第2話『野球とコネと単細胞』
それからの日々は、アイサン漬けだった。
朝から晩まで、起きている全ての時間、とにかくアイサンを使いまくった。
3日目くらいになると、流石に目が疲れてきて、少し使わなかった時間もあるし、1日くらい休もうかと思ったこともある。
しかし、コネを使ったやりとりを1日休むと、一気にみんなとの会話が噛み合わなくなる恐れがあった。
それほどまでに、コネでの会話のウェイトは重い。
特に、テステロの話題は、コネでのやりとりのみで進められていた。
だから、多少無理をしようとも、俺はアイサンを使い続けた。
おかげで、少しの疲労感と引き換えに、俺は、大分アイサンの使い方に慣れてきた。
例のマバタキもできるようになってきたし、複雑な操作でなければ、眼球を動かすことなく操作できるようになってきた。
それに、様々なアプリも試した。
まずは、SNS系。
これはもちろん、コネだ。
他にもいくつかあるけれど、今のところ、他のアプリの必要性は感じないし、第一、コネだけでいっぱいいっぱいだ。
次に、ゲーム系。
視覚による拡張現実を使ったものはやはり楽しい。中でも、アイサンと指だけでできる『Yubi鉄砲』はハマった。お金をかけず、かつ身軽にサバゲーのような遊び方ができるアプリだ。昼休みや、部活終わりなど、皆で集まってドンパチした。
そして、視覚情報系。
今のところ、これが一番お気に入りのジャンルになった。目で見たものの情報をバンバン表示するアプリだ。目的地までの最短ルートを案内してくれる、『Go through NAVI』。見たものの情報を表示、検索してくれる、『eye-ggle』。数式を見るだけで計算してくれる『Math Master』。球技で大活躍の弾道計算アプリ『NEO's EYEs』。そのどれもが、日常生活を大きく変えてくれるものだった。
まだまだ試していないアプリがたくさんある。
それだけでも、毎日がワクワクした。
これが、アイサンのある生活なのだ。
いつか見たアイサン特集の番組で、「全ての人間の人生がガラリと変わる」と言っていたのも、今なら全面的に同意できる。
アイサンがあれば、日常生活も、勉強も、スポーツでさえ、多大なサポートを受けることができるのだ。
それはつまり、特別なチカラを手にするということである。
「ハルー! お前の番だぞー!」
ミチルに声をかけられた。
俺は少し、ぼーっとしていたらしい。
ミチルは金属バットを持った手をこちらに伸ばしている。
「なんだよミチル、アウトかよ」
言いながら、バットを受け取る。
同時に、アイサンを操作して弾道計算アプリを起動した。
風向や風速などの情報が表示される。
「弾道計算すれば、三振なんてありえねぇってのによぉ」
「あいつ、すっごい豪速球なんだよぉ」
ミチルが情けない声を出した。
ピッチャーをつとめるカズキが、力こぶを作りながらニカッと笑う。
「球筋が見えても、俺っちには何のハンデにもなりゃしないのよん」
そして、俺を指差す。
「三者凡退させちゃうよん」
俺もバットでカズキを差し、ニヤっと笑ってやる。
「やってみな」
カズキば、もう一度ニカッと笑ってから投球フォームに入った。
ガバッと振り被る独特の構えから、全身を一気に捻る。
体中で遠心力を巻き起こし、それを腕へと伝える。
全ての遠心力を集中した一球が、腕からシュッと解き放たれた。
次の瞬間、俺の目にコースが表示される。
しかし、それを確認するとほぼ同時に、キャッチャーミットがバシンッと音を立てた。
キャッチャー兼アンパイアをつとめるリキが、「ストライーッ!」と声を上げる。
「ね、打てないでしょ?」
カズキがニヤつく。
「確かに速えーな」
球速のデータを見ると、132キロと表示されていた。
なるほど、豪速球である。
コースは、外角低めを射抜くようにまっすぐだ。
「次、来いよ」
俺はキッと目を凝らす。
カバッ。
シュッ。
バシンッ。
リキの声。
130キロ。
コースは、さっきとほぼ同じだ。
「振ってくれてもいいんだよん?」
カズキが挑発する。
もちろん、次は振る。
そして、当てる。
カズキは、己の豪速球に絶対の自信を持っている。
だから、二度続けて同じコースだったなら、三度目も同じコースなはずだ。
俺はそう当たりをつけ、カズキへとまっすぐな視線をつきつけた。
「次は打つぜ」
その言葉に、カズキはニカッと笑い、リキが放ったボールをキャッチする。
そして、無言で投球フォームに入る。
ガバッ。
シュッ。
コースが表示される。
そのコースの先へと、バットを思いっきり振った。
コースとバットがピタッと一致した。
ボールがそこへ飛び込んでくる。
カキーンッ!
