さを齎したことは言うまでもないだろう。
 本作によって2004年のセザール賞に複数部門ノミネートされたマルシャル監督は、その後もフランスにおけるフィルム・ノワールの新旗手として、スリリングな作品を製作し続けている。日本では残念ながら、映画館未公開のまま、DVDソフト化されることが多いようだ。
 未公開映画を観る、そのためにレンタル店でDVDを手に取る、と言うのは、映画ファンにとっては賭けのようなものだ。良作に当たることも勿論あるけれども、そうではない場合も往々にしてある。もやもやした気持ちを抱いて再生機のスイッチを切った経験をお持ちの方も多いだろう。
 しかし、この監督の作品ならば、その心配は御無用。きっと、充実した気分でエンディングロールを眺めることが出来るはずだ。

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