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損して取れるものはあまりない。

音楽に傾倒している自分が長岡亮介を知らなかった事を恥じた昨年の春。
件のドラマを見ていて思った事はこれだった。

松田龍平や長岡亮介みたいなぬぼっとして、飄々とした人物になりたい。
感情を表に出さず、喜怒哀楽が分かりにくい言わば「つかめない人」

何だろう、このジャンルの人たちの余裕。
何事にも動じず、マイペースであり、「ぶれるとかぶれないとかそういう概念とかどうでもいー」っていう執着のなさ。
自分をよく見せたいとか、どう見られたいとか、こう見られたら嫌だと言う小心者感もない。

自分はものすごく気にするし、ガサツな人間とかも嫌いだ。
絶対自分が損するし、イライラさせられるから関わりたくない。

でも本当はそう言う人間にものすごく憧れていて、何にも気にせず気も使わずマイペースに生きたいと思っているのだ。

自分の中のよく分からんストッパーががっちり止まってるから外れることはない。
それはよく分かっている。

先日退職することになった女の子に、しょっちゅう相談されたり何だりで結構関わり合いがあったと思ったので、可愛らしいグラスをプレゼントした。

彼女からは特に何もなかったのだ。

そうだ。そうなのだ。

前も似たような事は何回かあった。
これは与える側の人間と、与えられる側の人間の違いなのだそうだ。

自分は確実に与える側の役割を与えられた人間だと言うことは薄々気付いている。
相談されることは多いが、相談に乗ってくれるような人はほぼいない。
相談をしても、的確なアドバイスをくれるような人がいない。
結果相談しなくなる。

何かトラブルが起きたときの処理や、トラブルが起きる前のストッパーになることも多い。 
気付いてしまうのと、面倒な事や時間の無駄が嫌いだからだ。

そうやって、人に極力迷惑をかけないように気を配って生きている節がある。

人が何を思っているか、それをやったらどうなるかが分かってしまうのはものすごい損だ。

それは、

マイナスを防ぐ役割

として働く直感。

正直そんな役割だとしか思わないが、そう言うポジションであるから潔く受け止めるしかない。

怖くてできないが、1日だけ松田長岡ポジションの人間として生活してみたい。
絶対友達減るだろうが。
与えられる人って良いな。
これ書いて思ったけども、色んな意味でストッパーがかかりすぎてるみたいです笑

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