『イサム・ノグチ 発見の道』に行ってきました
2021年4月24日~8月29日の間、東京都美術館企画展示室で行われている『イサム・ノグチ 発見の道(Isamu Noguchi: Ways of Discovery)』を観に行きましたので、その感想をブログにまとめることにしました。
『イサム・ノグチ 発見の道』は、彫刻家による彫刻作品の展示と聞いていたので、入ってすぐ『あかり』によるインスタレーションが展示されているのをみて驚きました。自分の中で彫刻は、「木や石など彫り込んで作る作品」というイメージだったので、「こういうのもありなのか」と感心してしまいました。
ひとしきり、インスタレーションに圧倒された後、会場に以下のような説明があるのを見て、展示の妙を感じました。
ノグチの半世紀を超える制作活動の中核には、「彫刻とは何か?」「彫刻にできることとは何か?」という問いがありました。
「展示の仕方だけで的確にメッセージを届けられるんだ」という、展示の重要性を端的に感じられた経験だったように思います。
『イサム・ノグチ 発見の道』は、イサム・ノグチさんの1940年代から最晩年の1980年代の多様な作品を、
・第1章 彫刻の宇宙
・第2章 かろみの世界
・第3章 石の庭
の3章構成で展示しています。第1章と第2章の展示については、写真撮影可能。第3章については、写真撮影不可となっています。
第1章では、ブロンズやアルミニウム、陶、鋳鉄という様々な素材の作品が展示されています。『あかり』のインスタレーションも第1章です。第1章で、「彫刻とは何か?」という彫刻作品の深さを感じることができます。
抽象を表現した作品が多いものの、的確にメッセージを伝えてくる点に驚きと凄さを感じます。下の写真は『女(リシュ・ケシュにて)』という作品ですが、タイトルを見なくても、女性らしく生々しい肉体の柔らかさを感じることができました。
また、『ヴォイド』(仏教用語で「すべてのものの存在する場所」という意)という作品は、見る角度により、0(ゼロ)のようにも、三角のようにも、台形のようにも見え、概念としてのヴォイドを立体に落とし込んでいる点に感心するばかりでした。
第2章では、日本の文化の諸相がみせる「軽さ」を取り込んだ作品が展示されています。説明だけ見ても「軽さってなんだ?」と思うんですが、実際に作品を見てみると、第1章よりもキャッチーで軽いと思える作品が展示されています。
『中国袖』という作品(下写真)は、その中でも気に入った作品です。ブロンズを折り紙のように折り込んで「軽さ」を感じさせる作品です。遊び心を感じさせる折り方や角の丸みが、ブロンズなのに非常に軽くて一般受けする印象を持たせます。
同じく第2章で展示されている『座禅』は、溶融亜鉛メッキ鋼板の作品(下写真)です。確かに座禅だと思わせる抽象化の的確さもさることながら、私は、この作品から「墓」という印象も受けました。「墓に入るというのは、死しても坐り修行をするようにも見える」と考えさせられました。
第3章では、石彫の作品を展示しています。イサム・ノグチさんは、地球を主に構成する石というものに非常に重きを置いていました。そんな、彼の大型の石の作品が並んでいます。
一般の人は、写真を取れないので、以下のページで一部を見ていただければと思います。
石彫の作品は、第1章にも展示されていましたが、第3章に展示されている作品は、より自然との調和を感じさせてくれます。石そのものが持っている魅力の部分と人の手で加工されたことで出てきた魅力の部分が上手く混じり合っているように感じます。
実際に、第3章では、シアターで香川県の牟礼町にあるイサム・ノグチ庭園美術館で同作品が展示されている様子を映しているんですが、明らかに、東京都美術館で現物を見るよりもよく映っているんですよね。
これは、第3章の作品には、枯山水のようなエッセンスがあるからこそ、自然の庭で展示してこそ良さが増幅されるということなのだと思います。この環境に合わせた作品作りができるイサム・ノグチさんに脱帽ですし、ちゃんとそれをシアターで映している東京都美術館にも脱帽でした。
『イサム・ノグチ 発見の道』は、総じて非常に満足度の高い展示でした。コロナ禍という大変な中ではありますが、8月末まで行われているので、(感染症対策をしっかりした上で、)折を見て足を運んでみるといいと思います。