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ナイロビモジュール1日目 - アフリカビジネス超基礎編 -

どうも、Kamackです。

IESE Business Schoolで人気の短期モジュールとして参加しているナイロビモジュール、毎日更新と意気込んでいたのですが、結局平日は授業が8時-20時で、それ以降に夕食を食べ、次の日のケースの予習をするとNoteを書く時間が全く時間がない日々が続いていました。ただ、自分の勉強のためにもスキマ時間を使って少しずつ更新していきたいと思います。

ナイロビモジュール概要

一週目にアフリカビジネスについて学び、二週目から本格的にコンサルをやります。アフリカビジネスと一言に行っても、勉強する事は多岐にわたります。文化的な理解に始まり、ビジネス概況、マーケやビジネスのやり方の違い、特有のビジネス慣習の理解、そして現地の人たちとの交流という感じです。

今回、IESEから参加している人は64人、1学年全体がざっくり350人なので、5分の1弱が参加している計算になります。ブラジルモジュールは20人くらいだった記憶があるので、非常に人気が高い授業の一つです。参加者は南米の学生が最も多くて40%くらい、ヨーロッパが25%、アジア(中東含む)が20%、北米10%、その他地域が5%といった感じでしょうか。

二週目のコンサルプロジェクトに関してはNDA(Non-Disclosure Agreement)を結んでいるので、詳細は全く書けないのですが、かける範囲の概要をお伝えできれば、と思っています。

ちなみに、IESEではこの裏に上海モジュールがあり、そちらに参加している学生もかなり多いです。今まで行ったことのない地域を訪問する非常に良い機会になります。

Strathmore Business School(SBS)

一週目に勉強するのはナイロビにあるこのStrathmoreビジネススクール(SBS)です。IESEがStrathmore Universityと提携して2005年の創設を支援した学校で、アフリカのビジネススクールランキング上位に位置するビジネススクールです。

この機会にご紹介すると、IESEは「ビジネスリーダーに対する経営教育を世界規模に普及させる」ことをミッションとして掲げており、上記のように創設を支援した実績が15校にものぼります。アフリカだけではなく、南米、そして最近ではFinantial Timesで10位以内が常連になってきた中国のCEIBSが該当します。詳しくは下記、途上国に対する教育支援(ASSOCIATED BUSINESS SCHOOL)をご参考ください。

SBSに到着してみて驚いたのは、校舎が広大かつ、手入れが行き届いていて本当に美しい事。

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ケニアで高等教育を受けられる人は人口の3%にすぎないらしく、大学院まで来るという人はさらに少ないと想定され相当なエリート層ですね。

今回勉強するアフリカ

そもそも、アフリカと言ったら、アフリカ大陸にある国全体を指すので、その全体の事を学べるのかな、と自分は漠然と認識していました。これは間違えていないのですが、今回私が勉強したのはほぼサブサハラアフリカ、でした。その名の通り、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国です。

北アフリカはアラブの影響を色濃く受けており、宗教もイスラム教で、上記wikipediaにも記述がある通り、拡大中東という概念にも入る国々だったりします。

私はそんなことも全く知らずにアフリカモジュールに参加するほどアフリカに対して無知な人間であるので、今後色々と間違えた事を書いてしまう可能性があり、かつ主観が入ってお伝えすることになるように思いますが、その時はご指導、ご指摘いただけると幸いです。

正直、大学1年生で教養を学ぶときに開発学などを入れておくべきでした、と今更ながらに反省するくらい、今回自分は無知である事を思い知らされました。

アフリカの地理、歴史と植民地支配

ここはすみません、正直に言うと、授業だけでは理解が追い付かなかった部分が多々あるので、また別の機会に勉強しなおそうと思います。今回は授業の中で印象に残った点をお伝えしたいと思います。

フランスの功罪

一番印象に残ったのがこの部分。植民地支配が終わった後も、フランスは独立国に通貨発行権を渡しておらず、セーファーフラン(CFA)という通貨の発行権限をフランスが維持し続けているという事。そして、CFAのレートをフランスが決めているため、フランスがこれらの国に製品を輸出する有利なレートになってしまっている、という批判がされています。

上記までが授業の内容で、後々調べてみると、フランス国内でもCFA廃止を訴える政党があるという事が分かりました。ただ、それが極右政党という定義に入る政党なんですね。どちらかというとリベラルと言われる政党が訴えそうな政策なので、もう私の脳が全く追いついていません。

