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『すずめの戸締まり』鑑賞後感想。

ネタバレは極力抑えてありますが気になる方はご注意を。あと、あくまでも個人の感想なので悪しからず。

映画鑑賞日の朝、私の心を占めていたのは、不安と期待であった。不安-『天気の子』から3年が経ち、環境が、価値観が、私の世界は大きく変わった。私はあの頃のように、新海監督の映画に魅了されることが出来るのだろうか?メッセージを受け取ることが出来るのだろうか?という不安。そして、期待-新海監督であれば、そして彼が率いるチームであれば、こんな些細な不安、軽々と超えてくれるのではないか、という期待。そんな思いと共に、私は映画館へと足を運んだ。『すずめの戸締まり』という扉を開けに。

結論から言おう。私の不安は杞憂であった。この映画は、(私を含む)大切な何かを忘れつつある現代人に、間違いなく強いメッセージを伝えるものである。それは、希薄になった、人と人のつながりの美しさ。人間が持つ、生きたいという普遍的な感情。未来は決して闇に覆われているわけではないということ。コロナ禍、戦争、経済の停滞、、、全世界が先の見えない不安を感じているであろう"今"ふさわしいメッセージだと思う。

ただ、この映画が伝えたのは、それだけでは無かった。それは、「災害大国ともいえる、日本に生きる私たちは、"運良く"今この瞬間も生きている。」という事実である。映画の中で描かれた地震だけでなく、台風、豪雨など多くの災害のニュースを私たちは目にする。ただ、それらのニュースは自分の身に実際に降りかからない限り、他人事のように見ている自分がいる。映画内でも、ある人物が、恐らく津波の後であろう風景を見てこう呟くシーンがある。
このへんって、こんなに綺麗な場所だったんだな。
それは、満点の青空、輝く海、そして、人が生きた跡を覆い尽くす力強い草木。監督の作品が得意とする圧倒的な背景美で描かれた、"美しい眺め"だった。ただ、その"美しい眺め"とは、津波という大きな力に流された、多くの人々が生き絶えた場所でもある。ただ、実際にそれを体験したわけではない私には、即座に「美しい」という感想に疑問を抱けなかった。自分の中では他人事だったからだ。

3.11から10年以上が経ち、未曾有の大災害の記憶すら風化しつつある今、この映画は、視覚で、音で、物語で、地震の恐ろしさを思い出させる。他人事ではないことを思い知らせる。だからと言ってこの映画は、絶望的な物語ではない。後ろには暗い過去があり、足元には危険が潜んでいる。それでも生きている私たちは、"生きたい"という願いを持って、未来を願って、今を生き続けるしかない。これは、そういう物語なのだと思う。

この映画が私にもたらした感情は、未だ複雑に、私の中を蠢き続けている。温かみを失い、無機質な画面にばかり目を向け、移り変わる時代にただ流される日々。このままで良いのか?まるで、そう問いかけているようだ。私はまだ『すずめの戸締まり』という扉を、開けっぱなしのようだ。しっかりと問いに答えを出し、私も戸締まりをしなければ。そして今を力強く生きたい。

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