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通りすがりの夜。

 何気ない夜だった。

今日も、と言うべきか直之の家には春樹が来ていた。
ほぼ毎日二人は直之の部屋で食事をして、限界を迎えるまで遊んでいた。

大学を出て、フリーター兼バンドマンという実に自由な身分を得て
彼らはその人生を謳歌していた。

華美な世界のことを伝えるテレビには自分たちが近い将来映り込むであろうエンタメ業界のあれやこれやが今日も映し出されていた。 

そして、夜は9時に到達して、とある歌番組が始まった。
そこには大所帯のアイドルグループが出演していて
メインメンバーの一人、山野梨花がにっこりと真ん中で微笑んでいた。
ほとんど国民的なアイドルとして長くこのグループを牽引してきた彼女の笑顔は完成されていて、見るものを穏やかで豊かな気持ちにさせた。

「ああ、そう言えばこの子もついに卒業するんだってな。」

直之がテレビを見ながらぼんやりと言った。
「ん?」と、携帯に目を落としていた友人の春樹が顔を上げて、
「ああ・・・・。」となんとも言えない音を喉から出した。

直之は、あれ、こいつ結構アイドル好きじゃなかったっけ。と思いながら「俺らの二つ年下なんだよな。確か地元の後輩が知り合いで、昔からめっちゃくちゃ可愛かったって言ってたなあ・・・・。」

「う・・ん・・・・・。」

直之は、なんの気なく「どしたの?」と春樹に尋ねた。
春樹はバツの悪い、どこか苦い顔をして言葉を濁した。

「え・・・?そんな嫌いだっけ・・・。」

直之はいつもアイドルの話題になれば食いついてくる春樹の奇妙なリアクションについつい首を突っ込んでいた。

春樹はうん・・・と、言葉を飲み込むようにして、ゆっくりと
「直之にだけ言うよ。」と前置きをして話し始めた。


一年前。


春樹はいつも通りアルバイトを終えて、ほとんど終電に近い時間に電車に乗っていた。満員とまではいかないが、座れるような状況ではなくぼんやりとつり革につかまって立って、携帯を眺めていた。

コホッ・・・。

可愛い咳払いが、自分が立っている場所の前の席から聞こえて、
なんとなくチラリと目をやった。小さな顔に対してマスクが大きく、顔の半部以上が隠れているがその目の大きさや雰囲気で普通の人じゃないというのが春樹にはすぐにわかった。長い髪の毛を2つ括りにしていたのも特徴的だった。

彼女も携帯を見ながら、特に何をするわけでもなく電車に揺られていた。

とある駅で、彼女が立ったのを見て
春樹はなぜかその後ろを追った。
それが、大きな間違いの初手であるとわかったのはもう随分と後になってからだった。

彼女はそんなに大きくない身長のせいで歩くのも遅い。
トコトコと明るい駅前の商店街を抜けて、暗い道へ入っていく。
一定の距離を置いて、春樹はその後ろをついて歩いていた。
もしかするとこれはストーカーなのでは?と心のどこかで思いながら、
でも何か説明のできないエネルギーに背中を押されるように流暢に、その小さな背中を追いかけた。

彼女は夏ということもあって薄着で細い肩には薄手のカーディガンを羽織っていたが脚は短いショートパンツだけで剥き出しになっていた。
光沢をさえ浮かべるような太腿から膝、脹脛への流線型は春樹の目を釘付けにした。

その華奢と言える上半身に比べて下半身は幾分と肉付きがあって、歩くたびに魅力的に筋肉を内包した重さを感じさせる揺れがある。
街灯もまばらな通りにかかってさえ、彼女の剥き出しの脚は輝いて見えた。

時折、彼女は後ろを振り返って春樹を見ていた。

春樹はそれに気が付きながらも、一定の距離を保ったまま彼女の後をついて行った。特に何をしようとしたわけでもない。なんとなく、惹かれたのだ。
まだ、誰かも知れない彼女の家を突き止めようとしたわけでもなければまさかいたずらをしようとしたわけでもない。
どちらかというと、何か変な人に付き纏われていたらそれから守ってやろうとしたという方が近いかもしれない。でもその時の春樹にはそれこそがストーカーの心理であることは理解できなかった。

何度目かの曲がり角を曲がって、彼女はさらに暗い方へと入っていく。

おかしいなあ、こっちは大きな公園があるだけのはずなんだが・・・。

と思って、後をついていくとそこにはこっちを向いて彼女が立っていた。

「わっ・・・・。」
公園の入り口で彼女はこちらをきっと睨みつけて、肩にかけた鞄のベルトをギュッと両手で握りしめていた。

怖がらせてしまっていたんだ。

春樹はこのときになってようやく、自分がストーカー紛いのことをしていたんだと気がついた。が、なぜか発生した彼女に対する勢いは止められない。
春樹はピタリと動くのをやめて、自分の妙に興奮した鼓動の音だけを聞いた。

風のない夏の夜は、ただそれだけでも春樹の背中を汗で濡らした。

「あの・・・・。駅からずっとついてきてますよね。そういうのやめてください。」

彼女の声は、どこかで聞いたことのある響きだった。

春樹は何も言わず、沈黙した。
どくどくと跳ねる鼓動が今にも爆発しそうだった。
彼女はそれだけいうと、くるっと踵を返して公園の中に消えた。

春樹は一瞬逡巡したがやはり彼女の後をついて公園に入って行った。

そして、彼女の後ろ姿を辿ろうと入ってすぐの大きな角を曲がろうとして目の前に白い何かが飛び出してきたのを視認した。視認したが、体は反応できなかった。

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