フランスの戦後も継続しているように見える植民地政策に関しては、Googleで「フランス 植民地税」などのキーワードで見てみてください。悲しくなる現実が見えてきます。

相対的にベターなイギリスの旧植民地国

イギリスの旧植民地国は独立後、経済発展をするケースが多くみられます。何がその違いを生んでいるのか、という点は授業ではあまり触れられなかったものの、その後の学生内での話で下記の点があるのではないかと思ってきました。

1. 公用語が英語 
2. 教育方針の違い

1. に関しては当然、ビジネス面で有利になるという当たり前の帰結なのでおいて、2. が大きいように思います。すごい乱暴な書き方をすると、イギリスの方針は現地に学校を作って教育を進める、という方針だったのに対して、フランスは優秀な層は現地ではなくフランスで学習してもらうという方針だったという事。結果的に、フランスで勉強した人がフランスに残るケースが多くあり、現地の教育水準が上がらなかったというのが問題になっているように思います。経済発展において教育というのは言うまでもなく一番重要な要素であり、この方針の違いが結果的に大きな違いをもたらしている可能性があります。

少し暗い気持ちにさせてしまってすみません。授業の中でも事あるごとにアフリカの教授陣にフランス人学生が植民地政策に関していじられていたので大変印象に残ったというのが実態です。

私が今まであまりにも無知だったので、今後はもっとちゃんと書籍などを読んでみようかなと思った部分でした。

M-Pesaについて

0日目にも少し書きましたが、M-Pesaという電子マネーが電子マネーという枠を超えて銀行のように人々に使われています。M-Pesaの"M"はMobileで、"Pesa"はスワヒリ語でお金という意味です。Mobile Moneyという事で、電子マネーであることが分かります。

ケニアの50%以上の決済がこのM-Pesaというもので行われており、後日訪問したスラムでもM-Pesaの代理店がありお金がチャージできたり下ろせたりできたりするという事が分かったことからも、このM-Pesaの普及と重要性が分かると思います。

この経済圏が生まれた理由としてはケニア国民の大半が経済状況・信用状況から銀行口座を作れないこと。すると、当然決済が現金のみになり、送金の手段は手渡しであったり封筒にお金を入れて郵便で送るといった手段しか取れなくなってきます。クレジットカードなんかも当然作れないので、携帯電話はあるのにオンラインで買い物とかもできない。

そんな問題を解決するのがこのM-Pesaで、決済や送金の手段として使う事ができます。ナイロビを訪問すると、そこらじゅうでM-Pesaの文字を見ることができます。

M-Pesaの機能は増え続けており、最近では銀行連携やPaypalとの連携もできているっぽいです。M-PesaのAPIも提供されているらしいので、今後もM-Pesa連携ができるアプリが増えていくことでしょう。

会社訪問

授業の最後に、2週目に実施するプロジェクトの初期打ち合わせ、スケジュール調整目的で会社訪問をしてきました。

会社の詳細はお伝え出来ませんが、私達はケニアでも有数の企業に対してコンサルプロジェクトをすることになったので、どれだけの提案ができるかが非常に楽しみです。

自分はIT担当で、オンラインマーケティングを中心としたIT戦略を立てようと思っています。詳細をお伝え出来ないのが残念です。

会社移動中にバスに乗って思った事

ケニアでは日本車がめちゃくちゃ走っています。というか、体感的に95%が日本車です。しかもイギリスの植民地だった影響からか、日本と同じ区左車線を走行し、すなわち右ハンドル車が走っています。

これはあとから分かったことですが、日本車は日本の中古車を輸入しているようです。日本では、自動車を10年も使うと新車の10分の1以下の値段で中古車が買えますが、このような自動車がアフリカに運ばれ、使われているようです。日本車は古くなってもちゃんとメンテすれば問題なく使えますし、故障しにくいので重宝されています。

自分が大学時代に使って売った自動車もそういえばロシアに輸出されるという話を聞いたのを思い出しました。(ロシアは基本右車線走行、左ハンドルなのですが、極東では日本の中古車が流通しているそうです)

まとめ

この日はアフリカでビジネスをやる上で非常にベーシックな知識を入れていく、という日でした。初日から8時-20時半という非常に長い時間にわたる授業で疲れがたまりましたが、何もかも新しく刺激的な日々が始まったという実感がわいた一日でした。

2日目以降の話はまた少しずつ時間を見つけて書けたらいいなと思っています。あまりにも時間がないので、最悪バルセロナに戻ってからになるかも知れませんが、その際はすみません。

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