大学の限界と可能性
最近よく教育、特に大学のあり方に関して考えています。おそらく今僕が大学生だからなのでしょうね。
大学にはある点においては構造上大きな限界があり、ある点においては大きな可能性があると思っています。
そしてこのままじゃ大学の可能性を体現できないんじゃないか、という危機感も強く持ってます。
そんな思いからできたのがこのnoteです。それじゃあいってみよー
限界
まずはネガの方から。
要約すると「学びたいことを学ぶのはほぼ無理」ということです。
高校生が大学を選ぶ際の手順は大抵以下のようなものだと思います。
①学びたいことが学べる大学に目星をつける
②現在の学力で行けるところを選択する
(①と②の順序が逆転することも往往にしてある。特に高偏差値帯)
②が重要視されることに問題がないとは言いませんが、個人的にそこまで大きな課題感は感じていません。
問題は①なんですよね。
理想としてはめっちゃいいと思います。学びたいこと学べたらいいよね。
でもこれには以下の必要条件があって
(1)自分が学びたいことを解像度高く理解している
(2)その大学で学びたいことを解像度高く理解している
・
・
・
まぁ無理だと思うんですよね。
(1)に関しては、まず高校生は大抵自分のしたいことが曖昧です。ありきたりに言えば自己分析が不十分(別にディスってない。僕自身もそうでした。誰かのせいというより環境が悪い)自分のコアになるところに結びつけて解像度高く理解していいる高校生はほぼいないし、自由度の低い環境で視野が狭い高校生はそもそも自分のコアすら曖昧なことが多いでしょう。そのさきの人生で容易に変わります。
(2)に関しては、そりゃそうで、たとえ授業をみたり体験したりしないと本当に学べることってわからないよね。それこそ、継続的に学び始めるまでわからないと思います。
高校生側と大学側の両者の課題が解決されないと、高校生が学びたいことを学べる大学を選ぶことはほぼ無理でしょう。
これが大学の「学生が学びたいことを学ぶ場」としての重大な限界だと思います。
可能性
じゃあ大学って意味ないのっていうとそんなことはないと思っていて。別に学びたいこと学べなくてもいいじゃんという。それを呟いたのが以下のツイートたちです。
要は大学に
・学んでいることを自由に意味付けして、結果的に意味あるものを学べる場所(1個目、2個目のツイート)
・学んでいることを無視して、自由になんでもできる場所(2個目、3個目のツイート)
としての可能性を僕は感じているんですよね。
前者だと、例えば僕は大学での学びに最初は意味を見出せませんでしたが、次第に
「なるほど、これが教養か」
と思うことが多くなりました。大学で学んでいることに「"教養"として自分の人生を良い方向に持って行ってくれるもの」と言う意味を付与しているんです。
具体的な話をすると「生物は種の保存のために生きる」と言うのは進化生物学によると嘘です。一見これが真実っぽく見えるような事例もありますが、それは科学的誤りだと証明されています。つい先日、この「誤った真実」をもとに自分、強いては人間の生きる意味を規定して、学校まで建ててしまった芸能人を見て、
「Oh、、、」
となりました。怖い、怖すぎる。
他にも人生において知っておいた方がいいことっていくらでもあるんだろうな、と思います。
もっと直接的に活かせる知識や技能もありますよね。心理学などはいくらでも転用が聞いて面白いです。これが僕が思う学ぶ「意味」です。
後者の「可能性」の話だと、
・学外での活動
・学内での自主活動
・領域横断的な学び
をも自由に組み合わせて多くの経験と広い視野をえれる、ということです。
例えば僕は
・学外での活動→長期インターン、スポーツ界での経験
・学内での自主活動→サマーキャンプ主催サークル
・領域横断的な学び→理系科目の学習(これは強制的にやらされました笑笑)
こんな感じです。もちろん全部やる必要はありません。自分がしたいもの、自分の大学でできるものをやればいいのです。
この中で、僕は様々な価値観にであい、間違いなく視野と知識が広がりましいた。シンプルに能力も上がったと思います(正直者なので)。僕にとっては大きな意味です。
〜〜〜〜
以上2つが僕が考える大学の可能性でした。
最後に
絶対みんな「今大学でやってることなんか違う感」は感じると思います。しかし、これは上で述べたような構造的な問題で、誰しもが一度は通る道です。ましてやあなたに責任はありません。
そこから、どうやって大学に意味を自分で見つけていくか。見つけられないのであれば、意味を見いだせる場所をどうやって見つけるか。
ただ、「なんか違うんだよなぁ。意味ねぇよなぁこれ。」と思いながら大学生やるのは本当にもったいないと思います。個人的ですが、これは本当にそうだと思う。
なんでもいい。自由に意味づけできる。どんな価値も生まれる。
と言う大学の「可能性」の話でした。
なぜこのnoteを書いたのかと言うと、可能性のところを自分でまとめて、まずは自分がこの可能性を最大限味わいたいと思うからです。
なんでも言っているようにこれは「可能性」に過ぎず、おそらくこのままでは僕の満足いく形では現実のものにはなりません。上ではそれっぽい活動内容を書きましたが、全然物足りなさを持ってます。
最大限意味がある大学生活を送りたい。ただそれだけなんです。
自分にとって最高に意味のあるの大学生活を送る
この願いを僕と同じように抱く人がいたらご連絡いただければ幸いです!一緒に実現しましょう!
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