快音を響かせ、ボールは空を射抜くように飛んで行った。
「そらみろ!」
俺はそう言うと、思いっきり走り出した。
しかし……。
「甘いんだなぁ」
カズキのつぶやきが聞こえた。
思わずボールの行方を振り返る。
すると、そこにはマサルがいた。
そして、無情にもボールはマサルのミットへと吸い込まれていく。
「アウッ!」
リキが声高らかに宣言する。
ふっと足から力が抜け、ガックリと肩を落とす。
「おしかったなぁ、ハルー!」
マサルが意地悪そうに笑った。
「うっせー!」
俺は拳を振り上げる。
「カズキには勝ったぞ!」
しかしカズキは、ニヤニヤと笑っている。
全く負けたとは思っていないらしい。
「ハルト、野球は打った打たれたじゃないんだな。捕った捕られたなんだな」
言って、カズキはまたニカッと笑う。
その笑顔に、俺も笑いが込み上げてきた。
「てめー、最初から打たせる気だったな」
「ハルトの性格からして、最後は絶対勝負に出るからなぁ。まぁ、振り遅れると思ってもいたんだけどねん」
カズキにまんまとしてやられた。
けれど、別に構わなかった。
確かに野球のルール上では負けたが、カズキの豪速球を打つことができた。
それだけで、俺は満足だったのだ。
そんなことを考えていたら、昼休みの終了を告げる予鈴が鳴った。
「戻ろうぜ」
マサルの言葉に頷き、俺たちは教室へと戻ることにした。
5時限目は、キモラの理科だ。
退屈になることは分かりきっていたので、俺たちポーン23は、例のテステロの最終打ち合わせをすることにしていた。
キモラの授業は、とにかくノートさえとっていればいい。
ノートをとりながら、コネでしゃべる。
これくらいはもう、朝飯前だ。
予鈴とともに、キモラが教室に入ってきた。
「はーい、じゃあ進めてくぞー。今日は、生物の細胞についてやってくよー」
間延びした声で、キモラは授業を開始した。
同時に俺たちは、コネを起動する。
「と、いうわけでぇ、テステロの最終打ち合わせ、はじめまーす!」
最初に発言したのは、タマキだった。
仕切りたがりで活発な女子だ。
皆、ポロポロと返事をする。
「最終打ち合わせっつっても、もうほとんど決まってんじゃんwww」
マサルだ。
そう、確かに決めることなどもうほとんど残っていない。
この数日間で、テステロの内容はほぼ決まっていた。
決まったことは、次の通り。
テステロは、理科のみで行うということ。
誰がどの分野の問題を担当するかということ。
役はストレートを目指すということ。
点数は、50点から2点刻みであげていくということ。
そして、決まっていないことはたった一つ。
ストレートの順番をどうするかだ。
「やっぱり、誕生日がいいんじゃない?」
アサノが提案した。
「私もそう思う」と、ノグチが同意する。
他の女子たちも、次々に賛同した。
それを、ニイクラが制す。
「うーん、それもいいと思うけどさ。それ、かぶる人出てこない? その時はどうするの? ちなみに僕は3月7日ね」
ニイクラの心配はもっともだった。
誕生日がかぶるというのは、稀にあることだ。
そこから、誕生日を発表しあう流れになった。
すると、俺たちは案外早く壁にぶつかった。
「俺、11月12日」
イケダがそう言った次の瞬間。
「あ、アタシも」
と、マツモトが発言したのだ。
皆、すんなりと順番が決まりそうにないことがわかり、それぞれに愚痴をこぼす。
「なんだよそれー」
