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歪められた青春。

 どたんっ・・・!!!
「よいしょー!!!!」

バタンっっ・・!!
「やああああ・・・!!!」

それほど大きくない武道場では、今日も10人の若者が汗を流していた。
もうそろそろ季節は夏を迎える。夏は、常にこの柔道場を緊張感で満たしてくれていた。

六大学格技戦。

もうほとんど都市伝説的になってはいるが、昭和初期から連綿と紡がれてきた伝統の一戦はここに息づいている。いわゆる何でもありの試合は現代MMAの祖先とも言われる。他の大学が柔道は柔道、空手は空手としっかりと障壁を設けて交わらないようにしているのに比べ、この六大学だけは戦前の様式を守っている。進化を拒んだ格闘技を繰り返しているのだ。
その様式の特殊性から普通の柔道の試合には出ない彼らが唯一、練習の成果を発揮することができる試合が目前だ。

「よーし、ここまで!」
主将の加藤が大きな声を上げて練習を止める。
この柔道部には監督というものがない。
主将が核となって、部全体をまとめる。
「試合まであと三日だ。各々この一年、練習に努めてきたことと思う。大いに暴れられるよう、調整期間に入る。怪我のないように、ぜひ万全の体調で当日に挑んでほしい!」
中量級の大本命、加藤の言葉はいかにも覇気に満ちていて、鳴き始めたセミでさえ口をつぐむほどだ。

「はいっ!!」と答える9名の部員もそれぞれに気合の入ったいい顔をしている。

六大学格技戦とは、それぞれの大学が持ち寄った格闘技を混ぜて試合をするルールのない試合だ。勝負はどちらかが戦えなくなるまで続けられる。いわゆるノックアウトオンリー。柔道の場合は絞め技で相手を落としたり、もしくは相手が立てなくなるまで投げつけることで試合に勝つことができる。抑え込みや投げ技単発での一本の決はないために投げたあといかに相手を動けなくさせるか、絞めに持ち込めるかを練習の重点に置く。その練習の過酷さと激しさは、19〜22歳の若者ならではの飽くなき探究心を持って深化し続け、あらゆる研究者をさえ受け入れないほどに独自の進化を遂げた。

もちろん、空手や、他武術のように打撃を用いてもいい。しかし加藤はあくまで柔道を志した。そして他の部員もそれに追従した。どうしようもなく硬派で志は病的に高い。加藤率いる柔道部が味わった血の匂いのする青春は常に過激だ。

今や加藤率いる柔道部は現行の柔道のルールに則って試合をしても全国レベルの大学に劣らない。しかし加藤は、それではただのスポーツ柔道だ。と切って捨てる。格闘技としての強い柔道を、ルールのない世界で他の格闘技に勝って生き残ることのできる柔道を、加藤たちは目指していた。


あっという間に試合の当日を迎えた。
調整とは言いつつ毎日の練習に同じような過酷な乱取りと寝技を繰り返す彼らは全身傷だらけにしながら、尋常ではない覇気と殺気を纏って会場となる体育館へ姿を現した。

柔道、空手、柔術、名前のない格闘技、ボクシング、レスリング。

体育館に入ると、壁に大きく今回の各校の種目が書き出されている。
「何だあ、名前のない格闘技ってのは。」
「これまでは、確か修斗だったはずだが。」
加藤が同級の目黒に尋ねる。
「まあ意趣変えはよくあることだな。」
目黒が納得したように答える。
「戦前はほとんど相撲と柔道の異種格闘技だったというし。」
「まあ、それもそうか。」
加藤はほんの少しの胸騒ぎを持って、その男臭い体育館の中を眺めた。
夏の暑さが本格的になって、その体育館の実にアングラな雰囲気は外の明るい天気とは裏腹にドロドロとした血で血を洗うような1日を予感させた。


