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早稲田大学江沢民講演会事件

こんにちは。

 大河ドラマで話題の渋沢栄一など著名人の寄付などでようやく完成した早稲田大学の大隈講堂(愛称は「くまこう」)では、日本の総理大臣が講演したり、アメリカのクリントン元大統領も講演していました。

 そんな中で今日は、早稲田大学江沢民講演事件(最判平成15年9月12日、最高裁判所民事判例集57巻8号973頁)を紹介したいと思います。

1 どんな事件だったか

 平成10年に早稲田大学で、中国の国家主席であった江沢民の講演会が行われました。そのときに、聴講を希望する学生は、名簿に学籍番号、名前、住所、電話番号を記入した後に、入場券を受け取るという段取りになっていました。すると、警視庁が防犯上の観点から大学側に参加者名簿を提出してほしいと求めてきたので、大学側はこれを了承し、1400名分の名簿の写しを渡したのでした。

 大学側は、学生が大隈講堂に入場する際に、参加証と学生証を提示させて本人確認と持ち物検査を実施し、さらに金属探知機によるチェックも行っていました。入場した学生には、「場内では静粛にお願いします。ヤジ等大声を出したり、プラカード・掲示物等を出した場合は即刻退場となりますので、十分注意してください。係員の指示には必ず従ってください」という書面を配布していました。

 それにもかかわらず講演中に、数名の学生が数回にわたって横断幕を広げて「中国の核軍拡反対!」と大声をあげるなど、講演の妨害を行ったため、警視庁の私服警察官により、その場から退場させられ、建造物侵入及び威力業務妨害罪の嫌疑で現行犯逮捕されました。その後も、大学側は講演会の妨害を理由に学生たちを譴責処分(注意と書面による反省を求める)にしました。

 しかし、大学側は平成7年に「個人情報の保護に関する規則」を制定して、個人情報の目的外利用や外部への提供を基本的に禁止し、例外的に本人の同意なく外部に提供する場合には、個人情報保護委員会の判断を仰ぐという形になっていました。しかし、警視庁に名簿を提出したときには、個人情報保護委員会に諮ることはしていませんでした。この点をついて、学生たちは「警察に無断で名簿を渡すなんて!プライバシー権の侵害だ!!肉体的、精神的苦痛を受けたから損害賠償を払え!、譴責処分は無効だ、そして謝罪文の交付と掲示をするのだ」と大学を訴えたのです。

2 学生側の主張

商学部、第一文学部、政治経済学部の学生:「ちゃんとした手続きで、大隈講堂に入場したのに、なんで建造物侵入罪やねん。大学側は、学生活動家らにイチャモンをつけてその活動を制限し、組織の弱体化や孤立化を狙ってたやったのと違うか」

刑法130条 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

学生たち:「掲げた横断幕は『中国の官僚による資本主義化反対』というもので、ヤジも含めてその内容は正当で普遍性があるから、業務を妨害するものではないでしょ。だから逮捕権の濫用で違法だ!」

学生たち:「大学は個人情報保護に関する規則に違反して、名簿を勝手に警察に渡すなんてプライバシー侵害やわ。だから損害賠償を払え!」

民法709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

学生たち:「思想や政治的意見を表明しただけでの譴責処分は、教育的措置ではなく学生の自治活動を破壊する目的でなされたものに違いない。だから無効だ!」

3 大学側の主張

早稲田大学:「学生らが横断幕を掲示し、大声で野次ることを予め申し出ていたのであれば、入場を断っていたはずであり、学生らは不法な目的で講演会に入場していた上で、学生らの行為は、江沢民主席を侮辱し、大学の主催した講演会を威力によって妨害するものであった。だから警察官に逮捕されても違法性はないし、大学は逮捕に協力、加担したこともない。また、国賓を招く上で、外務省、警察、大使館等の複数の関係機関と連携して運営する必要があり、大学では国賓の安全を確保するための万全な警備、警護を単独ですることができないので、警察を頼らざるを得ず、名簿を警察に提出した行為は正当な理由に基づくもので、不法行為にはならない。参加申し込みの際に、学生番号、氏名、住所、電話番号のみの最低限必要な情報しか載せていないので、保護の必要性も低いはずだ」

大学側:「講演会に参加した学生たちには書面で遵守事項を周知していたのであるから、妨害行為をした学生たちに対して教授会の決議による譴責処分は手続き的にも適正であり、何ら無効なものではない。」

4 判決

最高裁の裁判官:「学籍番号、氏名、住所及び電話番号は単純な情報で、秘匿する必要が高くない。しかし、本人が望んでいないにもかかわらず、他人に開示されたくないと考えるのは当然なので、早稲田大学はあらかじめ警察に個人情報を開示することを明示しておくべきだった。それをしなかったので、プライバシー侵害となり不法行為上の損害賠償責任を負う。この点については東京高等裁判所に差し戻します」。

 差戻された東京高等裁判所(東京高等裁判所2004年3月23日判決、判例時報1855号104頁)は次のように判断しました。

高等裁判所の裁判長:「早稲田大学は学生1人当たり5000円の慰謝料を払え。」

5 まとめ

 氏名、住所、電話番号を本人の許可なく勝手に第三者に提供することがプライバシー侵害になるということ、また一度情報が渡れば完全に消去することが難しいので、「すんません」という意味合いでの慰謝料が5000円だったというところも興味深いですね。改めて個人情報の価値について考えさせられる事件でした。

では、また。


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