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『戦後日本経済の50年』共同著作物事件

こんにちは。

 今日は、専門書を共同で執筆した際にその共同著者の反対により増刷ができなくなったことで裁判に発展した東京地判平成12年9月28日(LEX / DB 28052331)を紹介したいと思います。


1 どんな事件だったのか

 経済学者の小浜氏と渡辺氏は、共同で『戦後日本経済の50年』を執筆し、日本評論社から出版していました。出版から4年たって、小浜氏が増刷を申し入れたところ、渡辺氏は書籍の自己の担当部分について学問的に構成を見直す必要があると考えているので、過去の執筆書籍について版を重ねることを希望しないと拒絶しました。
 そのため、小浜氏は、増刷出版と韓国語に翻訳して出版することの同意を求めて提訴しました。

2 東京地方裁判所の判決

 著作権法2条1項12号によれば、共同著作物とは、2人以上の者が共同して創作した著作物であって、その各人の寄与を分離して個別的に利用することができないものをいう。すなわち、共同著作物といえるためには、各人の寄与が著作物の中に融合してしまった結果、各人の分担部分を切り離してそれぞれに利用することができないものであることが必要であるが、この要件は、共同著作物と結合著作物とを区別するものである。複数の者により創作された著作物であっても、各人の分担部分を分離して利用できるのであれば、各人がそれぞれその担当部分を自由に行使できるものとすれば足り、あえて著作権の行使に共有者全員の合意を要求した上で、各共有者は正当な理由がない限り合意の成立を妨げることができないと規定する必要はないからである。
 本件において、小浜氏は、本件書籍は著作権法2条1項12号にいう「共同著作物」に当たると主張し、他方、渡辺氏は、本件書籍は結合著作物であって「共同著作物」に当たらないと主張して、これを争っている。そこで検討するに、以下の事実が認められる。
 本件書籍は、月刊誌「経済セミナー」に平成7年4月から1年間にわたり連載された本件連載を1冊の本にまとめたものである。同連載については、小浜氏が、以前に「経済セミナー」に「ODAの経済学」、「実証・国際経済学入門」の連載を行っていた経緯があったため、同誌の編集者から、平成6年ころ、小浜氏に同誌への連載の話が持ちかけられた。そこで、小浜氏はこれを承諾し、大学・大学院時代からの知り合いで財団法人国際開発センターでは同僚であった渡辺氏に対し、同誌への連載の企画を持ちかけたところ、渡辺氏もこれを承諾したことから、同誌の編集者を交えての連載打ち合わせをした。
 小浜氏は、本件連載に当たり、本来の共著は、よく見受けられる分担執筆ではなく、だれが何を書いたか分からないほど、著者同士で意見交換をして書くべきだと話し、渡辺氏もそれについては特段異議を述べなかった。小浜氏と渡辺氏は、平成6年5月の終わりごろから、メモをやりとりするなど連載開始に当たって協議を重ねた。同年6月1日付けメモ及び同年10月15日付けメモにおいては、最上部に「戦後日本の経済発展と構造変化」とあるのに続き、その下に小浜氏と渡辺氏の氏名及び勤務する大学名が連記されており、「1.戦争直後の日本経済」、「2.戦後日本経済体制の確立」などのように、1から12まで目次の表題が並んでいる。同年10月21日付けメモにおいては、それまでのメモの内容に加えて、本件連載を行う趣旨について記載された企画趣意文が追加された。そして、同年10月22日付けメモにおいて、小浜氏から渡辺氏に対し、「文章の最後に以下を追加したらどう?」というように、企画趣意文にさらに文章量として3割程度付け加える提案がされ、これを受けて、同年10月24日付けメモにおいて、小浜氏の提案文をほぼそのまま付け加えた企画趣意文を含む小浜氏・渡辺氏連名のメモが作成された。メモは目次の題目が記載されているが、どの題目を小浜氏・渡辺氏のどちらが担当するかについての記載は一切なかった。
 その後、本件連載は、おおむね以下のような手順により制作された。
 本件連載の初回である平成7年4月分の原稿は、締切日が近づいてきたこともあり、小浜氏と渡辺氏で相談し、渡辺氏がまず原稿を作成して電子メールで小浜氏に送信することに決め、渡辺氏はそれを受けてそれまで自分で集めていた統計資料や渡辺氏の前著「地域経済と人口」を利用してまず原稿を書いて、電子メールで小浜氏に添付文書として送信することにし、渡辺氏が平成7年1月30日から2月5日にかけて相次いで原稿を完成させ、小浜氏に電子メールで送信した。
