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第3話『天体観測』

「えーと、まず状況を整理しようか」
発言したのは、ニイクラだ。
今日は、7月7日。
テステロから、2週間が経っていた。
あの日、俺たちは確かにテステロを実行に移した。
テステロは理科のみで行うことにしたので、その他の教科はいつも通りだった。
とはいえ、アイサンのあるテストは、もはや学力を問うものではなかった。
わからない問題は検索できるし、コネで相談することもできる。
だから、アイサンは、テステロの問題だけでなく、学校という制度そのものにとって、大きな脅威となっている。
当然、学校側も対策を講じてはいるが、なにせ、目に直接装着するデバイスなため、どれだけ徹底的に持ち物検査をしても発見することは難しい。
だからこそ、眼検と呼ばれる検査を実施しているのだが、結局のところ、アイカバーの前では、あくまでも形式的な検査しかできないのが現状だ。
この問題に対し、オトナたちはアイサンを検知するデバイスの開発や、全国の学校自体を電波的に遮断する計画を立てているらしい。
しかし、まだ、現実のものとはなっていない。
だから、学力検査としてのテストは、もはや意味をなしておらず、それはどちらかといえば、アイサンによる検索能力を測るテストと化していた。
オトナたちはこれを、知識の一般化と呼んでいる。
要するに、アイサンを持つ者は、知識に関しては、全員等しい能力を持っているのと同じだということ。
あとは、その知識をどう活かすかだ。
そんなわけで、最近では、テストのために勉強するなんていうのは、アイサンを持っていない奴だけの徒労となっている。
もちろん、前回のテストまでは、俺もその徒労を行っていたし、それが当たり前だった。
けれど、アイサンを手に入れた今では、そんなことに時間を割くよりも、自分の好きなことのために時間を割くことの方が圧倒的に有意義だと知った。
とはいえ、急にどの教科も点数アップというのは怪し過ぎるので、あくまでも、普段通りの点数に近い点を出せるような調整は必要だ。
だから、テストに答えるよりも、どこをどう間違うかの方が、よっぽど面倒だった。
そんなことを考えつつ、アイサンでの雑談も行いつつ、俺は各教科のテストを行い、そして、理科の時間になった。
コネでは早速、点数計算係のマサルが各問題の配点を計算し、メンバーそれぞれにどこを間違えるかの指示を与えていた。
続いて、分野ごとの解答係が、素早く各問題の正答を発表していく。
あとは、マサルの指示にあった問題をわざと外し、他の問題の正答を写していくだけだった。
これを全員が行えば、問題なくテステロは成功する。

——そのはずだった。

「昨日、キモラの授業で理科のクラス内順位が発表された。当然、96点の僕が一位になるはずだよね?」
ニイクラの問いかけに、何人かのメンバーが同意を示す。
俺たちの計画では、50点から2点ずつ点数を上げていき、ニイクラの96点が最高点になる予定だった。
「でも、おかしいんだ。僕は確かに96点をとった。ところが、僕の順位は2位だったんだ。僕は配点4の記述だけを外したから、つまりは、100点で1位をとった人が、この中にいるってことになると思う」
その発言に、皆、落胆した。
ニイクラが1位ではないということ。
それはつまり、俺たちのテステロは失敗に終わったということだ。
「で、どうするのん?」
カズキが尋ねる。
「どうするってこともないけれど、一応、皆の解答用紙を見せて欲しい。意図的にしろそうでないにしろ、このままじゃ気持ちが悪いし」
そう言うと、ニイクラは早速自分の解答用紙の画像をアップロードした。
確かに、96点だ。
「こんな感じで、この土日中には全員分が揃うように、よろしくね」
俺も早速、解答用紙を引っ張り出し、アイサンで撮った画像を、コネに貼り付けた。
「気になる話しだけど、悪ぃ、今日はここで落ちるわ」
俺がそう発言すると、ミチルが「珍しいね」と返してきた。
「ちょっと、出かけるんでな。じゃ!」
俺はそこまで言うと、コネを閉じて、後ろを振り返った。
ベッドの上に、リュックやシュラフ、折り畳み式のテントが並べてある。
全て、オトウから借りたものだ。
俺は、それらを抱えて部屋を出た。
階段を降り、リビングへと入る。
リビングでは、オトウがテレビを眺めていた。
画面の中で、丸いサングラスをかけた長身の男と、おかっぱ頭の女の子が並んでニューヨークの街の中を歩いている。
オトウのお気に入りの映画だ。
「またそれ観てんのかよ?」
