構造的虚無

私は今ノートパソコンを使って文章を書いている.文章を書いているという事実は確かに存在し,これを認識することができるから主観としての世界は実存する.また,主観が存在するという事実は事実それのみが存在することはできないため,客観としての世界の実存は裏付けられる.

世界はあまねく全ての事象を含有する.世界は部分を有し,大きさを持たない.それゆえに展延性を有さない.一方で,主観による世界は展延性を有する.世界に実存する複数の部分は,部分それ自体と相互に影響しない.部分は世界を部分の内部に射影する.部分が世界のある他の部分を射影するとき,射影される部分は射影する部分の内部において還元される.

論理は世界の部分であり,世界は論理によって記述し尽くされ得ない.また,論理は変容しない.論理は変容することなく部分の内部に射影され,部分の内部において事象に意味を持たせる.意味は論理の性質である.

あらゆる生物は世界の部分であり,世界に実存する.人間は主観を有する.これらは単に事実である.主観は人間の部分であって世界の部分ではない.世界は主観によって主観を有する人間に射影される.

事実もまた世界の部分であるが,同時に論理も世界の部分である.したがって,事実それ自体は意味を有さない.

よって人間の主観とそれによって構成される世界は本質的には意味を持たない.しかし,主観は世界を表象するので世界の部分としての事実を認識した途端に論理がこれに意味を持たせるために虚無感を覚える.これは構造的な虚無である.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?