「産まれた時間が早い方を先にすりゃよくね?」
「それは面倒」
「てかもう付き合っちゃえよ」
そんな言葉が次々と表示される。
何かいい順番はないだろうか。
一見ランダムに見えて、知っているものが見れば、一目で並びがわかるものは……。
そんなことを考えながら、何の気なしにトークメンバーの欄を開いた。
「あ」
思わず、そうこぼしてしまった。
キモラがこちらを見る。
「なんだ、スズキ何かあったか?」
「いや、えーと、あの、そういえば前に一度、単細胞生物って言われたことあるなぁと思いまして」
キモラは、眼鏡をクイっと直した。
「そいつは馬鹿にしたつもりかもしれないけどな、単細胞生物ってのは案外すごいんだぞ。よかったな、お前」
「いやー、光栄ッス」
クラス中から笑い声が漏れた。
しかし、ホリキタだけは、冷めた目でこっちを一瞥しただけだ。
「なんだよ、ホリキタ」
「別に」
ホリキタはそっぽを向いた。
なんだ、アイツ。
いや、そんなことよりも。
「いい順番、思いついたぜ」
俺はコネで発言した。
「マジかよ、単細胞生物」
「単細胞生物にそんな頭脳あるの?w」
「単細胞生物センパイ、パネーッスwww」
皆、さっきのやりとりをネタにしている。
「単細胞生物はスゲーってキモラも言ってたろーが。いいから聞けよ」
俺が思いついた順番は、至極単純なものだ。
というか、何故気付かなかったのだろう。
「ポーン23に加入した順でどうよ? 俺たちにしかわからないし、それでいて、ポーン23としての活動だってのが一目瞭然じゃん?」
一瞬、コネの流れが止まった。
何かまずい提案をしてしまったか……。
「ナイスアイディア!」
言ったのは、ニイクラだ。
その後、次々と賛同の声が上がった。
「それだ!」
「いいねぇそれ!」
「単細胞なんて言ってゴメンw」
「それっきゃないな」
これはいい流れだ。
このまますんなり決まるだろう。
しかし、そこでマサルがあることに気づいた。
「ナイスアイディアだけどさー、それって結局、お前が一番いい点数になるじゃんかwww」
なるほど、確かにそうだ。
でも、別に俺は成績なんて気にしてない。
「んー、それなら、加入が早かった奴を最高点にして、そこから下げてけばいいじゃん? それなら、ニイクラが一位ってことで、日頃の成績的にも矛盾しないだろうし」
どうせ、最下位でも50点は取れるのだ。
それなら、別に文句はない。
「ネンコージョレツねん」
カズキが発言した。
たぶん、年功序列のことを言っている。
「そーゆーこと。これなら文句ないべ?」
今度は、マサルも横槍を入れることなく賛同した。
最後に、タマキがまとめる。
「じゃー、これで決定ってことで、いーかな?」
皆、賛成を示す言葉や絵文字、スタンプで発言した。
発言していない者もいるが、特に反対はないようだ。
「よーし、じゃー、これにてけってーい! あとは、本番を待つだけだネ! ではでは、これにて打ち合わせしゅーりょー! あとは各自、好きにもりあがってネ。どーせ、授業聞いてるのはいないだろーし」
その言葉を最後に、場は雑談ムードとなった。
授業はまだ続く。
俺たちは、テキトーにノートをとりつつ、テキトーな会話を楽しんだ。
テステロ本番まで、あと一週間ほど。
きっと、上手くいく。
皆、そう信じて止まなかった。
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