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板まんだら事件

こんにちは。

 今日は、創価学会に寄付したお金を返還をめぐって裁判で争われた最判昭和56年4月7日を紹介したいと思います。


1 どんな事件だったのか

 昭和39年、創価学会は富士宮市にある日蓮正宗(しょうしゅう)総本山大石寺(たいせきじ)境内に、広宣流布、つまり世界中に日蓮の教えを広めるために、その本尊である「板まんだら」を安置する「事(じ)の戒壇」たる正本堂を建立するための資金を集めていました。
 創価学会員だった松本勝彌氏らは、正本堂建立と広宣流布のために540万円を寄付しましたが、創価学会は前言を撤回し、正本堂が完成する昭和47年は、まだ正本堂は三大秘法抄の戒壇の完結ではなく、広宣流布はまだ達成されないと公言し、しかも、戒壇の本尊も偽物だったことが判明しました。
 そのため、松本氏らは、板まんだらが本物だと錯誤に陥って寄付してしまったという理由で、寄付金400万円の返還を求めて提訴しました。

2 最高裁判所の判決

 裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる。したがって、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であっても、法令の適用により解決するのに適しないものは裁判所の審判の対象となりえない、というべきである。
 これを本件についてみるのに、錯誤による贈与の無効を原因とする本件不当利得返還請求訴訟において松本氏らが主張する錯誤の内容は、創価学会は、戒壇の本尊を安置するための正本堂建立の建設費用に充てると称して本件寄付金を募金したのであるが、創価学会が正本堂に安置した本尊のいわゆる「板まんだら」は、日蓮正宗(しょうしゅう)において「日蓮が弘安2年10月12日に建立した本尊」と定められた本尊ではないことが本件寄付の後に判明した。創価学会は、募金時には、正本堂完成時が広宣流布の時にあたり正本堂は事の戒壇になると称していたが、正本堂が完成すると、正本堂はまだ三大秘法抄、一期弘法抄(いちごぐほうしょう)の戒壇の完結ではなく広宣流布はまだ達成されていないと言明した、というのである。要素の錯誤があったか否かについての判断に際しては、右の点については信仰の対象についての宗教上の価値に関する判断が、また、その他の点についても「戒壇の完結」、「広宣流布の達成」等宗教上の教義に関する判断が、それぞれ必要であり、いずれもことがらの性質上、法令を適用することによっては解決することのできない問題である。本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっており、その結果信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、また、記録にあらわれた本件訴訟の経過に徴すると、本件訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となっていると認められることからすれば、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない。  
 そうすると、松本氏らの本件訴が法律上の争訟にあたるとした原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があるものというべきであり、その違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。なお、第一審の準備手続終結後における松本氏らの仮定的主張(詐欺を理由とする贈与の取消あるいは退会により本件寄付は法律上の原因を欠くに至つたとの主張)は、民訴法255条1項に従い却下すべきものである。したがって、その余の上告理由について論及するまでもなく松本氏らの本件訴は不適法として却下すべきであるから、これと結論を同じくする第一審判決は正当であり、松本氏らの控訴はこれを棄却すべきである。  よつて、原判決を破棄し、松本氏らの控訴を棄却する。 

3 法律を適用しても解決できないことは扱わない

 今回のケースで裁判所は、訴訟が具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっており、信仰の対象の価値ないし宗教上の教義に関する判断が請求の当否を決するについての前提問題にとどまるものとされていても、それが訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものであり、紛争の核心となっている場合には、その訴訟は、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらない、としました。
 つまり、①裁判所法3条により「法律上の争訟」でなければ裁判の対象とならない、②板まんだらが本物かどうかという宗教上の価値・教義の判断は法令を適用して解決できるものではないので法律上の争訟ではない、③よって、今回の事件について裁判所は裁判ができない、という三段論法になっているので注意が必要でしょうね。

 では、今日はこの辺で、また。


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