俺はオトウに声をかける。
「もちろん。いい映画は何度観たっていい。母さんの笑顔と同じだ」
そう言って、オトウは俺を振り返った。
「準備、できたのか?」
「まあね」
オトウは、ふっと笑う。
「気をつけてな」
「オカアには内緒にしといてくれよ」
「わかってるって。ユキが知ったら俺まで怒られる」
オトウは、頭をぽりぽりと掻きながら、画面へと視線を戻した。
今日は7月7日、七夕だ。
七夕と言えば、天の川。
俺はこれから、一人で天体観測へ行く。
オトウとは何度もキャンプや天体観測へ行ったが、一人で行くのは初めてだ。
それをオカアはよく思っていない。
中学生はまだ子供だから、一人で行くのは危険だと思っているのだ。
しかし、オトウの考えは違う。
たとえ、何歳であろうと、自分で考えを持った時点で大人だという。
そして、大人は滅多なことではその考えを否定するべきではないのだとか。
だからオトウは、多少のことなら大目に見てくれるし、今回のように手助けしてくれることもある。
オカアの気持ちも優しさも分かるが、正直なところ、オトウの放任主義の方が、最近は嬉しく思う。
「じゃ、気をつけてな」
オトウは心配する素振りもなく、軽く手を振った。
その背中に「行ってきます」と声をかけ、俺は玄関を出た。
玄関を出ると、俺は自転車に荷物をくくりつけた。
オレンジ色が鮮やかなその自転車も、オトウのお下がりだ。
大学時代にバイトをして買ったらしい。
その自転車に乗り、俺は走り出す。
向かうは、里美牧場。
ここら辺では最も綺麗に星が見える場所だ。
ここら辺と言っても、ひと山ふた山越えなければならないから、自転車だと2時間はかかる。
そこはもう、ここら辺の中学生の生活圏ではない。
たった一人、夜に遠出をする。
しかも、泊まってくる。
そのことが、俺を興奮させ、自然と顔がニヤつく。
さあ、楽しい夜の始まりだ。

俺は、里美牧場に辿り着いた。
俺の計算とは違い、到着までには4時間近くかかった。
途中の山越えが、かなりこたえたのだ。
自転車を押して歩いたり、休んだりしながら、どうにかこうにか辿り着いたという感じだ。
時刻は午後11時30分をまわっていた。
俺は、陣取る場所を探し、牧場内を歩き回っている。
牧場内には、すでに何組か天体観測をしている人たちがいた。
そのほとんどは、車から星空を眺めている。
中には、本格的な天体望遠鏡を設置している人もいた。
俺は、なるべくそうした人たちから遠ざかった。
しかし、そうした人たちから離れるとなると、今度はなかなか場所が見つからない。
しばらくそうして歩いていると、少し先に小高い丘が見えた。
丘の上では、風力発電のための風車がぶんぶんと回っている。
あそこなら、人がいないかもしれない。
俺はそう思い、自転車にまたがり、丘へと走り出した。
丘にたどり着くと、俺は自転車を降りる。
立ち止まった途端、物凄い強風が俺を襲った。
「すっげぇ風……誰もいないわけだ」
俺はそう呟く。
この風では、天体観測どころではない。
「そりゃ、風車の下だからね」
不意に、誰かの声がした。
俺は、驚いて振り返る。
「そっちじゃないよ。下、下」
言われた通り、下を見た。
すると、そこに人間が倒れていた。
「うわっ!」
驚いて飛び退く。
「うわっ! って、キミね、女子に向かって相当失礼だよ。スズキハルトくん」
「な、なんで俺の名前知ってんだよ?!」
自称女子がため息をついた。
「アタシが誰かわからないのね……」
そう言うと、自称女子はすっと立ち上がり、ぐいっと顔を近づけた。
一瞬香った甘い香りにドキッとする。
「これでわかった?」
照れていることを悟られないようにしつつ、相手をまじまじと見つめる。
ボーイッシュなショートヘア。キリッとした眉。ネコのように鋭い目。鼻と口は小さい。
確かに、知っている顔だ。
「ホリキタ? お前、ホリキタメイか?」
ホリキタメイ。
俺のクラスメイトだ。
「お前、こんなとこで何やってんだよ?」
ここは、学区からは大きく外れている。
こんなところで、こんな時間に同級生に会うなんて、ありえないことだ。
「里帰り。アタシ、お婆ちゃんの家がここら辺なんだよ。だから、毎週ここに来てるの」
そこまで言うと、ホリキタは左の掌を上に向けて俺へと差し出した。
「キミは?」という意味らしい。
「俺は、その、アレだ」
本当のことを言うかどうか少し迷った。
天体観測なんて、俺のキャラじゃない。
「天体観測ってとこ?」
言い淀んでいるうちに、言い当てられてしまった。
「キミの荷物を見れば分かるわ」
ホリキタは、俺の自転車を指さしている。
