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A.

新しい世界であり、ここは真新しい社会であった。

誰もが牽制し合い、期待と不安というのを直視しなければならなかった。
外では心地よくも生温い、季節の風が桜の花びらを舞い上げて感傷的だったほんの数週間前までの世界を拭っているような気さえした。

今年から高校生になる、僕、遠藤龍は吉と出るか凶と出るかもわからないこの教室の中の新しい世界をぼんやりと見つめていた。名前のおかげで壁際の席になることが多い僕だったが、今回もご多分に漏れずそうであり、その利点を享受してクラスに体を向けてどんなクラスメイトに恵んでもらえたのかを外の景色を見る振りをして眺めてみた。

教室の作りは奇妙なもので、黒板に正対するかたちで、つまり教室の後方に窓がある。教室の左右は壁だ。

一年生の教室は一階なので、さして眺めが良い訳でもない。

なんとなく目に入る緑と、その桜の大人しいながらも主張のある色味のモザイクが春という季節を記号化しているような気がして、本当になんとなく、それを見ていられた。もちろん、そうするほかすることが何もないというのも本当だった。

クラスの生徒たちは自分の椅子に座ったまま、黙するばかり。
今ここで、大きな声を一発ぶちかましてやれば全員が飛び上がる姿を観れるかもしれない。という僕のささやかないたずら心はもちろん胸の内だけで発現して消滅した。

そうしているうちに一人の女の子と目があった。
髪の毛は肩より少し長く、顔が小さい。真面目そうにしてはいるが、笑うときっとすごく可愛いだろうな、とわかる。少し猫みたいな顔をした女の子だ。清楚系、というんだろうか。何しろ様々な個性は真新しい制服によってある程度以上均されてしまって、ただそこにいる相手に対して、値踏みして予想を立てる以上の情報はありようがなかった。

彼女は僕と目が合うと、少し興味深そうにじっとこちらを見て、
その大きな瞳を少しだけ細めて微笑んだ。

お、可愛いじゃないか。

クラスにこういう子が一人いるだけで、その後の展開は変わっていく。
きっと他にも可愛い子はいるだろうし面白い奴がいるだろう。
僕もその中でうまく溶け込めそうな気がするし、きっとこの高校生活は実りの多いものになるだろう。

可愛いと目した女の子の、それと決めるにはいかにも微妙な微笑みを見ただけで心がこれほどまでに前向きになるのだから僕というのも存外に単純な生き物だ。

クラスの扉が唐突に開き、担任の東尾教師が気軽そうな雰囲気で入ってきた。僕も教室の真ん中に向かって投げ出していた足を机の下にしまって前に向き直った。

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