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第7話『A fighter』

明確に異変を感じたのは、体育が終わった時だった。
今日は、なんだかやけに視線を感じる気がした。
そして、その感じは、体育の時、頂点に達したのだ。
今日は、1学期最後の体育の日で、水泳の授業を終えたアタシは、水着から体操着へと着替えようとしていた。
水着を脱ぎ、下着をつけるまでの間、猛烈に視線を感じたのだ。
更衣室には女子しかいないし、身体を見られても別になんとも感じない。
しかし、今日は明らかに変だ。なんだか、視線がまとわりついてくる。
ジャージへと着替え終わった時、アタシは我慢できず、視線を送っていた相手に声をかけた。
「璃子さん、アタシに何か用でもあった?」
相手は、小泉璃子。
陸上部に所属する、クラスメイトの一人だ。普段、あまり話したことはない。
もっとも、アタシの場合、クラスメイトのほとんどとの交流が薄いのだが。
「え? なにが?」
璃子は、何事もなかったかのようにとぼけている。
「アタシのこと、見てたみたいだったから」
「あちゃー、バレちゃった?」
璃子は、悪びれる様子もなく、ぺろりと舌を出して、「メンゴ、メンゴ」と片手をチョップするかのように上下させた。
「いやー、堀北ちゃん、すらっとして綺麗な身体してるなーと思ってさ。思わず見とれちゃった」
本当だろうか。
というか、そんな理由であんなにまじまじと身体を見つめるものだろうか。
友達同士ならあるのかもしれない。けれど、アタシと璃子は、特に親しい間ではない。
アタシが訝しんでいると、璃子は、今度は両手を合わせ、「許して、お願い!」と謝った。
これ以上怪しんでいても、結論は出ない。アタシはひとまずこの場をおさめることにした。
「ううん。別に構わないよ。減るもんじゃないし。でも、アタシなんかより、璃子さんの方が綺麗な身体してると思うけど」
そう言うと璃子は、「本当? いやー、照れちゃうなぁ」と頭を掻きながら、アタシから離れていった。
変だなと思いつつも、アタシは、荷物を取り、有紗を探した。
授業終わりの移動時などは、いつもなら有紗の方から声をかけてくる。しかし、今日の有紗は様子がおかしい。どこか、アタシを避けている気がする。
アタシは、朝感じた嫌な直感が膨らんでいくのを感じていた。
更衣室を出る。
有紗は、既に校舎に向かって歩き始めていた。
アタシは、その背中に声をかけられず、けれど、離れることもできなくて、有紗と中途半端な距離を保ったまま、校舎とプールとを横切る道路を渡った。
すると、渡りきったあたりで、後ろから声をかけられた。
「堀北ー!」
アタシは振り返る。
声の主は、鈴木くんだった。
アタシは、小首を傾げる。「なに?」という意味だ。
すると鈴木くんは、小走りでアタシの下へとやって来て、こう言った。
「堀北、お前、野口となんかあったのか?」
「別に」とシラを切ることもできた。でも、アタシはそうしなかった。
なぜだろう、鈴木くんに話せば、何かが変わる気がしたのだ。
もしかすると、テステロの一件のせいかもしれない。
「なんだか、有紗がアタシと距離を取ってるみたい。アタシの気のせいかもしれないけど」
鈴木くんは、「ふーん」とつぶやいた。
何かを考えているらしい。
「よく分からないけど、俺の方から話し聞いてみるわ。本人同士だと言いづらいこともあるだろうしさ」
その申し出に、アタシは素直に「ありがとう」と言った。
やはり、鈴木くんは何かを変える力があるのかもしれない。いや、そんな力はなくとも、変えようとする思いは、間違いなくある。
そうだ、今のうちに日曜の話をしてしまおう。きっと、それまでには有紗とのことも何とかなっていると思いたい。
「それより、鈴木くん。今度の日曜、ヒマ?」
鈴木くんは、「んー?」と言った後、
「何も予定はなかったと思うぜ? 何かあるのか?」
と訊いた。
「有紗と鈴木くんとアタシで、プラネタリウム行かない?」
鈴木くんは、驚いた顔をする。
「どういう組み合わせだよ、それ」
「両手に花で楽しそうじゃない。それに、キミ自慢の星の知識も活かせるわよ」
「俺のは知識じゃないんじゃなかったのか?」
鈴木くんは、少し不機嫌そうな顔を作った。どうやら、この前の夜のことを言っているらしい。
「つまらないことは気にしない。で、行くの、行かないの?」
アタシは、一歩詰め寄った。鈴木くんは、一歩引く。
「まぁ、たまにはそういうのも楽しそう……かな?」
「じゃ、決まりね。日曜1時にシビック前に集合」
言って、アタシは踵を返す。
くるりと回る瞬間、視界の端に女子のジャージが見えた気がした。
「でもよ、堀北と野口、それまでに仲直りできんのかよ?」
「さぁて。喧嘩してるわけじゃないしね。キミ次第じゃない?」
アタシは、振り向かずに「よろしく」と言って手を振り、校舎へと戻った。