30分ほどすると、準備のできたところから試合組み合わせの発表を待っていた。試合場はひとつ。本当であれば総当たりの試合をしたいところだが、一試合にかかるダメージは常に死と隣り合わせだ。二試合をこなすことも難しいため基本的には勝ち抜きの団体戦で一校対一校が三度行われ、勝利した学校がそれぞれ優勝とみなされる。

「去年は空手とやって、3人残しで優勝だったから、今年もその調子で行きたいな。」加藤はぐっと歯を食いしばって言った。最後空手の猛者を二人、マットにねじ伏せたのは加藤だった。右肩の脱臼、頭蓋骨のヒビを押しての二人抜きは近年の6大学格技戦史に残る死闘だった。

「えー、では本日の試合組み合わせを発表します。
第一試合、空手対柔術。第二試合、ボクシング対レスリング。」

「おいおいマジかよ。」加藤と柔道部たちの顔が曇る。

「第3試合、柔道対名前のない格闘技。以上です。」

学生たちのため息のようなものが渦を巻く。
大きな体育館には、名前のない格闘技というこれまでに聞いたことのない格闘技への不信感が渦を巻いていた。

「何だよそりゃ。腑抜けちゃうぜ。」
加藤の後ろで部員の声がする。
「で、名前のない格闘技部のみなさんはどちらにいるんだよ。」
確かに、柔道着姿の柔道部がいて、空手、ボクシング、レスリング、柔術が居並ぶ中にそれとわかる姿はない。それどころか、人数的には、それだけだ。明らかに人数が足りていないように見える。

加藤たちにとって相手のことがあまりにもわからないまま、試合は始まってしまった。

体育館の真ん中にマットで作られた四角い試合場では早速の死闘が繰り広げられていた。試合が始まれば加藤を含む柔道部の面々もその迫力の中に飲み込まれていく。
空手対柔術の試合は、圧倒的な実戦派空手の鋭い打撃がブンブンと音を立てる中を引き込んで自分のフィールドである寝技に相手を飲み込もうとする柔術のねちっこい技術が交錯した。10対10の勝ち抜き戦で行われる試合ではその采配が強烈に影響する。空手部の先鋒は柔術部の引き込みに対して徐に膝を合わせて相手を流血させたが、食い下がる柔術部の先鋒の引き込みに崩れ、あっという間に寝技に持ち込まれていく。
時間制限のない試合、そして審判のいない試合だ。膠着した状態を打ち砕くことができるのも選手だけだ。
結局、先鋒同士の試合は30分にも及んで、十字固めで腕をへし折られた空手部先鋒が折れた腕をぶら下げながら柔術部先鋒の頭を蹴り上げ、昏倒させたところで顎を踏み抜いて決着。早速の救急要請となった。

これぞ、あまりにも危険と疎まれた六大学格技戦の醍醐味ともいえる試合に会場はさらに戦慄した。

空手対柔術の試合は、多くの下馬評を覆し空手部の一人残しで決着した。
最後に試合場で両軍が顔を突き合わせて礼をする時にはもうほとんど全員が動けない、もしくは救急車で運ばれて会場から姿を消していた。

加藤たちは、ビリビリと身の引き締まる思いでその景色を眺めていた。
空手対柔術の試合は実に、二時間を超えて繰り広げられていた。

「続いて、ボクシング対レスリング」
と実行委員による味気ないアナウンスがされる。
すでに血溜まりのできている試合場が簡易的に清掃されて、殺気だった両陣営が向かい合う。

加藤たちはしかし、やはりこの殺伐とした世界の中で肩透かしを喰らったような気がしていた。
レスリングや、空手と血で血を洗うような試合がしたかった。
というのが、やはり本音だ。

第二試合は、驚くほど早く終わった。
しかし開始時と比べて半数以上が最後の礼には出られなかった。
一方的に殴り飛ばされるレスリング部と、受け身の取れないスローイングの餌食になり、グラウンドで延々と固められ骨を砕かれたボクシング部の凄まじい試合は終わってみればボクシング部の3人残しという大勝だった。

「第三試合、柔道対名前のない格闘技です。」

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