 第2回以降の連載についても、渡辺氏がまず文章を作成し、小浜氏に電子メールで送信し、それを小浜氏が渡辺氏と電話、ファックスで相談しながら点検して加筆訂正 し、小浜氏が書いた部分と合わせて出版社に送るという方法で原稿を制作した。
 本件連載の最終回の原稿が書き終えられた平成8年1月ころ、日本評論社から、本件連載を1冊の本にまとめる企画が小浜氏に持ちかけられた。そこで、平成8年9月20日、本件連載を1冊の本にまとめるかたちで、本件書籍の第1版第1刷が日本評論社から出版された。
 また、渡辺氏が作成して小浜氏に電子メールで送信した原稿の内容とこれに対応する本件連載、本件書籍の内容とを、証拠に現われた範囲で対比すると、以下のとおりのことが認められる。
 本件連載の各回の連載分において、渡辺氏が執筆して小浜氏に電子メールで送信した部分は、本件連載の内容の相当大きな部分を占めており、特に、図表、統計等の資料については、そのほとんどが、渡辺氏が集めて記載したものをそのまま用いている。
 小浜氏は、渡辺氏が作成して電子メールで送ってきた原稿に対して、検討を加え、表現を直したり、段落と段落との間の論理をつなぐ部分を加筆したり、エピソードを挿入したり、付加的に段落を書き加えたりして本件連載の原稿を完成させ、これを日本評論社に送付した。例えば、本件書籍の176頁から188頁をみると、渡辺氏の原稿がベースになっている部分と小浜氏が加筆した原稿がベースになっている部分とが交互に現れている。
 渡辺氏が作成して小浜氏に電子メールで送信した原稿部分のみについてこれを通読すると、まとまりごとに意味を追うことはできるが、右認定のように段落と段落との間に小浜氏の執筆部分が挿入されたり、あるいは付加的に段落を書き加えられたりした部分があり、経済学の分野における学術書という本件書籍の性質上、記述上の論理の展開という点からみると、本件書籍から渡辺氏の執筆部分を切り離すことは難しく、渡辺氏の執筆した部分は小浜氏執筆部分と不可分一体となっている。
 以上のとおり、本件書籍は、本件連載を1冊の本にまとめたものであるところ、本件連載は、当初から小浜氏と渡辺氏とが協議してお互いの担当部分が分からないくらいにするということで企画を始め、実際にも渡辺氏が作成した原稿を小浜氏が検討し、表現を直したり付加的に加筆したりして完成稿として出版社に送るという手順で制作が行われたものであり、本件連載とこれに対応する渡辺氏の原稿の各内容を対比してみても、前記のとおり、本件連載はその相当部分を渡辺氏の原稿によっているものの、小浜氏が表現を直したり加筆したりしたことによって、渡辺氏の寄与は、本件連載ひいては本件書籍という著作物の中に融合してしまっており、分離が不可能なものになっていると認められる。また、企画段階で作成したメモ並びに本件連載及び本件書籍における著者の表示においても、渡辺氏は、終始、本件連載につき小浜氏と共同して原稿を作成するものとして記載され、渡辺氏もこれに特段異議を出さないまま、本件書籍の出版に至ったものである。
 これらの事情を総合すれば、本件連載は、連載の各回ごとに、渡辺氏の創作に係る原稿の存在を前提としてはいるものの、これに小浜氏が表現を直したり加筆したりすることによって、渡辺氏の寄与は本件連載ひいては本件書籍という著作物の中に融合してしまったものといわざるを得ない。したがって、本件書籍は、小浜氏と渡辺氏とが共同で創作した共同著作物に当たると認められる。
 渡辺氏は、本件書籍は各人の寄与を分離して個別的に利用することができる「結合著作物」であって、共同著作物に当たらないと主張し、これに沿う部分がある。そしてたしかに、本件書籍の基となった本件連載の原稿の執筆は、渡辺氏がまず原稿を作成し、小浜氏に電子メールで送信し、それに小浜氏が加筆して完成稿としていたというものであり、渡辺氏作成部分の原稿が本件連載ひいては本件書籍の中で大きな部分を占めているのは前認定のとおりである。しかし、渡辺氏が当初作成した原稿が小浜氏の修正、加筆等によって本件連載ひいては本件書籍という著作物の中に融合してしまい、分離不可能なものとなっていることは前記のとおりである。また、本件書籍のあとがきには、「連載は毎回2人で書いたが、それぞれ自分が面白い、よく書けたと思うところが違っていて、調整もなかなか大変だった。」「本書の編集はこれまでの本同様、日本評論社の四郎氏のお世話になった。3人でよくお酒を飲みながら、本書のまとめ方について議論した。」との記載があり、あとがきの末尾に小浜氏の氏名と渡辺氏の氏名とが上下に連記されていて、渡辺氏が当時この記載に異議をはさんだ形跡はうかがわれない。