それからアタシは、帰りの会を終え、部活へ向かった。
その間も、やはり、違和感は付きまとった。
有紗とのこともあるが、それだけではない。
クラスが、学校が、アタシを異質とみなしているような、全身がピリピリする感覚。
この違和感は、なんなのだろう。
別に何があるわけでもない。けれど、空気だけが気持ち悪い。
嫌な感じだった。
それは、部活中も続いた。
けれど、その中で、成美ちゃんと遙花ちゃんは、いつもと変わらず接してくれた。それが嬉しい。
そして、部活終わり。
違和感を感じたまま、成美ちゃん、遥花ちゃんと一緒に下校の用意をしていると、浅野が声をかけてきた。
「堀北さん、ちょっといい?」
アタシは、カバンを肩にかけながら、首をかしげた。
「高星先輩が、ちょっと来て欲しいって」
ふとコートを見ると、高星先輩がボールを持って立っていた。他の先輩や、同級の子たちもいる。
彼女達の目に、なぜか、敵意のようなものを感じた。
「先輩、なんなんですか?」
異常を感じたらしい成美ちゃんが、浅野に食ってかかる。
「1年は黙って帰って」
浅野は、突き放すように言った。
すると今度は、遥花ちゃんが前に出た。
「先輩達、様子が変ですよ」
「だから、黙って帰りなって。なんでもないから」
浅野が一歩前に出る。
アタシも、成美ちゃんと遥花ちゃんを背に一歩歩み出た。
二人に振り返る。
「何でもないんだって。二人は帰りなさい」
なんだか分からないが、異常な雰囲気だ。今日感じていた違和感が凝縮し形を成したかのような、嫌な感じ。

——あの時のような。

二人を巻き込むわけにはいかない。
アタシは、二人を置いて歩み出す。
「行けばいいのよね?」
浅野は頷き、先輩達へと向き直り、すたすたと歩き出した。
「堀北先輩ッ!」
成美ちゃんと遥花ちゃんが叫んだ。
「また、明日ね」
振り向かずに言う。
二人はまだ帰らない様子だったけれど、アタシは歩みを止めない。
腕が震える。
足の感覚がない。
けれど、頭は冴えわたっている。
そう、これは恐怖なんかじゃない。
これは——怒りだ。
アタシは、全身に怒りを充填する。
それは、生物が持つ防衛本能に似ていた。
これから振るわれるであろう理不尽な力に対し、アタシは臨戦態勢をとる。

——あの時も、こうしていれば。

「なんですか、先輩」
なるべく穏やかに響くように努力したつもりだった。でも、アタシの口を伝って出たその言葉は、やはり、どこか刺々しく響いた。
先輩や同級生達がアタシを取り囲む。
「堀北、アンタ、調子に乗ってるでしょ」
調子に乗る。
なんて便利な言葉なのだろう。気に入らない相手は、全て調子に乗っていることにすれば、攻撃対象にすることができる。
「アタシのどこが、調子に乗っているんですか?」
「そういうところよ。わからない?」
「わかりません」
「アンタ、ちょっと私たちよりバレーが上手いからって、態度がでかいのよ。だいたい、バレーは団体競技なんだから、アンタ一人が上手くたって、何にもならないんだからね!」
それはそうだろう。
そんなことは分かっているし、アタシは、チームプレイを軽んじたことなんて一度もない。
態度がでかいという話しに至っては、ただの言いがかりだ。
アタシは呆れかえった。
「そうですか。それで、アタシにどうしろと?」
高星先輩は、アタシの物言いに激昂しながら言った。
「コートに立ちなさい。たった一人のアンタがいかに無力か、教えてあげるわ!!」
そう言うと、高星先輩を始めとするアタシを囲んでいたメンバーは、それぞれのポジションについた。
どうやら、アタシ一人対先輩達で、バレーをしようということのようだ。
なんて、幼稚なのだろう。
「わかりました。ちなみに先輩達は、もちろんアイサンを使うんですよね?」
アタシは、先輩達を挑発した。
今、アタシと対峙しているメンバーは、皆、普段の練習からアイサンを使っている奴らだ。
弾道を計算するアプリというのがあるらしい。
それを使っているのだと、成美ちゃんから聞いたことがある。
「何を言ってるのか、分からないわ」
高星先輩はシラを切った。
しかし、その顔は、明らかに動揺している。
「まぁ、いいです。ところで、アタシは一人なんですから、3回まではコンタクトしてもいいですよね?」
元からメチャクチャなルールだけれど、これくらいは許してもらわなければ、ゲームにすらならない。
高星先輩は、渋々といった様子で頷いた。
「いくわよ」
高星先輩が、サーブのためにボールを放った。
アタシは、身構える。
もっとも、この広いコート内をアタシ一人でカバーできるわけがない。
それは、高星先輩も思っているだろう。
ならば、狙うはアタシの後方。それも、すぐには反応できないように、利き手とは反対側を狙うだろう。
アタシの利き手は、右。
バシンッという音が響く。
同時にアタシは左後方へと走った。
くるりと振り返る。
ボールが、アタシ目掛けて飛んでくる。
アタシは、レシーブの態勢に入る。
腕に衝撃。
ボールは、相手コート目掛けて放物線を描く。
アタシは、また走り出す。反対側へ速攻を仕掛けてくると睨んだからだ。
バシンッ!
狙った通りのダイレクトアタック。
しかし、アタシはまだレシーブには入れない。