「だよなぁ……」
「てか、こんな時間のこんな場所で他にやることだってないでしょ」
言われてみれば、確かにそうだ。
「てことは、ホリキタも?」
ホリキタはこくりと頷いた。
「そ。晴れてる週末はだいたい来るよ」
「マジか。なんつうか、意外だな」
俺の印象のホリキタは、どことなく冷めた奴で、こんなことには興味もなさそうだ。
「それ言ったら、キミこそ意外だよ」
それを言われると弱い。
「いや、えっと、新しいアプリ入れたからさ。それを試そうと思ってよ」
これは半分事実だ。
星に関する情報アプリをダウンロードしたので、それを試したい。
まあ、やはりもともと天体観測は好きなのだが。
「ふーん」
ホリキタは、急に冷めた目をした。
そういえば、最近、こんな目を見た気がする。
「あ。そういや、お前、この間のアレなんだったんだよ?」
そこで俺は、授業中にホリキタに冷めた目で見られたことを思い出したのだった。
「アレ?」
ホリキタはきょとんと小首をかしげる。
どうやら、何のことだかわかっていないらしい。
「ほら、何週間か前のキモラの授業ん時、お前、俺のこと見てたろ?」
冷めた目で。
という言葉は言わないでおいた。
ホリキタは、人差し指を顎に当て、視線を宙へ泳がせた。
記憶を辿っているらしい。
そして急に目をぱちぱちっと二度瞬きさせると、真っ直ぐに俺の目を見た。
「ああ、アレね。コネで会話でもしてんのかなぁと思ってさ」
「コネ」という言葉を発した瞬間、ホリキタは少し冷めた目をしたように見えた。
たぶん、気のせいだ。
「てことは、あの時、コネにいなかったのか?」
「アタシ、そういうの興味ないから」
言って、ホリキタはぐいーっと伸びをした。
「でも、アイサンはもってるんだよな?」
マサルからはそう聞いていたし、ポーン23のメンバーにも入っていたはずだ。
「まあね。でも、欲しくて買ったわけじゃないし。ほとんど使ってないよ」
「じゃあ、なんで?」
「アリサがね。一人じゃ心細いから、一緒に買おうよって」
アリサ……?
ノグチのことか。
「ノグチ? そういや、お前らっていつも一緒にいるよな」
ホリキタは、群れるようなタイプではないし、特定の誰かと仲良くしているわけでもない。
けれど、ノグチとはいつも二人でいる気がする。
「一年の時、出席番号が近かったからよく話してたんだよ。アリサとは、妙に馬が合ってさ」
「親友ってわけか」
ホリキタは、クスクスと笑った。
思えば、こんなに近くでホリキタの笑顔を見たのは初めてだ。
もしかすると、笑顔を見たこと自体が初めてかもしれない。
こうして見ると、案外、可愛い顔をしている。
「アタシはそう思ってるよ」
「なんだよそれ。親友は、お互いそう思ってるから親友なんだろ?」
俺とマサルのように。
親友は、お互いに信頼しきっているから親友なのだと思う。
「人の心は見えないからね」
そういって、ホリキタはまた笑った。
しかし、今度の笑顔は、どこか、消え入りそうだ。
「そんなことより。星、見なくていいの?」
そうだった。
しかし。
「でも、この風じゃなぁ」
人がいないのはいいことなのだが、あまりにも風が強過ぎる。
「だから、こうするのっ」
言った瞬間、ホリキタが俺の視界から消えた。
そして、ボサッという音がした。
音がした方を見ると、先ほどと同じように、ホリキタが倒れていた。
大の字になったホリキタのTシャツから、真っ白なへそが見えている。
「これなら、そんなに風も気にならないよ」
俺は、ホリキタの隣に同じように寝転んだ。
確かに、立っていた時と比べて、あまり風を感じない。
「おお、こりゃいいや」
「でしょ?」
「どうでもいいけどよ、へそ、隠せよな」
俺は、空を見上げたままそう言った。
「ひゃっ」という声がした後、隣で、ガサゴソと音がした。
「キミ、案外スケベなんだ」
「違ぇよ。たまたま見えただけだ」
「あっそ」
それから、暫く静かな時間が流れた。
ホリキタは星を眺めているのだろう。
目の前には、恐ろしい数の星の海が広がっていた。
小学生の頃、初めてオトウに連れられて来た時も、こんな星空が見えたのを覚えている。
その時オトウは、「これが本当の星空だ」と言っていた。
それを見た時も、俺はやはり恐ろしいと思った。
普段目にしていた星空の影に、これほどの数の星が隠れていたなんて。
そしてそれが、黙ってこちらを見つめていたなんて。
しかし、今はそれを美しく感じる。
もしかすると、怖さと美しさとは、似ているのかもしれない。
ホリキタは、毎週、こんな星空を眺めているのだ。
そう考えると、少しホリキタがうらやましくなった。
