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古今東西刑事映画レビューその42:800万の死にざま

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

1986年/アメリカ
監督:ハル・アシュビー
出演:ジェフ・ブリッジズ(マシュー)
   ロザンナ・アークェット(サラ)
   アンディ・ガルシア(エンジェル)

 以前、“16ブロック(’06)”と言う作品をご紹介した際に、「主演のブルース・ウィリスは一体何本の映画に警察官として出演しているか」と言うような一文を書いたことがある。彼の実績を強調したくてカウントしたものだったが、今回取り上げる本作の主演、ジェフ・ブリッジズもしばしば警察官を演じているところを見かける。特に彼の場合、西部劇の保安官役がよくハマッている。小欄にも既に登場済みの“トゥルー・グリット(’10)”がそうだし、また一昨年公開されたコメディ“ゴースト・エージェント/R.I.P.D”もそうだ。ハスキーな声、蓄えた髭、貫禄たっぷりの佇まい。確かにジェフ・ブリッジズには保安官役がよく似合う。
 ただ、本作で彼が演じるマシューと言う男は、開拓時代の荒野で無法者たちと渡り合う保安官ではない。80年代のロスアンゼルス市警に勤務する麻薬捜査官だ。
 物語は、マシューら捜査官たちが、麻薬の売人の自宅に突入する場面から始まる。抵抗する丸腰の売人を射殺してしまった彼は、上司の執拗な追及と自責の念から酒に溺れ、アルコール依存症になってしまう。仕事に出ることもままならなくなり、妻にも見放された男は、それでもなんとか半年間の治療で断酒に成功することが出来た。
 仕事にもそろそろ復帰しようとしていたある日、かつての捜査で顔見知りになった高級娼婦のサニー(アレクサンドラ・ポール)が助けを求めてきた。彼女たちを雇い、売春ビジネスを取り仕切っているマフィアのチャンス(ランディ・ブルックス)の秘密を知ったために、命を狙われていると言うのだ。
 マシューはサニーを助けようとするが力及ばず、彼女は無残にも殺害されてしまう。哀れな女のために犯人を捕らえることを誓ったマシューは、サニーの仲間の娼婦、サラ(ロザンナ・アークェット)の力を借り、残された手がかりから事件の真相を追う。真犯人として浮かび上がってきたのは、近頃麻薬のブローカーとして名を売り始めたエンジェル(アンディ・ガルシア)と言う男だった……。
 主人公のマシューは、決して主人公然としたスマートな、デキる男ではない。職場での立ち位置も怪しく、妻には離婚されて天涯孤独。アルコール依存で自身の健康さえ覚束ない。そんな何も持たない男が、ただ自分の中で燃え盛る正義感だけを頼りに、狡猾なマフィアに立ち向かうのだ。
 彼の中で、挫折とアルコールは一対のものになっている。人一倍優しく、義侠心のある男だからこそ、人を傷つけたり、人を救えなかったりした記憶に苦しめられ、逃げ道を求めてしまう。どんなに「今度こそ酒を断つんだ」と誓っても、上手く行かない。だが不思議なことに、マシューは決して諦めない。何度でも酒を断ち、自分の信念のままに悪漢を追う。脅されても、ぼろ雑巾のように殴られても、決してそれを止めない。脆さと強さ、女々しさと雄々しさが同居する人物像は、この作品が80年代のものだと言うことを忘れさせてくれるほどリアリティに満ちていて、人間誰もがこんな矛盾や葛藤を抱えて生きているのだと言うことを伝えてくれている気がしてならない。
 彼だけではない。物語を彩る2人の女、サニーとサラの、ただ男たちに運命を任せて生きるのではなく、それぞれに自分の人生を切り開こうとする姿も描かれる。それはマシュー同様に我々に感銘と勇気を与えてくれるだろう。タイトルには「死にざま」と言う言葉が使われているが、その実この映画が示しているものは、我々と変わらない市井の人々の「生きざま」なのだ。
 30年前の作品と言うだけあって、今は大物俳優として名を知られる出演者たちもまだ若々しい。本作の翌年に“アンタッチャブル”の若い警官役で一躍人気者になるアンディ・ガルシアや、同年の“グラン・ブルー”で全世界の若者たちを熱狂させたロザンナ・アークェットの存在感はさすがの一言で、役者として大成していく者の才気のきらめきを感じさせられる。
 監督はこれが遺作となったハル・アシュビー。アメリカン・ニューシネマの佳作を数多く世に送り出した監督が、新境地として選んだのがこの作品だった。映画を撮り続けることが出来れば、アクション作家としての姿も見せてくれたのかもしれないと思うと、非常に残念だ。
原作はニューヨークを舞台にした人気ハードボイルド小説、「マッド・スカダー」シリーズの中の作品で、映画化にあたって設定を大幅に変えられたために「こんなのはマッド・スカダーじゃない!」と反発を覚えるファンの方もいらっしゃるようだが、これはこれで、一個の映画として美しく成立しているのではないかと思う。殴られても、踏まれても、決して諦めない、ふてぶてしいまでにタフな、それでいて優しい男。ハードボイルドの主人公として、マシューほど相応しい男はいないだろう。何かに負けそうになったとき、彼の姿を見れば、どこからか力が湧いてきそうだ。そういう魅力に満ちた良作なのである。

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