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先端医療と骨の音。

 ゴキっと音が鳴って、しばらく、という体感時間を経てちょっと嘘みたいな痛みが世界のバックグラウンドになった。

「やってしまった・・・・!!!」

という、後悔とも少し毛色の違う感情が岩崎隆二の頭の中を埋め尽くしていた。アスファルトの冷たい地面に転がって見上げた空は快晴でありもう皮肉と言ってなんら過言ではないほどの爽やかな朝の色をしていた。

その日、大学生の岩崎は講義に遅れそうになりつつ家を飛び出し運動歴のない細身の体を乗りこなしてひょうひょいと学校までの道のりを軽快に走っていた。いくつかの曲がり角を経て、ようやく遠巻きに見えてきたキャンバスの姿はいつ見ても大仰であり、だからこそ維持される大学のブランド力の威光にも肖ることができるというものなのだろうが、それにしても大きな大学である。

岩崎は裏道を通ってひょいひょいと確実に学校までの距離を縮めていた。「まあ普通だったらパンを咥えた女子高生とばったりってこともあるんだろうけどなあ・・・。」岩崎は夢みがちに普通ではないことを普通と言ってのけつつ高い塀のある誰かお金持ちの邸宅の角をスムーズに曲がったところで自分の視界よりもずいぶん低い場所で、もう絶対避けられないという距離感で小さな子供が真新しい三輪車を漕いでいた。

「うぉわっっ!!!!!!」

岩崎はほとんど一瞬で全神経を使い、至近距離に存在したその子供を飛び越すように、必死になって飛び跳ねた。その後がどうなろうと知ったこっちゃないぜ、というのがその瞬間の岩崎によるコメントだ。

きゃああ!!!

という若いお母さんの悲鳴を岩崎は空中で聞いた。

そして着地。

冷たくてゴツゴツしていて異様に硬いアスファルトはどれだけの善行を積もうとも人体に対して少しの配慮もない。子供を避けてこけたんなら少しくらいクッション性をプレゼントしてやろう、というような思いやりというものからかけ離れた存在だ。

岩崎は子供を飛び越して、全く空中姿勢というものを意識しないまま右手をまず地面についた。そして筋肉というものと無縁に暮らしてきた彼はその硬いアスファルトと自分の体重をピンと伸びきった状態の右腕一つで折衝した。結果・・・

『ゴキっと音が鳴って、しばらく、という体感時間を経てちょっと嘘みたいな痛みが世界のバックグラウンドになった。

「やってしまった・・・・!!!」

という、後悔とも少し毛色の違う感情が岩崎隆二の頭の中を埋め尽くしていた。アスファルトの冷たい地面に転がって見上げた空は快晴でありもう皮肉と言ってなんら過言ではないほどの爽やかな朝の色をしていた。』

という冒頭の含みのある文章に繋がるわけである。

大丈夫ですか!!???

と、若い母親は3人ほどの友人を連れて痛みに脂汗を顔中に浮かべる岩崎を取り囲んだ。明らかに腕が変な方向に向いたのを彼女らは見ていたはずだった。若いママ友同士で井戸端会議をしているうちに子供から目を離してしまい、こんな結果になった。というのが事の真相だろう。

子供は取り乱した母親の様子を見てワンワンと泣いている。

岩崎はガンガンに痛む右腕をなんとか動かさずに済む方法と、この痛みを消滅させる方法をマッハのスピードで思索した。だが、最善の策としてはやはり「右腕を肩から取り外しておもむろに捨て、家にスペアの右腕をとりに帰る。」というものより救急車を呼ぶ、もしくは呼んでもらう。というところに帰結した。岩崎は、なんとなく全身が心臓になったようなバクバク感を覚えながら、今にも泣きそうな若きママに「救急車・・・を・・・・」と頑張って言った。

我に帰ったママたちはそれぞれにスマホを取り出し救急車を呼び、はたと気づいて譲り合うという、岩崎にとって実にむかつく風景をエンジョイして見せた。

10分ほど皮肉な青空を眺めているとどこからともなくサイレンの音が鳴り響き、ほとんどけたたましくなったところでようやく赤いランプを視認することができた。

付き添いの方は?という救急隊員の問いかけに岩崎は「誰もいません、この人たちは救急車を呼んでくれただけなので・・・。」と頑張って言った。本来ならば小さい子供を人身事故で、若いママを監督不行届でしょっ引いてやりたいところだが若いママが少しだけタイプだったのと自責の念で涙を浮かべているのを見て岩崎にそれをする気がなくなった。

岩崎はそのままその隣町の大きな総合病院に搬送された。

流石の設備によって全身麻酔、そして滞りのない手術によって複雑な螺旋骨折はしかるべき処置を受け、目を覚ました時には病室でもない処置室のようなところに寝かせられていた。

「お目覚めですか?岩崎さん・・・。」という実に申し訳のなさそうな声の看護師が1人、そばから声をかけてきた。

岩崎はうぬぬぬぬ・・・。とタンを切りつつ、まだぼやける頭を落ち着かせていく。

「あの・・・大変申し訳ないんですけど、今うち満床なの。だから、うちの救急車で運ぶので、受け入れ先の整形外科での入院になります。もう少し寝ててくれたら、次に目が覚めた時にはその病院にいると思いますので・・・。」

というのを、どこか神のお告げのように現世から隔絶されたものの声のようにして聞いて、岩崎は鼻につんとくる消毒液のような匂いに安寧を求めつつまた目を閉じた。一瞬で体の感覚が消えて、暗闇とも光とも取れる曖昧と世界が溶け合う衝突地点に彷徨った。体がふわりと浮いて、漂っていた。


次に目が覚めた時に、岩崎の視界に表示されたのは件の総合病院の潔癖なまでの清潔感とは少し違う場所の天井だった。実に庶民的であり、有り体に言えば寂れているような気配が少々ある。

まだ自分のモノとは思えないほどにずっしりと重たい頭をゆっくり横に向けると、そこは日当たりの良い4人用の大部屋だった。とても良いことにその部屋には自分以外の入院患者はおらず、寂れた場所だからといってそれほど悪いこともないんだな、とぼんやりとした頭でずる賢く思った。窓から望む風景からすると、きっと二階だと岩崎は思った。知らない風景だった。

半刻もすると、外の景色は茜色に暮れて、冬の夜の早さを思わせた。まさか、今日の夜をこんな病院で過ごすことになるとはなあ。と、口には出さずに独り言を想っていると看護師が1人、部屋のブラインドを閉めにやってきた。

ショートヘアのよく似合う顔の小さな美人だった。

「あ・・・岩崎さんお目覚めだね?」

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