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帰郷

鶴岡銀座

この冬鶴岡は雪が多かった。
1年と2ヶ月のD建設での寮生活だったけど俺は精神的に結構なダメージを負っていた。

Nさんとは最後の方はあれだったものの、ご馳走になったり世話になった部分はあったので帰る際に電話で一言挨拶だけはした。
そしてまた戻って来いと言ってくれていたタカヒロ君たちの事は地元に戻ってからも頭からずっと離れなかった。
下北沢にいたケンヤにはよく相談していたので彼は俺の気持ちが解っていたと思う。
今みたいに皆が携帯を持っていなくてSNSも無い時代だ。
東京と山形の距離は今よりも遠く自分の関東での14ヶ月の生活など地元の連中は知る由も無く久しぶりに友人に会えば現状報告から会話が始まるのが定番だった。

鶴岡銀座と昭和通りと言う鶴岡の真ん中のメインストリート(笑)は飲み屋が集中している。
その辺りの角に鶴園ビルと言う地元では珍しく鉄筋コンクリート造でエレベーターのついた建物があり、その2階に当時は“屋台村”と言うどっかのアミューズメントをそのままパクったような屋台風の店が何軒か入っている広いテナントがあった。

しかし楽しく飲むような場では無い。
ヤンキーが年代を越えて集まり過去の武勇伝を語り合い暴排法の無い当時はヤクザやらテキ屋やらも来るし酔って乱闘みたいなのは日常茶飯事だった。

書いていると酷い街だと思ったけど1997年当時は渋谷にはチーマーと呼ばれる集団が屯していた頃だ。
服の専門学校に通っていたヨッチューは渋谷で友達とナンパをしていただけで絡まれ無抵抗なまま殴られていた。
恐喝や暴力など今と違って珍しくはなかった時代だったから鶴岡だけが酷いわけでは無いのでかも知れない。
そんな鶴岡の屋台村で帰省直後に仲間で集まって飲んでいた時の事だ。
俺は松戸では良い出会いがあり嫌なこともあったけど行って良かったみたいな話をしていた。
この日は俺にとって友人と飲む安らぎだったのだ。
時間が経つと他所の奴と喧嘩になりそうになったりする人もいたが酒は深くなり俺も少し酔い始めた頃にベーサトがやって来た。
ベーサトは俺に一言言いたいと言ってきた。「お前は前に俺にコロコロ仕事を変えるなと言ってたのに辞めて帰ってきたのか?」と皆の前でベーサトが俺に責めたのだった。
俺の体中の温度が一気に上がった。

F-1を諦めた後に仕事も落ち着かず遊んでばかりいる男が一年間修行僧みたいな生活をしてきた俺に物を申すのか?
俺はブチ切れたけどベーサトには何もせずに、その場を去った。
中学生の頃から上京するまで身内には、ほとんど怒る事のなかった俺の怒る姿を見たターは翌日に「めちゃ怖かった」と言っていた。
思えば鶴岡での無益な争いはいつも間に入って止める側だったのにD建設での日々が俺を変えてしまったようだ。
俺は自分から喧嘩を売るような真似はしないけれどこの頃から気に入らない奴は相手が誰であろうと容赦なく殴るようになっていた。

ジョニーズSP

ジョニーズはジョニーズSPと名前を変更して2人体制でやっていたお店をヒデカズさんが1人でやるようになり場所も酒田の外れに移動していた。
俺は毎日のようにジョニーズに通いヒデカズさんに当時の事や心境を打ち明けていた。

そもそも整備士をやりたいのに型枠大工を始めたのが間違いだったのでは?
自問自答する日々の中、1人でやっているヒデカズさんは人手が足りないようで次に何をするか決まるまでアルバイトで俺を雇ってくれると言う。

雪が吹雪く中、朝8時くらいにはジョニーズ行って塗装やら整備の手伝いをした。
同時に自分のバンを改造したりGSX-Rのエンジンを下ろし元々速いGSX-Rを更に速くしようと外注でワイセコのオーバーサイズのピストンを組みクランクの芯出しをしてもらった。
下ろすのは俺がやったけど組むのは流石にヒデカズさんにやってもらう事になる。
自分のバイクや車を弄っている時は時間を忘れるくらい夢中になれた。
楽しくて仕方無かったのだが他の人のをやるのは正直モチベーションが湧かなかった。

整備って思ったより地味で大変なんだなと上っ面のカスタムバイクの格好良さだけを追い求めていた俺は現実を知る事になった。
仕事としては型枠大工の方が割に合うのでは?と思ったり、現場仕事をしているうちに他の業者も興味が出てきたり木造大工も良いかなと思ったり。
自分の中では次に何をすれば良いか定まらない感じがあったけど高校卒業後と確実に違うのはたった一年で建設業で食べる術を身に付けていた。

ジョニーズへの通勤は鶴岡と酒田の間の農道を吹雪の中、2駆のロングボディのケツを滑らせながら結構なスピードで通勤していた。
乗り物に対して何も恐れていなかったこの頃にそれは起きた。

チヨ

俺の一つ下の後輩にチヨと言う男がいた。
出会いは高校の頃、鶴岡銀座にあったゲーセンのクーガーでチヨが俺に喧嘩を売ってきたのだが彼が俺が三中の長南と知るとすぐに降参してきたのが最初だった。

