月のない夜は天使の宴。

 俊樹は今夜家出をした。

特にこれといった理由はなく、ただ何かが嫌になった。
親が心配することを考えもしなかった。

俊樹はまだ小学4年生だ。自分ではもう随分大人のつもりでも傍から見れば子供。そんなことにも嫌気が差していた。
夜十時。このあたりではこんな時間に出歩く子供など居ないから、自分を見た大人たちは声を掛けてくるだろう。
警察に連れて行かれるかもしれない。ばかばかしい。

 俊樹は今夜家出をした。


明日の学校も行かない。しばらく自分探しの旅だ。

俊樹はそう夜の中で独り言を言って、前から目をつけていた今はもう使われていない広い敷地を有する工場跡のようなところへ向かった。

ちょうど正門らしき大きな鉄の門は俊樹がすり抜けられる程度に開いていた。高い塀がぐるりと敷地を覆っていて、特に夜は外から中の様子を伺うことは難しい。

ここなら安心して過ごせる。

俊樹はその広くてしんと静まり返った空間を我が城のように感じて、開放感を胸いっぱいに吸い込んだ。

町は静かに寝息を立てている。

遠くで車が咳き込んで、唸る。

俊樹は塀の内側に背中を凭せ掛けて、星も月もない真っ暗なベロアの夜を眺めていた。
塀の向こう側を時たま人が通る。そのたびに隔絶された世界にいる悦びを噛み締めていた。誰も僕に気がつかないぞ。

俊樹は完璧な自由を手にしたのだ。

それは甘美な時間だった。

家からそう遠くもない廃工場の敷地に身を隠しただけで、俊樹は何にでもなれる本来の自分を取り戻したような高揚した気持ちになっていった。

しばらくすると俊樹は探検してみたい気持ちになった。この広い敷地の中のことをきちんと知っておきたいと思ったからだ。

今夜俊樹の好奇心を諌めるものは誰もいない。ひんやりとした夜気がそっと俊樹の背中を押した。

俊樹は建物の周りをぐるり周回し、中の様子を見て回った。
真っ暗で中の様子はよく分からないが、覗きこめる窓の近くには機械があったり、少し広い空間があったり。

俊樹はここで寝れるなあとか、この機械を改造したら面白いマシンが出来るんじゃないかとか、取りとめもないことと現実的なことを交互に考えていた。
そうこうしている内に俊樹は入り口を見つけてその決して大きくない体を建物の中に滑り込ませた。

中は外にもましてしんと静まり返っている。
壁や床にしみ込んだ油の匂いや、残された人の跡などが暗闇の中にゆらり揺らめいて、ここで生まれた人々の思い出もあるんだろうなあと俊樹がその工場が稼動していたときのことなどに思いを馳せていると、奥の部屋からミシっという音がした。

俊樹がびくっと体を強張らせていると、どうやら中からとても小さな人の話し声がする。

なんと、先客がいたのだ。

俊樹はせっかく見つけた誰もいない自分の城が自分だけのものではないと知って落胆した。が、まあいい。自分はどこででも寝られるし、もし危ない奴らだったら嫌だから。という理由で踵を返し、また外へ出て塀にでももたれてウトウトしよう。

俊樹がそう思った瞬間、背後の暗闇の中から白い腕が二本にゅっと伸びて俊樹の首に巻きつき、絞め、苦しいと思わせる間もなく絞め落とした。

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