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新・好奇心の代償。

 高田真也はWPWというプロレス団体に18歳で入門した。
小さい頃、まだ時折ゴールデンタイムにプロレスが中継されていた時代、高田真也はプロレスに魅せられた。

周りの友人にはプロレスファンはいない。
でも関係なく、純粋に戦いをもって人を楽しませることのできる職業に憧れた。あの四角いリングでいつか自分も、見ている人を勇気づけることができるようなトップレスラーになるんだ!

というのが頑強な夢になるまで、それほど時間は掛からなかった。

高校まで柔道を頑張った真也はインターハイ優勝という輝かしい戦績を提げてWPWという団体の門を叩いた。

かなり厳しい入門テストを潜り抜けて、真也は晴れて練習生になることができた。日々の練習は、辛いものだった。柔道で培った技術が生きる場面もあったが、それでも自分がやってきたのはアマチュアの競技なんだと痛感する場面の方が多かった。

筋トレひとつにしても、ここまで追い込んでやったことはない。
高校柔道でいくら日本一になったところで高校生は高校生なのだ。プロと呼ばれる集団に入って通用するようなものではない。

真也は血の滲むような努力をした。
これならまだ誘いのあった大学で柔道をしていた方が楽だっただろうと思ったがその道に希望はない。自分は自分のファイトで人に希望や光を与えたいという強い意志があった。

同時に、想定していないこともあった。

プロレスというのは格闘技ではなかったという点だ。

体をきつい筋トレで作るのは、あくまで見た目を作る作業であり
格闘技としての部分は思っているよりもはるかに疎かだった。

つまり、自分が強いか弱いかなど二の次三の次なのだ。

真也はそれを興味深く思った。
自分が魅せられたあの戦いも、フェイクだったのか。という感想は別段落胆をもたらすようなものではなかったことに、自分でも驚いた。

よく考えればわかりそうなものだ。
ロープに振って相手が走って戻ってきてくれる真剣勝負などありえない。
ドロップキックをまともに食らうこともない。もし食らったとして尻餅をつくことはあってもあんなに大袈裟に吹き飛んで行くことはない。

合点がいった。

高田真也はしっかりと頭を切り替えて、「強い選手」ではなく「いい試合をする選手」になることに方向を定めた。

もう10年も前の話だ。

28歳になった高田真也は、WPWのちょうどいいポジションに収まっていた。タイトル戦線に絡まないこともないが、そこに出ずっぱりになることもない。要するにそのストーリーが終わったからといって役割がなくなるポジションではない。という意味だ。

10年かけていい試合をすることを心がけてきた真也にはそれなりにファンもついたし、知名度もあった。年間ベストバウトには2回も選んでもらった。

柔道の猛者、という来歴も手伝ってリング上で仕掛けられるという目にも遭ったことがなかった。

そんなある日、WPWにGRFという女子プロレスの団体から一人選手を貸してくれないか、という打診があった。
対外試合でいい試合を見せて、あっちのファンを連れてくることのできる選手、として真也に白羽の矢が立った。

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