——普通なら、ね。

アタシは、真っ直ぐに足を伸ばした。
ボールが足に当たった瞬間、つま先を跳ね上げる。
ボールは、真っ直ぐに宙を舞った。
アタシは、すぐに態勢を整え、ボールを追う。
跳躍し、体を弓なりに反らす。
ボールが、アタシの射程範囲に入った。
そのボール目掛け、アタシは思いっきり掌を叩き込む。
インパクト。
いい手応え。
次の瞬間、ボールは先輩達をすり抜け、地面にぶち当たる。成美ちゃんが、「ズドゴォンッ!」と形容したあの音が響いた。
「な、何なの今の?!」
浅野が喚く。
他の先輩や同級生達もざわついている。
「足なんてありなの?!」
浅野の問いかけに、アタシはさらりと答える。
「1995年のルール改正から、体のどこでもありだけど」
もっとも、彼女が聞きたいのはこんなことではないだろう。
「そんなの知ってる! 私が聞いてるのは、堀北の足さばきの方よ!!」
そうだろう、とアタシは思っていた。
「セパタクロー。知ってる?」
「セパタ……クロー?」
セパタクローは、東南アジアを中心に競技が行われているスポーツだ。
コートの大きさやネットの高さ、人数、使用するボールの種類に差はあれど、ルールはバレーボールによく似ている。
一番の違いは——。
「手は使わないの。セパタクローは、足で行うバレーなのよ」
そしてアタシは、東京ではバレーを行う傍ら、セパタクローもプレイしていたのだ。
「つまりね、アタシは全身でボールを操ることができるのよ。だからね——」
アタシは、ありったけの怒りを込めて言った。
「——あなたたちレベルなら、アタシ一人で十分なのよ」
その言葉に、先輩達が激昂する。
「なんなのよ!」
「調子に乗るなっての!」
「少しあっけにとられただけじゃない!」
「次はこうはいかない!」
「死ねよ、ブス!」
アタシは、その言葉を真っ向から全て受け止める。
「いいから、早く。もう一度よ」
アタシは、ボールを要求する。
「今度は、アタシがサービスでしょ?」
アタシがそう言うと、高星先輩が、浅野にボールを投げるよう指示した。
ボールがアタシの方へと乱暴に寄越される。
アタシは、それを拾い上げると、サーブの態勢に入った。
空中へとボールを放り、思いっきり掌を叩き込む。
ボールは綺麗な放物線を描き、相手コートへと飛んでいった。
先輩達は、それに素早く反応する。
トスを繋ぎ、アタック。
アタシはそれを必死で追う。
レシーブ、トス、アタック。
返される。
また、繰り返す。
先輩達は、何度でも打ち返してきた。
アタシも、何度でも打ち返す。
手を使い、足を使い、体全体を使ってボールを返した。
しかし、先輩達はその全てを返してくる。
恐らくは、弾道計算の賜物だろう。
しかし、アタシは挫けない。
弾道計算できたとしても、反応できない速度でボールを叩き返してやればいい。
アタシは、そのチャンスを待っていた。
「早く、諦めなさいよッ!」
高星先輩のスパイク。
しかし、変に力んだ為に、軌道、威力ともに隙だらけだ。

——今ね。

アタシは、着地点に走り、レシーブを上げる。
次に、軌道を安定させるため、トスを繋いだ。
ふわりと浮き上がったボールへ向かい、アタシは助走をつけて跳んだ。
体を反らす。そして、打つ。
「え……?」
ズドゴォンッ!!!!
ボールは、凄まじいスピードで床へと打ち込まれた。
先輩達は、皆一様に固まっている。
それはそうだ。
さっきのバックアタックは、油断していたから逃した。先輩達は、そう思っている。
しかし、今度のスパイクは違う。
先輩達に油断はなかった。
そして、アイサンだって使っていたはずだ。
それでも、反応できなかった。
そのことに先輩達は驚いているのだ。
「これでわかった? 人数に頼ろうが、アイサンに頼ろうが、バレーでアタシをどうこうすることはできないわ」
アタシは、そう言い放って、その場を後にした。
先輩達は、もはや何も言わずにアタシを睨みつけるだけだった。

——これだけでは、済まない……わよね。

アタシは、これから始まるであろう最悪な日々に対する覚悟を決めた。

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