そんなことを思いながら、俺はアイサンで「Stars」のアプリを起動する。
途端に、目の前の星空に沢山の情報が表示された。
これまた恐ろしい情報の量だ。
「こりゃ凄い……」
思わずそうこぼした。
ホリキタが、「何が?」と尋ねた。
「さっき言ったアプリだよ。星の名前とか由来とか神話とか、バババーって表示されてんの」
ホリキタは、「ふーん」と興味がなさそうだ。
俺は、ひときわ輝く星を指さした。
「あれがベガ。織姫だな。で、あの天の川を挟んで反対側で輝いてるのが、アルタイル。彦星だ」
「それくらいは知ってる」
ホリキタは冷めた声のままだ。
俺は、ちょっとムキになって、目に付いた星の名前をどんどん言っていく。
「あっちはイプシロン、デネブに、ポラリス。反対側はアンタレス。アンタレスっていうのは、火星のマルスに、アンチをつけたのが由来らしいぜ」
俺が星の名を言う度に、ホリキタは「ふーん」とか、「へー」とか、相槌を打つ。
しかし、やはり興味はなさそうだ。
「お前、星を見るのが習慣なわりに、あんまし興味なさそうだな」
思わず言ってしまった。
すると、ガバッと言う音がした。
驚いて振り向くと、隣でホリキタが俺を見つめていた。
「うん。興味ないよ。だって、名前があろうと無かろうと、星が綺麗なことには変わりはないじゃない。例えば、美しい風景画を見たとして、それがモネの『睡蓮』だって知らなくても、その美しさに感動したことには変わりはないでしょ? 違う?」
ホリキタのその様子に、俺は少し気圧された。
「それはそうかもしれないけどよ、せっかく教えてやってるんだから、少しくらい興味持ってくれてもよくね?」
ホリキタが、俺をキッと睨んだ。
「キミの話しが、キミの知識から来るもので、それをアタシに教えてくれてるなら、それはもちろん興味あるよ。でも、違うでしょ? キミのそれは、ただアイサンが集めた情報を羅列してるだけじゃない。それは知識じゃないし、そんなことは教えてるなんて言わない。だから、そんなものに興味なんて持てない」
そこでホリキタは、ふぅと一息ついた。
ホリキタの目から怒りの色が和らぐ。
そして、ホリキタは空を仰いだ。
「知識は、経験から来るものなのよ。アタシは、それを大事にしたい」
それから、ホリキタは小さく「ゴメンね」と呟いた。
けれど、なぜだかその謝罪は、俺に向けられたものとは思えなかった。
ホリキタは、この星空の彼方にいる誰かに謝っている。
なんとなく、そう感じた。
「そっか。なるほどな」
今のホリキタの話しを聞いて、なぜホリキタがアイサンに興味がないのか、なんとなくわかった気がした。
きっと、ホリキタは、地に足をつけていたいのだ。
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じて、そして、自分の口で話したいのだ。
俺は、そっとアイサンを外し、ケースにしまった。
自分の目で星空を見つめる。
「綺麗だな」
「うん」
これで充分だ。
確かに、そうなのかもしれない。
それから、小一時間ほどホリキタと他愛もない話しをして過ごした。
そうして話してみると、ホリキタは、俺が持っていた印象とは違い、表情豊かで、笑ったり怒ったり、結構、ストレートな感情表現をする女の子だった。
「さて、と。そろそろ帰ろうかな」
そう言って、ホリキタは立ち上がった。
パンパンと、砂や草を払う。
「もう帰るのか?」
「いつもは日が昇るくらいまでいるんだけどね。さすがに、男子と夜を明かす趣味はないわ」
「はぁ?なんだよ、それ?」
「べっつにぃ」
そう言って、ホリキタは意地悪そうに笑った。
「じゃ、スズキくんも気をつけてね。朝までここだと、風邪ひくよ」
確かに、いくら寝転んでいても、風が吹き続けているここで寝る気はしない。
「そうだな。ここじゃ、テントも建てられないし」
俺も立ち上がる。
「んじゃ、またね」
ホリキタは、俺に背を向けた。
その背中に、俺は声をかける。
「最後に一ついいか?」
ホリキタは、くるりと猫のように振り返った。
「何?」
「ホリキタ、テステロって知ってるか?」
するとホリキタは、瞬間考え込み、
「ニュースで言ってる奴でしょ? それがどうかした?」
と答えた。
「いや、別になんでもないんだ」
「あっそ」
ホリキタは、またくるりと背を向け、ひらひらと手を振りながら、「またねー」と去っていった。

——どうやら俺は、テステロ失敗の原因を見つけたようだった——。

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