かえって、渡辺氏自身、平成10年7月4日付けの日本評論社の担当者に対する手紙中において、「原稿を書く過程で、お互いにコメントを出し合い、調整したため、どちらが何を書いたのか第三者には分からなくなっています。」と記載し、また、平成10年7月15日付けの日本評論社の担当者に対する手紙中においても、「四郎氏は当時『本来の共著は、現在よく見受けられる分担執筆ではなく、誰が何を書いたか分からないほど、著者同士で意見交換をして書くべき』と主張していました。本書も形の上ではそうしたスタイルを採っています。」と記載していることが認められる。これらからすると、本件書籍は結合著作物に当たるという渡辺氏の主張を、採用することはできない。
 著作権法65条3項は、同条2項が「共有著作権は、その共有者全員の合意によらなければ、行使することができない。」と規定しているのを受けて、「各共有者は、正当な理由がない限り、‥‥‥前項の合意の成立を妨げることができない。」と規定する。この「正当な理由」については、正当な理由が認められれば共有著作権の行使を望む他の共有者の権利行使を妨げる結果となることにかんがみ、当該著作物の種類・性質、具体的な内容のほか、当該著作物に対する社会的需要の程度、当該著作物の作成時から現在までの間の社会状況等の変化、共同著作物の各著作者同士の関係、当該著作物を作成するに至った経緯、当該著作物の創作への各著作者の貢献度、権利行使ができないことにより一方の共有者が被る不利益の内容、権利行使により他方の共有者が不利益を被るおそれなど、口頭弁論終結時において存在する諸般の事情を比較衡量した上で、共有者の一方において権利行使ができないという不利益を被ることを考慮してもなお、共有著作権の行使を望まない他方の共有者の利益を保護すべき事情が存在すると認められるような場合に、「正当な理由」があると解するのが相当である。
 そこで本件についてみると、本件書籍の内容、小浜氏と渡辺氏との関係、小浜氏と渡辺氏が本件書籍を執筆するに至った経緯、執筆の具体的作業の内容については前記認定のとおりであり、また、証拠によれば、次の事実が認められる。
 本件書籍は、統計資料と多くの経済学内外の学術分野における著作等の検討を通じて、第二次大戦後の日本経済の構造変化とその要因を分析するとともにその過程における政府の役割を明らかにすることにより、今後の日本経済の変化の予測とあるべき経済政策の立案に資することを目的とするものであるところ、本件書籍は平成8年9月20日に第一版第一刷が発行されており、その基となった本件連載の原稿の最終執筆時(平成8年1月)からみると、既に4年余りの年月を経ている。
 本件書籍の基となった本件連載の原稿について、小浜氏と渡辺氏との執筆した分量を比較すると、渡辺氏の執筆した原稿の分量は小浜氏の執筆した原稿の分量を相当上回っている。小浜氏の中心的な仕事としては、渡辺氏から渡辺氏が執筆した原稿を電子メールで送信してもらい、検討してその原稿をほとんど生かしつつ、内容的な区切りの部分、あるまとまりと他のまとまりとをつなぐ連結的部分、エピソード部分を挿入するなどして加筆することであった。
 渡辺氏は、本件書籍以外にも「発展途上国の人口移動」、「地域経済と人口」、「完全マスター ゼミナール経済学入門」、「アジアの人口問題」等の著書がある経済学者であるところ、本件書籍について、主要な視点の欠落から来る不十分性を感じており、学問的に大幅に構成を見直す必要があると考えている。そして、今後新たな著作を独自に世に問う予定であるが、その関係もあり、視点が不十分と渡辺氏が考える本件書籍について、版を重ねることを希望していない。
 渡邊氏は小浜氏に対し、平成10年6月12日付けで書簡を送り、その中で本件書籍は絶版にしたいと述べたが、これに対して小浜氏は、平成10年6月28日付けの書簡を渡辺氏に送り、絶版に反対する趣旨を述べた。同書簡中には、渡辺氏に礼を失していると受け取られてもやむを得ない表現もあり、両者間に感情の軋轢が生じていた。また渡辺氏は、日本評論社の担当者から平成10年7月10日付けの書簡を受け取ったが、その中にも渡辺氏に礼を失していると受け取られてもやむを得ない表現があった。
 本件書籍は、出版後2年余りで初版約3000部が売れたため、出版社である日本評論社の担当者は、在庫の量や今後の売れる見込みなどからすると、本件書籍を増刷する必要性があると考えている。また、小浜氏は、韓国から来日して日本国内の大学の客員教授をしている学者から、本件書籍を韓国において自己の担当している80名から100名の学生らのために翻訳したいとの趣旨の手紙を受け取っている。そして小浜氏自身も、本件書籍の増刷、韓国語への翻訳出版については積極的な意向を有している。 
