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こんにちは。

 奈良地方裁判所に行ったとき、敷地内で鹿が「らっしゃい~!」とお辞儀をして出迎えてくれたことにビックリしたことがありますね。基本的に裁判所には自由に出入りすることができるのですが、裁判傍聴でメモを取ることができるようになるまでには、かなりのハードルがありました。明治時代には「大逆事件」で秘密裁判が問題とされましたが、戦後の日本でも、まだまだオープンになっていないのが現状でしょう。

 そこで今日は、この点を考える上でレペタ事件(最大判平成元年3月8日裁判所ウェブサイト)を紹介したいと思います。

1 どんな事件だったのか

 ワシントン州の弁護士資格をもっているローレンス・レペタさんは、裁判を傍聴する際に、メモを取りたいと7度にわたって裁判所に許可を申し出たのですが、結果はいつも理由なく却下というものでした。あるときレペタさんは、法廷で裁判長に「メモをとらせてください」と直訴してみたところ、「これ以上発言をすると退廷させる」と言われ、許可されませんでした。そこで、レペタさんは、日本国憲法21条の知る権利が侵害されたとして、国に対して約130万円の損害賠償を請求しました。

2 レペタさんの主張

 特に⼈々の知る権利を保障し、⺠主主義を実現するためには、国家機関の有する情報のうち、国会の公開、⾏政当局の情報の公開とともに、裁判の公開がきわめて重要であり、⼈々の知る権利を保障するためには、情報公開の対象から裁判の公開を除くことはできない。したがって、裁判の公開による法廷を傍聴する権利は、憲法21条の知る権利に含まれる。法廷を傍聴する権利は、法廷において公判⼿続につきメモを取る権利を含んでいます。
 昭和54年に⽇本で発効した国際⼈権規約B規約19条2項によって保障される表現の⾃由の中にも、法廷を傍聴する権利はもちろんメモを取る権利も含まれているのです。
 また憲法82条は、裁判の対審及び判決を公開の法廷で⾏うことにより密室裁判を防⽌しようとする単なる制度的保障にとどまらず、法廷を傍聴する権利を国⺠の権利として規定したものと解すべきです。裁判、特に刑事裁判は国家権⼒の発動の1つの典型であって、裁判所の活動について主権者たる国⺠は、不断の監視を⾏う権利を有するものと考えられ、したがって、裁判の公開が⺠主主義の根幹にかかわるものであるから、憲法は、82条において特に1箇条を設けて、国⺠の裁判傍聴権を、別途、規定しているのです。
 なのに裁判所は、東京地⽅裁判所司法記者クラブ所属の報道機関には無条件でメモを取ることを許しながら、私に対しては、不許可の処分を⾏い、メモを取ることを禁⽌したのであり、この取扱いは、何らの合理的根拠を有し得ず、法の下の平等を定める憲法14条に違反しています。
 裁判⻑は国の公権⼒の⾏使に当たる公務員であり、今回の決定は裁判⻑の職務を⾏うについて⾏われたものであるから、国は、国家賠償法1条1項に
より、私が被った損害を賠償する義務があります。

3 国側の主張

 裁判の公開とは、不特定かつ相当数の者が⾃由に裁判を傍聴し得る状態におくことをいうので、裁判の傍聴を希望する者は、法廷の物理的設備の許す限度において、⾃由に法廷に出⼊りして⾃ら直接法廷で⾏われている⼿続を⾒聞することを許されるが、裁判の公開とは、まさにこのことを意味するにすぎないのであって、それ以上の権利を付与するものではない。 
 法廷を傍聴する権利とは、裁判の傍聴を希望する者は、法廷の物理的設備の許す限度において、⾃由に法廷に出⼊りして⾃ら直接法廷で⾏われている⼿続を⾒聞することができることをその内容とするものであって、それ以上にメモをとる権利までをも含むものではない。
 メモを許すかどうかについては裁判⻑の⾃由な裁量に委ねられているので、何ら違法なものではない。また、傍聴⼈がメモを取ることを許可事項とする旨を織り込んだ傍聴⼼得を法廷の出⼊⼝付近に掲⽰し、かつ、その旨を裏⾯に印刷した公判傍聴券を交付するなどして、許可を受けなければ、傍聴⼈においてメモを取ることができない旨を明らかにしていたのだ。 
 司法記者クラブ所属の記者に対してメモを許可した点については、報道の⾃由あるいは報道の公共性を尊重するという観点からこれを許したものであって裁量による措置である。これに対して、⼀般傍聴⼈の傍聴⽬的は不特定であって、報道機関に認められるような積極的理由を認めることはできないので、法廷におけるメモに関して結果的に⼀般傍聴⼈に比べて、報道機関を優遇することになるとしても、この取扱いは合理的なものである。

4 最高裁判所の判決

 裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、傍聴人は法廷における裁判を見聞することができるのであるから、傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである。
 しかし、筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定によって直接保障されている表現の自由そのものとは異なるものであるから、その制限又は禁止には、表現の自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳格な基準が要求されるものではないというべきである。
 レペタ氏のメモを取る行為が、法廷内の秩序や静穏を乱したり、審理、裁判の場にふさわしくない雰囲気を醸し出したり、あるいは証人、被告人に不当な影響を与えたりするなど公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがあったとはいえないのであるから、今回の措置は、合理的根拠を欠いた法廷警察権の行使であるというべきである。
 過去においていわゆる公安関係の事件が裁判所に多数係属し、荒れる法廷が日常であった当時には、これらの裁判の円滑な進行を図るため、各法廷において一般的にメモを取ることを禁止する措置を執らざるを得なかったことがあり、全国における相当数の裁判所において、今日でもそのような措置を必要とするとの見解の下に、今回の措置と同様の措置が執られてきていることは、裁判所に顕著な事実である。しかし、今回の措置が執られた当時においては、既に大多数の国民の裁判所に対する理解は深まり、法廷において傍聴人が裁判所による訴訟の運営を妨害するという事態は、ほとんど影をひそめるに至っていたこともまた、顕著な事実である。
 裁判所としては、今日においては、傍聴人のメモに関し配慮を欠くに至っていることを率直に認め、今後は、傍聴人のメモを取る行為に対し配慮をすることが要請されることを認めなければならない。
 しかし、裁判長の判断も最大限尊重されなければならないので、裁判長の措置は、それが法廷警察権の目的、範囲を著しく逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情のない限り、国家賠償法1条1項の規定にいう違法な公権力の行使ということはできないものと解するのが相当である。よって、レペタ氏の請求を棄却する。

5 最小限の公開が原則?

 今回のケースでは、レペタさんの損害賠償請求は認められませんでしたが、裁判所はメモを取る行為の一律禁止は配慮を欠いていたと認めて、全国の裁判所に「傍聴についての注意」からメモ禁止の表示を削除するように要請しました。現代では当たり前のように、傍聴席でメモをとれるのは、レペタさんのおかげでもあるのですね。
 しかしレペタさんは、日本でいう裁判の公開とは、原則は非公開で、仕方なしに傍聴人は入れて最小限の公開をしていると述べています。開かれた裁判については、まだまだ議論が続きそうです。

では、今日はこの辺で、また。


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