『火事』(3)
1章の続き、3話
それからツグエさんは仕事についての詳細を話し始めたので、僕はメモを取りながら聞いた。
開始は17時で開店前の掃除、買い出し、クリーニング店での応対、シェフの仕込みの手伝い、開店は18時からで22時までキッチンの方でシェフの手伝いと皿洗い、お酒造り、手が空いたらホールの方も手伝い。従業員はシェフが一人にバイトがもう一人、全員がベテランなので、当面は誰かの指示に従っておけば大丈夫。終わったら簡単な片付けと賄いを食べて23時に店を閉める。実働10日は練習期間とするけれど時給は変わらず、ただし、その期間は周りの体制等も気を使うので出来るだけ早く仕事を覚えるように。
少し問題があったのは服装の事。
「白シャツと黒パンツと、黒靴。これは用意してもらう必要があるけれど大丈夫?」
「高校の時の制服でいいですか?」
「ダメに決まってんだろ。」と言ってツグエさんは大笑いした。
「似たようなもんだけどさ。そうね、19じゃ、そりゃ持ってないよね。と言っても、俺のを貸しても大きすぎるし。身長は170くらいだっけ?体重は?」
「170ですね、体重は65です。」
「う~ん、じゃあ、46。44は小さいかもね。足は?」
「25.5です。」
「ちっちゃ。7インチね。」
(そら、あなたの30くらいありそうな足が化け物なんだよ。)と思った。
それからツグエさんは電話を掛けて、「あのさ、うちの新しいバイトの子が服がないんだけど、シャツとパンツと何パターンか貸してよ。それとさ、おまえ、足小さいだろ?いくつ?ああ、じゃあ靴もお願い。」という失礼で一方的過ぎる電話を二人に掛けて、「服はこっちで用意できたからいいよ。」と言った。
最後に、ツグエさんは名刺をくれた。
『洋食屋 鶫
ソムリエ 次枝 幹雄』
だから“つぐみ”かと、納得。
「多分、明日には髪を切って来られると思います。」と伝えると、「よろしく。」とツグエさんは言い、僕は頭を下げて店を出た。
原付に乗り、家までの帰り道、バイトが決まったことを喜びつつ、ツグエさんの事を考えていた。
穏やかな、ゆったりとした、気負わない感じの人だと思った。
僕の周りに何人もいる大人達、がさつさと無遠慮さを親しさにして距離を縮めてくる人達とも、無関心を前に出して一定の距離を置く人達とも違う。
当たり前の事ではあるけれど、僕の事をきちんと知ろうとして、その上で雇うかどうかを判断しようという、そういった誠実さを感じる印象だった。
僕にとって、そうした感覚で接してくれる人として園長先生が思い浮かんだ。
先入観なくきちんと話を聞いた上で、一般的ではなく極私的な感覚で言葉を語り、判断は全てこちらに任せてくれる人。
素直に良い人だと思った。
(大人ってこんなに優しかったっけ?)とも思った。
ちゃんと一生懸命働いて、認めて貰って、自分もあんな人になりたいと、そんな気持ちに慣れた自分が嬉しかった。
鬱蒼とした木々に囲まれた墓地添いの暗く細い小道を原付で上っていくと、坂の中腹辺りに僕が住んでいるアパートがある。
どこへ行くにも、山の小道を上か下に抜けるかしかない不便な場所で、築30年の2階建木造アパートは見ているだけで貧しさに耐えられなくなりそうな落ちぶれた雰囲気だが、月28,000円と格安なので満足している。
僕は入り口側の角部屋、隣には施設で1学年下だった吉田が住んでいる。その隣はバングラディシュからの留学生夫婦で大学に通っている。その奥は1階の最後の部屋で空き家になっている。
時刻は18:30、吉田の部屋には明かりが点いていない。まだ仕事から帰って来ていないようだ。
2章
1982年新春(洋平6歳)
『洋平へ。
元気にしてますか?
お母さんとはなればなれになって、半年がすぎましたね。
お母さんは今、遠い所にいます。洋平に会うことができなくて、さびしくて、かなしいです。いつもないています。
洋平にもかなしい思いをさせてしまってごめんなさい。
友達はできましたか?
いじめられたりはしていませんか?
とつぜんいなくなったお母さんをきらいになっていませんか?
お母さんは洋平をすてたのではないのです。
今までどおり、いつも洋平といっしょにいたかった。
だけど、どうしてもそれができなくなってしまい、少しのあいだだけ洋平をしせつにあずかってもらっているのです。
だから、洋平に会えるようになったらすぐに会いに行きます。
それまでがまんして、お母さんがむかえに来るのを待っていて下さい。
学校やしせつの先生たちの言うことはよく聞いてください。
勉強もして、たくさん友達と遊んで、運動もいっぱいしてください。
洋平と会える時にはどんな男の子になっているか?お母さんはいつもそればかり考えています。
本当です。
いつも洋平のことばかり考えて過ごしています。
いい子になっていてね。
お母さんのこと、きらいになっていないでね。
短い手紙でごめんなさい。
また、手紙を書くので楽しみに待っていてください。
お母さんより』
そんな手紙を1度書いて洋平に送った。
それから毎晩のように手紙を書こうとして、書いては破り捨てている。
内容はいつも変わらない。
あれもこれも書きたいのだけれど、本当のことは何一つ書けない。
書けば洋平は傷付くし、私のことを嫌いになるかもしれない。
だからいつも優しい母親として手紙を書き、何一つ大切なことを書けずに、こんなものは違うと思って捨ててしまう。
洋平はどうしているだろうか?
私のことを恨んでいるだろうか?
今は恨んでいなくても、いずれ私のことを捨てた母親と思い、恨み始めるのだろうか?
そんなことは絶対にあり得ないのに。
けれど、そう思うと尚更手紙を書けなくなる。
私は洋平と会うことは出来ない。
私は刑務所の中に居て、あと6年、洋平が中学に上がるまで、ここを出ることが出来ない。
私に出来ることは、ただ、洋平が私のことを忘れないでいてくれることを願うことだけ。
それだけしかできない。
『火事』(3)のあとがき
この小説を書いたのは30代の頃で、当時、山田宗樹先生の『嫌われ松子の一生』を読んで号泣し、(自分もこんなのが書きたい。パクリでも良いから!!)と思い立って書き始めたというのが本当の所です。
ここに来て、洋平の話とは別に母親の話が始まるという、パクリ感が丸出しになってきましたが、開き直って書いていくしかないです。
最後に、読んで頂きまして、ありがとうございました。
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