 以上の事実によると、まず、本件書籍は「戦後日本経済の五〇年」という題に、「途上国から先進国へ」という副題が付された経済学についての書籍であり、統計資料と多くの経済学内外の学術分野における著作等の検討を通じて、第二次大戦後の日本経済の構造変化とその要因を分析するとともにその過程における政府の役割を明らかにすることにより、今後の日本経済の変化の予測とあるべき経済政策の立案に資することを目的とするものであるが、執筆後4年余りの年月を経れば、社会経済情勢の変化によって内容が陳腐化することは、免れないというべきである。また、渡辺氏は、経済学者として本件書籍の構成を学問的に見直す必要を感じており、過去の執筆書籍である本件書籍については、増刷、韓国語への翻訳という手法により改めて公表することについては意欲がなく、本件書籍における学問内容については日々変化する社会経済状況を加味して、自ら進展させた研究の発表という形で世に公表したいと考えていて、過去の業績をそのままの形でもう一度世に出すことについては抵抗を感じている。しかも、本件書籍の基となっている本件連載の原稿の分量についていえば、渡辺氏の原稿の分量は小浜氏のそれを相当上回っており、それがほとんど本件連載及び本件書籍の最終稿になっていると認められることからすると、本件書籍の作成については、渡辺氏の貢献度が小浜氏のそれを相当上回るというべきである。加えて、渡辺氏は、本件書籍の増刷をめぐるやりとりを通じて、小浜氏及び日本評論社の担当者に対する不信感を抱くに至っているが、渡辺氏がこのような感情を抱くに至った点については、小浜氏及び右担当者の対応に責められるべき点がないとはいえない。他方、小浜氏が本件書籍の増刷及び韓国での翻訳出版への同意を求める理由については、本件書籍の増刷、翻訳出版について出版社である日本評論社からの要請があったこと、韓国の大学教授からの要請もあること、小浜氏自身も増刷、翻訳出版を希望していることなどの事情があることが認められるが、本件書籍について社会的に需要が見込まれるのかどうか不明であるほか、本件書籍の現在の在庫部数や在庫切れとなることが予想される時期等が明らかでなく、韓国語への翻訳出版についても、自己の担当する100名足らずの学生のために自ら翻訳したいという希望が韓国の大学教授から表明されているというだけであって、翻訳者、出版元、出版予定部数等の具体的な計画がなく、また、およそ韓国においてどの程度の需要が見込まれるのかも一切明らかにされていないし、その他、本件書籍を増刷、韓国語翻訳しなければ小浜氏の生活が経済的に脅かされるような事情や、本件書籍を増刷、翻訳することが小浜氏の学者としての業績の上で不可欠のものとして求められていることをうかがわせる事情も、本件では証拠上認められない。これらの事情及びその他本件において認められる諸事情を総合考慮すると、本件においては、小浜氏が権利行使ができないという不利益を被ることを考慮してもなお、本件書籍の増刷、韓国語への翻訳出版を望まない渡辺氏の側の利益を保護すべき事情が存在するというべきであるから、渡辺氏には、本件書籍の増刷、韓国語への翻訳を拒むについて「正当な理由」があると解するのが相当である。
 よって、小浜氏の請求はいずれも理由がないから棄却する。

3 共同著作物

 今回のケースで裁判所は、経済雑誌において連名で連載した著作物をまとめた『戦後日本経済の50年』について、その内容が共同著作物であるとした上で、渡辺氏が小浜氏に対して増刷及び韓国語版への同意を拒む正当な理由があるとして、小浜氏の請求を棄却しました。
 著書を共同で執筆する際には、その権利の帰属について事前に十分な協議しておけば、後々のトラブルを防ぐことができますので、場合によっては専門家に相談することも必要でしょうね。

【著作権法65条】
① 共同著作物の著作権その他共有に係る著作権については、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その持分を譲渡し、又は質権の目的とすることができない。
② 共有著作権は、その共有者全員の合意によらなければ、行使することができない。
③ 前二項の場合において、各共有者は、正当な理由がない限り、第一項の同意を拒み、又は前項の合意の成立を妨げることができない。
④ 前条第三項及び第四項の規定は、共有著作権の行使について準用する。

 では、今日はこの辺で、また。 


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