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危険な日曜日。前編

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  緊張、という感覚も久しい。いつの間にか社会人2年目に突入していた僕は何か趣味を見つけなければなあという何となくの強迫観念に迫られる形で
例えば、昔取った杵柄という言葉があるように中学生までやっていた柔道を武器に何か新しいことを始めたいと思いついた。
総合格闘技、というものが何かもはっきりはわからず僕は地方紙の広告で見かけた「コンバットレスリングオープン」という大会にエントリーすることに決めた。
我ながら恐ろしい行動力と恐ろしい行き当たりばったりだと思った。

そんなものにエントリーしてからようやく僕はコンバットレスリングがどんなものなのかを知った。
コンバットレスリングというのはつまり、絞め技と関節技だけで競われるレスリング。寝技大会だ。
引き込みの投げがギリギリオッケーなのか、アウトなのかも知らない。
でも、頭を突っ込めば何とかなるよな。という勢いが僕にはあって特に用意もせず。強いて言えば格闘技の映像をネットで見る程度の用意はして、当日に臨んだ。

主催のホームページによると競技用ユニフォームは何でもよく、柔道着での参加でもよければスパッツにTシャツという格好でもいいとのことだった。
ただし、男女問わないオープントーナメントなので極端な露出は避けてください。だそうで、個人的には柔道着をきて出ようかとも思ったけど如何せん中学の頃の柔道着ではあまりにも不格好で、
その試合のためにあつらえる、というのも意味不明瞭なので手持ちのTシャツとトレパンという最も無難な格好で出ることにした。

案外ワクワクするもんだな、と社会人2年目にして早くもこの世の中のことを知ったつもりで嫌世のポーズをとっていた僕は前日の夜になってそんなことを思った。
寝れないもんだなあ。なんて、久しぶりに緊張する感覚を味わっていた。

当日。

会場はこの辺でも大きな体育館だった。
わざわざ用事がなければ出向かない場所だからか、何となくアウェーな気分で受付を済ませた。
男女に分かれた控室では実にむさ苦しいおじさんから高校生くらいの若い可愛い男の子まで様々に分布した平均の取れない年齢層の人たちがそれぞれにアップしたり、柔軟をしたりとしていた。
僕は何となく寄る辺ない気分で空いていた椅子に座って持って行ったカバンからお茶を取り出してコピコピと飲んだ。控え室の後ろには本日の試合表が張り出されていて、みんなそれをしげしげと眺めていた。
僕も実にやることがないためにそれを覗きにいくことにした。

本日は総勢30人の参加者がいて、男子21人、女子9人。こんな町にもこういうニッチな格闘技をする人口がある程度いるんだな。という驚きがあった。
そして緊張の今日の試合順では僕は何とシードをもらっていた。嬉しいことだ。
しかしこんなオープントーナメントではただくじ運が少々良かった程度のことでしかない。
小林武久という人と、宮内麗奈という女の子のどちらかの勝者が二回戦で僕と当たる。女の子とくんずほぐれつってのはなかなか嬉しいかもしれないが、きっと望み薄だろうと思って僕は席に戻った。
つまり僕の初戦の相手は小林武久氏だ。この控え室にいるんだろうがどれが小林氏かはわからない。

僕は明鏡止水の心境でじっと座って開会式を待った。

何となくお祭りっぽい感じのある開会式はリラックスムードを持って終了し、いよいよ試合は開始の運びとなった。
朝10時。どこにでもある日曜日の朝をこれほどまでに刺激的な気分で過ごすことができるなんていうのは、特別感があっていい。
僕は二階席でぼんやりと自分の出番が来る頃を見計らいつつ、2つの試合場で同時に行われる試合の様子を眺めていた。
威勢の良いチームの応援や、どこかのんびりとした応援などが飛び交う。
まあもちろん、声援のかからない選手もいる。簡単に言えば僕みたいに、個人でふわっと、どこにも所属せず参加した手合いの選手には
当たり前だけど応援はない。

そしてこうして一般参加のオープン格闘技トーナメント、というのをまじまじと眺めてみて初めてわかることとしては
劇的な要素が極端にない。ということが挙げられるだろう。
もちろん打撃技のない大会だから、ノックアウトというのがない。
そして会場が爆発的に盛り上がるような試合をする人も、正直いない。
いつも格闘技を見るのは決まってテレビであり、華美に華美にショーアップされたあんなのを見慣れていると、
この大会はいかにも地味で、言って仕舞えば華がない。
競技的、と言えばそれまでだけど、実にアマチュア的だ。

そんなことを思いながら試合場を見渡していると、「小林武久選手!」という呼び込みの声が聞こえた。

おや?と思って覗き込むとちょうど自分の目の前で小林氏と宮内麗奈さんの試合が行われるところだった。
小林武久氏は自分が思っているよりももっと若かった。
もしかすると高校生かもしれない。控え室の端のほうにいたのをみたかもしれないがそのまだ少しあどけなさの残る顔にはびっしりと緊張の色味が張り付いていた。
そして、宮内麗奈さんに目をやった僕はそこに一輪の気高い白百合が咲いているのをみたような気になった。

彼女もまた高校生か、よくて大学生くらい。
赤い短いスパッツを少しオーバーサイズ気味の白いTシャツで半分以上隠して、上から見ると下は穿いてないんじゃないかと思うほどの露出度だ。
Tシャツから伸びた腕はほっそりと白く、逆に赤い短いスパッツから伸びた太ももは、お?と思うほどムッチリとしている。
そしてその顔。
およそ格闘技とは無縁そうな、少し控えめおっとりとした美少女。
少し長めのボブに切った黒髪がさらりとなびく。

開始線に立って彼女は左足を後ろに引くようなポーズで低く構える。
上目遣いに小林くんを見上げるその眼差しはほとんどアイドルだ。
小林くんは黒いぴったりとした着圧系の長袖シャツに長い丈のレギンス。そして短パンを上から履いている。
シャツの背中にはジムの名前っぽいのが大きくドヤドヤと書かれているが僕には何て書いてあるのかが読めなかった。
ちょうど小林くんは僕に背を向ける形で彼もまた、低く腰を落として構えに入る。

「はじめ!」

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