バイクはRZ、NSR、ジールと言うバイクを乗り継ぎその走りは峠でも街中でも格好良かった。
俺が上京する前や、たまに帰省した時も「長南君、長南君」と夜な夜な遊びに来るかわいい後輩の1人だった。
チヨは18歳になり普通免許を取得後はSRエンジンのシルビアを買ってほぼノーサスの爆音の奏でるマフラーでドリフトをしていた。
たまたま彼と会って道沿いで車やらバイクの話をしていると排気音の煩いローレルが通り過ぎて行ったのだが、そのオーナーはチヨの友達らしく、ローレルの後ろに付いたウィングは「この前、自分達で付けたんだよ」とチヨは自慢気に俺に話した。

ある朝の事、いつも通りに酒田に出勤しようとすると7号線が大渋滞していて一向に進まなかった。
迂回していつもの農道でジョニーズまで辿り着いたのだが後から来たジョニーズの常連さんが言うには深夜に7号線の酒田から秋田方面にある陸橋で大きな事故が起きて通行止めになっているとの事だった。

迷惑な話だと思ったのだが午後になってようやく7号線は開通しニュースを見ると大型トラック3台と乗用車の事故で乗用車に乗っていた3名は即死だったそうだ。
亡くなったのは鶴岡の専門学校かなんだかの学生だと聞き、長南は鶴岡だから知っているか?とヒデカズさん達に聞かれたけどそのような知り合いはいないし解らないと答えて仕事が終わるといつものように鶴岡に戻った。

うちの近所には当時はWAVEという1Fがゲーセンで2Fはカラオケ、隣にはビデオレンタルがあり屋台村とまではいかないけどまぁまぁな激戦区があった。
3中エリアなので駐車場は3中OB達の溜まり場になっていた。
事故の2日後だったろうか俺は仕事を終えジョニーズから帰ってWAVEに行くと後からユタもやって来て俺に酒田での事故について話し始めた。
事故の日の朝は渋滞が凄かったとか俺が話すと「あの事故、チヨなんだよ」とユタは言う。
俺は冗談だと思って信じなかった。
嘘だと言い続ける俺にユタは少し怒った表情で本当だと言う。
つい先週会ったのに…
事故の車はウィングを付けたと喜んでいたあのローレルだった。
いつもバイクで危険な運転をして死まで覚悟していたけどまさか本当に死ぬ奴が身内から出るとは思ってもいなかった。
夜中に俺は実感の無いまま友人達と事故現場の陸橋に向かった。

大きくカーブしている陸橋。
事故の深夜、若者3人が乗ったローレルは7号線を結構なスピードで飛ばして走っていたようだ。
2台の大型トラックを追い越した後、陸橋に入ってカーブに差し掛かると頂上部の路面は凍結していた。
凍結した路面で滑って車線をはみ出し対向車の大型トラックと正面衝突して弾かれると自分達が先に抜かしてきた後方の大型トラック2台が玉突きでローレルに追突した。
事故の後に酒田警察署に置かれていた車体は雑巾を絞ったかのように潰れてぐしゃぐしゃになり車の形はしていなかった。
誰が運転していたかも解らないような状態だったそうだ。

俺達は事故現場の陸橋の辺りに着くと陸橋の麓に車を置いて歩道を歩いて上がった。
“危険!3名死亡の事故現場”みたいな新品の看板が早速掲げられていた。
そんな物を事故後数日で作って掲げる警察が憎かった。
そこには既に沢山の花が置かれていた。
俺はチヨによく缶コーヒーを奢っていた。
沢山の花束が置かれた事故現場の冷たい道路に缶コーヒーの蓋を開けて逆さま置くとアスファルトに温かいコーヒーが湯気を揚げながら染みていった。
彼の死を全く受け入れられないまま目を瞑り手を合わせた。

その数日後にチヨの自宅のお通夜に行った。
若い奴が沢山訪れる中、お母さんはずっと泣いていた。
俺はGSX-Rで車と勝負したりアホみたいなスピードで走っていた頃だ。バイクで死ねたら本望とまで思っていたのだが今になれば本当にガキだったと思う。
チヨの悲惨な事故の後、バカだった俺は事故らないようにとかと人を悲しませたりとかではなくチヨの分までGSX-Rで走ってやろうとその時は心に誓ったのだった

人生とは儚い。いつ死ぬか解らないからやれる事をしっかりやろうと思った。
ジョニーズでアルバイトさせてもらいながら仕事について散々考えたけど整備士をして生きていくのは難しいと言う考えに辿り着いた。
中途半端に覚えてしまった型枠大工の仕事をもっと出来るようになりたいし俺をこき使ったD建設の奴らを越えてもっと良い職人を目指そうと思った。
なんだかんだで現場仕事が好きになってしまっている自分がいた。
結果的に現場仕事の方がお金も稼げるのではないかとも思った。
お世話になったヒデカズさんにもう一度関東で勝負すると伝えた。
ヒデカズさんは笑顔で頑張れと言ってくれてエンジンがバラバラのままのGSX-Rをジョニーズに残して俺は再び関東へ向かう事になった。

ワイセコのピストンを組む

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